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2014年10月02日

ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~⑤ドストエフスキーにみるロシアの矛盾と本源性

前回記事ではコサックを通じてスラブ人の中に残る集団性、闘争性を扱いました。(リンク
今回はもう少し時代を下ったロシア帝国の末期に焦点を当ててみたいと思います。

この時代に登場したドストエフスキー(1821年―1881年)は日本でも多く愛読されるロシアの巨匠です。

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こちらよりお借りしました。
2013年にロシアNOWというHPの中でカラマーゾフの兄弟が日本でベストセラー、ブームとなっていることが報道されています。日本人の心に広がる終末観にドストエフスキーの作風が符合しているそうです。著名な作家(高村薫、村上春樹、辻原登)らがそれぞれ意識して自らの小説を書いているだけでなく、普通の読者も惹かれるそうです。その本質はドストエフスキーが表す自己犠牲であり、人間主義であり、西洋資本主義への欺瞞視です。

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m282.gifドストエフスキ―が日本で好まれる理由

さて、今回ロシアを学ぶ中で、ドストエフスキーにトライしてみようと思いつきましたが、そのきっかけはあるドストエフスキー研究の以下の文章でした。
>近代精神のいきつく先が必ずサルトルのような無神論的実存主義であること、そしてそれは必然的に破滅への途を辿ることを洞察していたのは既に100年以上前のロシアの作家ドストエフスキーであった。ドストエフスキーは西洋の合理主義、近代思想の欺瞞を見抜いていたのである。

19世紀後半のロシアは国土が拡大し、西洋化が着々と進み、その様子は日本での明治維新さながらに古き良きロシアは否定されすべて西洋的な文化に塗り替わって行きました。そういう中でのドストエフスキーの文学の登場だったのです。西から次々とやってくる西洋文明、それに対峙するロシアの思想家、そういう構図で見ていけば当時のロシアの様子、ロシア人の憂慮が見えきます。今回はドフトエフスキーに重ねてそれを明らかにしていきたいと思います。

m282.gif ドストエフスキー略歴
ドストエフスキーの略歴について紹介しておきます。(ウィキペディアからの抜粋)

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モスクワ
の貧民救済病院の医師の次男として生まれる。15歳までモスクワの生家で暮らす。25歳の時に「貧しき人々」で作家としてデビューするが、社会主義思想のサークル員となった為、28歳で逮捕、死刑を宣告される。その後減刑がなされたが、シベリア流刑となり、4年間の拘留生活を強いられる。この時の体験は「死の家の記録」にまとめられ、「白痴」では死刑直前の気持ちが語られる。

その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる

m282.gifドストエフスキーは何を表現したか
ドストエフスキーは小説を通して何を表現したかったのでしょう。森有正氏の書いた「ドストエフスキー覚書」という著書の中からいくつか推察してみます。19世紀のロシアに登場した巨匠は文学という手段を通じて、おそらく文章にならないような感情も含めた全的な生命感を求めていたのではないでしょうか。それは彼の示した大地主義や近代的西洋史観とは異なる本源的な人間主義という部分から見て取れます。

★大地主義の表出
有名な罪と罰の中の一節です。
>警察による捜査が進む中、ラスコーリニコフは、貧しい家族を支えるために娼婦となった献身的な娘・ソーニャのもとを訪ね、事件の告白をする。話を聴いたソーニャは驚きながらも「広場で大地にひざまずいてキスをしなさい」とラスコーリニコフに語りかける。ラスコーリニコフは、ゆがんだ自尊心にとわられていた。ソーニャは、大地にひざまずくことで、それを捨てろと言ったのだった。

★人間と社会との関係
ドストエフスキーは、私権社会というものを人間社会の問題として明確に対象化していました。私権社会の頂点に立つ貴族についてドストエフスキーは以下のように書いています。(著者は森有正氏)

>かれらは社会的特権によって民衆に対するかれらの行動に理由付  けをすることができるので、人々から根本的に信頼されえないものをもっている。そこから人々の彼ら貴族に対する憎悪、軽蔑、理解不可能、不信が出てくる。それらもちろん貴族の人間的悪に対してではなく、悪を合法化しうるその社会的可能性に対してである。
ドストエフスキーは人間現実の偉大な発見をしている。

それは単なる人間存在とは次元を異にする社会の問題である。人間が自己を掘り下げても到達する事のできない外部状況であり、しかも内面的関係はこの外部状況の媒介の下にはじめて可能になるのである。根本の問題は上下の区別が撤廃されることでなければならない。

★人間の本質は適応力
ドストエフスキーはシベリアでの経験から人間の本質を見出していました。
>かれは真の人間の美しさを追求するのであるが、それは現実の社会には、その社会と調和する形では存在しえず、それと矛盾する形においてのみ、存在するという悲劇をわれわれに教えてくれているように思われる。
ドストエフスキーはゴリャンチコフの筆を借りて、まずこの社会から隔離され監獄に入れられた囚人達について、かれらの人間の生活力の根強さに驚嘆する。「さても、人間の生活力の強さ!人間にはいかなることにも馴れる動物である。私はこれこそ人間にとって最上の定義だと思う

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ドストエフスキーの文学は読んでいて暗い、辛いと言われることもありますが、反面、一旦はまると一晩で長編を読み終えるくらいすごい吸引力があるとも言われています。彼が最も見たくない私権社会の本質を指摘し、その答えを見出せずに苦しんでいる様、それでも何らかの法則性、希望や生きて行く方向性、生きるエネルギーの所在を示唆している事に読者は共感するのかもしれません。

m282.gifロシアの近代史とロシア正教
ドストエフスキーが生きた時代のロシアを改めて見ておきたいと思います。

ロシアの西洋化は18世紀初頭から始まっています。西洋の辺境、田舎と揶揄されたロシアは文明化を推し進める為に国家が先導して西洋化、さらにはキリスト教(ロシア正教)化を図ります。ドストエフスキーの登場した時代はそこから約100年後、経済が急上昇した時代です。1860年と1890年で石油の産出量は50倍に上り、1890年には各都市で労働運動が頻発しています。政府は農民に重税をかけ、各地でデモが勃発しました。ドストエフスキーの生きた時代とはまさに高度成長時代で社会全体が急転換した時代、いわば西洋化の流れの中で一気に国家と国民の矛盾が噴出した時代でもあったのです。

日本が明治―大正、昭和とかけて築いた文明化と同様に18世紀から19世紀にかけて100年先行していましたが、その様はまさに日本と近似しています。

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その時代に起きたロシア正教ですが、その始まりは側(がわ)構造から入ったとされます。元々は土着多神教の国だったロシアだが、近代化の流れの中でイスラム、キリスト、ユダヤ教を国として選択する時代がありました。その際に選んだのがキリスト教でしたが、キリスト教の建物や儀礼が美しいという理由で宗教の本質ではなく外面から入っています。従ってロシア正教はいまだに土着宗教と混交しており、キリスト教の根幹である神意識そのものも揺らいでいるのです。

それは、ドストエフスキーの著書「罪と罰」の中の以下の言葉が示しています。
>イワンはアリューションに対して率直に神を否定しないでむしろ容認する。「ぼく一箇に関しては人間が神を創ったのか、神が人間を創ったのかということはもう考えまいと、だいぶ前から決心しているのさ」「神がありやなしや?なんてことは決して考えないほうがいいよ。こんなことは三次元の観念しか持たない人間には、とうてい歯がたたない問題だよ。で、ぼくは神を承認する。その叡智をも承認する。それから人生の秩序も意識も信じるし、われわれをいつか結合してくれるとかいう、永久の調和も信じる
イワンは神の存在を承認しながらも、世界の現実、神の創造に対しては激しい否認を述べる。

・・・・この言葉からもロシア正教に敬虔なドストエフスキーにしてキリスト教の神の存在には全面的に信仰してはいなかったのです。つまりスラブ人にとって神観念は人智が及ばない超越存在ではありましたが、一神教のキリストそのものではなかった事が伺えます。この辺は日本人の神観念にも近しい部分です。

m282.gifロシアと日本を重ねて・・・
さて、ドストエフスキーが日本で殊更、読まれている事、19世紀のロシアが明治維新さながらに西洋文明が登場した事、ドストエフスキーが西洋近代主義に異を唱えた事。それらを結んで行くとあるひとつの答えにたどり着きます。

スラブ人であったドストエフスキーは、すでに当時のロシアが失いかけていた土着思想、さらにもっと深い部分の本源思想を呼び起こそうとしたのではないでしょうか?
そして私権社会真っ盛りの19世紀にその終末を予測し憂い、キリスト教や西洋資本主義がもたらす矛盾の中に生き、出口を探していたのが彼の追求の本質だと受け取ることができます。そういう意味でドストエフスキーは小説家ではなく、哲学者であり、私権社会の枠組みを超えて追求しようとした稀有の追求者ではないかとも言えます。
しかし、ロシア政府は日本同様にこの社会の急転換期に登場した未知追求の大衆の代弁者を異分子として排除し葬りました。日本では小林多喜二などがそれに当たります。

今なぜ読まれているか、その答えが近づいてきたように思います。
現在もまた社会の急転換期。私権社会が機能不全に陥り、新しい認識を求めています。ドストエフスキーの時代とは大きくかけ離れてはいますが、その追求のスタンス、エネルギーに重なるものがあるのかもしれません。単に人間主義、自然主義という平面的な観念ではなく、現実に使える、生々しい認識、言い換えると人間の本源主体の追求へ至るアプローチに参考になる部分があるのかもしれません。

m282.gif今のロシア、今の日本に必要か?
最後に、改めてこれからの追求の時代に彼のスタンスが必要かどうかを考えてみました。ドストエフスキーの取った現実社会への不可能視、不整合視、西洋資本主義社会への対峙は既に現在エネルギーを失いかけています。また、ロシアは既に日本に先んじて、西欧中心社会に変る世界の創出を始めています。そういう意味では、状況はがらりと変っています。もはや否定と矛盾に苦しむ必要はなくなったのではないでしょうか。目の前に広がっている可能性を単に追求していけばよい時代に入ったのです。

ロシアにも日本にも 今、ドストエフスキーは必要なくなったのです。

投稿者 tanog : 2014年10月02日 List  

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