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2010年05月09日

宗教ってなに?5~全ての古代宗教の起源? 原始ミトラ信仰②~

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<七曜神と十二星座にかこまれたミトラ(ローマ帝国時代、シドン)>
こんにちは:D
 前回に引き続き、ミトラ教について見ていきたいと思います
 今回は、
全ての古代宗教の起源ともなったミトラ教が現在それほど知られていないのはなぜか?:roll:
ミトラ教の中身とは?
を明らかにし、宗教とはなにかを考察してみたいと思います。
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全ての古代宗教の起源ともなったミトラ教が現在それほど知られていないのはなぜか?:
これに対する答えとなる記事を、るいネットよりご紹介します。
                     
キリスト教が隆盛を誇ったのは思想が優れていたからでは無い~ミトラ教という存在~

初期キリスト教の発展期に、もっと先行して世界宗教として可能性のあった宗教が存在した。
ミトラ教(ミトラス教)である。
「ヘブライの館さん」より
以下引用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。
●世に近親憎悪という言葉があるごとく、まさしく初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧した。あまりにも両者は似ているため、あるキリスト教徒は、ミトラ教を指して「悪魔がキリスト教を模倣してつくった宗教だ」とまで主張するほどだ。
「もしキリスト教がなんらかの致命的な病によって、その成長を止められていたならば、恐らく世界中がミトラ教になっていただろう。」
エルネスト・ルナンのこの言葉から、キリスト教成立当時、いかにミトラ教が隆盛を誇っていたかが推測できる。実際に、ミトラ教の勢力範囲は、ローマ・ペルシアの地はもちろん、北はイングランド、東はイスラエル・シリア、南はアフリカのサハラ砂漠にまで及んでいたことが、残された遺跡などから確認されている。
●ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからイラン・インド両民衆の間に絶大な人気を誇ってきたのであった。
●既に触れたように、ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇った。各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者がいた。
しかしこれは別に驚くほどの現象ではない。もともとミトラ信仰はアーリア民族の神話(正典『アヴェスタ』)をベースにしたものであり、ペルシア帝国と同じアーリア系国家であるローマ帝国内でも絶大な人気を誇るのは自然な成り行きであったのだ。
しかし、現実の歴史は、キリスト教による世界独占の方向に進んだ。ミトラ教の敗北は、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を受容した時点(ミラノ勅令)で、ほぼ決定したのである。
●なお、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の時代に、ミトラ教には失地を回復するチャンスがあった。ギリシア哲学に傾倒し、教養ある賢帝だったといわれるユリアヌス帝は、キリスト教を捨ててミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力したのである。
だが、このユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行なわれていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立されたのである。

・・・・
キリスト教がローマ帝国の国境とされたため、ローマ帝国からミトラ教が駆逐されたんですね。
しかし、これがローマ帝国崩壊→東西分裂の引き金になったそうです。
一般にこの時点でミトラ教は世界中から消滅してしまったのだと考える人が少なくありませんが、
ミトラ教という名前はないものの、キリスト教に取り込まれたように、現在の他の宗教にも取り込まれ、形を変え、習合されて生き続けているのです。
ミトラ教の中身とは?
では、ミトラ教の中身とはどのようなものだったのでしょうか?これまでの引用記事と被るところもありますが、復習の意味も込めて歴史を追いながら見ていきましょう。
ミトラ教の変遷

・前1700年以前
 中央アジアで原始的なミトラ崇拝が誕生。
 (ミトラは太陽神であるため、これは素朴な自然崇拝、太陽崇拝だと思われます。現在では私たち全ての生命は太陽からのエネルギーをもらって生きているということを科学的に知っていますが、そうでなくても自然崇拝の対象としては当然と思えますよね。)
 
・前300年頃~
 古代アーリア人(インド・イラン)に広まっていたミトラ信仰が、ヘレニズムの文化交流を通して、地中海世界に広まり、古代ローマ帝国内でかなり大きな勢力を持つ宗教となる(西方ミトラ教)。
 
・300年頃  
 キリスト教が国教化されると、西方ミトラ教は抑圧され、ボゴミール派やカタリ派に変わる。   
 バビロニアから中央アジア、インドを経て大乗仏教へ習合(東方ミトラ教)。その後中国へ伝搬、弥勒教になる。
・500年~   
 朝鮮半島を経て仏教や道教と習合して断片的に日本に伝搬。聖牛の供儀、伎楽(七位階の秘儀の一部)、占星術、弥勒教の教義などが持ち込まれる。
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<弥勒菩薩半跏思惟像>
弥勒の梵名(インドの名前)マイトーヤはミトラと語源が同じで「契約」を意味します。

ミトラ教の変遷から分かるように、この宗教は適応力と柔軟性に富む宗教であり、柔軟な習合を一つの特徴とすることが分かります。基本形は、インド=イラン系の伝統とセム系伝統の融合から生まれましたが、その後ヘレニズム化、イスラーム化、中国化を経験しました。
ミトラ神は太陽神ですが、その性格は各時代、地域ごとに変化していたようです。
ミトラ神の性格の変遷

◆古代アーリア人の民族神としてのミトラ神:ミトラは「契約」と同義語で、友情・契約などを司る太陽神であるとされ、宇宙の秩序を維持する機能を有しているとされた。古代アーリア人が信仰する多神教の内の一柱だった。
◆ゾロアスター教におけるミトラ神:正義、契約、盟約、真実を司る。また、死者の霊は三日目に裁かれるとされ、裁神としての性質も持っていました。さらに、家畜や住居をはじめとする多くの富を与えると共に、戦闘における守護神としての性質も持つようになりました。

このようにミトラ神は自然神としての性格から、秩序を維持する神、戦闘の守護神、というように時代を経て性格も変化していることが分かります。
 現在の宗教は、太陽神崇拝、ミトラ神崇拝を出発点に様々な塗り重ねがなされたものであり、誰か一人の創始者が白紙から作り上げたものではないということですね。

投稿者 staff : 2010年05月09日 List  

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コメント

図解よくできています。
仏教はなぜ誕生したのか?なぜ衰退したのか?
図解にはインド社会の縮図があります。ぜひ一読してください。

投稿者 tano : 2010年8月1日 16:10

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