縄文再考:縄文土器にみる、縄文人の外圧と生命観 |
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2021年09月21日
田中秀道名誉教授「日本史を変える30の新発見」ユダヤ人説への反論試行
皆さんこんにちは。
田中秀道東北大学名誉教授の著書『ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見』から引用するブログ。http://blog.jog-net.jp/201912/article_4.html「田中英道教授の『日本史を正す』戦い」より。幾つか引用し、反論してみようと思います。
(以下引用)『記紀』についても、「天武天皇、持統天皇、そして藤原家によって、高天原に天皇の祖先である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨される前に多くの神々がいたと書くことで天皇家の正統性を示す根拠とするために捏造されたもの」と言われてきました。しかし私は、高天原の物語は単なる幻想や作り話ではなく、縄文・弥生時代の記憶をもとにつくられた話だと考えています。(引用終わり)
・縄文、弥生時代の記憶がない、とは恐らく誰も言っていない。日本で書かれたものであるので、歴史風土の積み重ねが当然ある。記紀の不自然な点は、人間の様な「神」が登場すること。釈迦やキリストを神とする宗教は、余り自然なものとは言い難い点がある。
(以下引用)埴輪の中には、異常に鼻が高い人物埴輪があり、飛鳥時代以降の日本人の姿とあまりにも異なっています。特殊な冠や庇(ひさし)のある帽子をかぶり、耳元には鬢(びん)、つまり美豆良(みずら)がついており、顎髭(あごひげ)をはやしています。これはつまり、日本の古墳時代にユダヤ系の人々がいたことを端的に示しており、こういった特徴を持つ人物埴輪は、千葉県や茨城県など主に関東で発掘されています。(引用終わり)
・姫塚古墳出土埴輪で有名な、あごヒゲがあり帽子(又は天冠)を被る男性埴輪。しかし、だからと言って「ユダヤ人」であるとは言い切れない。中国のさらに西の西アジア、東欧の人々が、古来日本に来ていてもおかしくはない。 彼らをユダヤ人とする根拠は何か。
・古墳から多く出土する埴輪は、武具を付けた兵士であることが多い。同類闘争(殺し合い)がこの時代に一般化していることを示している。しかし、日本人(例えば縄文人)がそうだと言い切れない。縄文時代人骨に争いの後は殆どない。
(以下引用)日本に渡ってきたユダヤ系の人々が、機織りの技術や絹の生産技術、あるいは農業技術、灌漑施設の建設技術、そして、古墳を作る土木技術などを持っていたと考えられます。それらは中国や朝鮮にはない技術だからです。同時に彼らは日本に渡ってくる途中で入手したアジア各地での技術や物品をもたらしました。これが、天平時代、8世紀中頃に始まった「正倉院宝物」に、なぜ中国・朝鮮のものよりも中央アジアからペルシャに至る広い地域の様々な装飾品や物の方が多く収められているのか、ということの理由と思われます。(引用終わり)
・中央アジアから渡来人が来ていても、おかしくはない。
・機織り、絹の生産など、建設、古墳など中国や朝鮮にも紀元前からあると言われる。
・田中教授は、秦氏=ユダヤ人説だが、秦氏の血を引く鼻が高く顎髭を生やす日本人は、その後あまり見られないのは何故か。天皇家は、明らかに東アジア人(朝鮮)の面相だが混血はしなかったのか。
日本人のルーツ、成り立ちをどこに求めるかは、重要な課題です。縄文人なのか、その後の渡来人なのか。田中教授の様にユダヤ人(主に秦氏)説は多く、しかしその割にユダヤ人風の人がその後の日本に少ない、そこまで融和したか、と言う疑問が残ります。
引き続き検討します。
(以上)
投稿者 sai-yu : 2021年09月21日 TweetList
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