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2019年11月21日

人類の男の本来の闘争とは何か?⇒未知追求であり、統合であり、その実現態が長老システム

類グループで毎週開催されている実現塾で現在哺乳類の歴史を扱っている。
その中で哺乳類の最大の特徴として(オスの)性闘争=縄張り闘争の本能を著しく強化して適応したというくだりがある。これは胎内保育を実現した哺乳類は産み落とす個体が物理的に少なく、淘汰過程が成体後に引き伸ばされた為でより強い遺伝子を残す為にオス同士が闘争する事で勝ったオスの遺伝子が繋がれていく。この哺乳類の特徴を人類も残しており、オスの闘争性は種の存続に必要不可欠なものであった事は言うまでもない。

では、人類は歴史的にどのように闘争が行われたのだろうか?
言い換えれば人類の本源的な闘争とは何なのだろうか?多くの動物のように個体同志で戦い相手を駆逐するという事ではない。サル時代以上にオスメスの性差を広げ、メスの性機能を高めた裏返しとして人類のオスは極めて高い闘争性を本来持っている

極限時代を生きた古代人類も縄文人も・・・それは何だろうか?今回はそれを追求してみたい。

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ヒントは実現論の哺乳類の記事の最後に以下の記載がある。
「しかし、現哺乳類やサル・人類の性情動の強さから見て、やはりこの強すぎる性闘争本能を進化の武器として残し、それが作り出す限界や矛盾を乗り越えて新たな可能性に収束する(例えば親和本能を強化する)ことによって、哺乳類やサル・人類は進化し続けてきたと考えるべきであろう。」

~それが作り出す限界や矛盾を乗り越えて新たな可能性に収束する~
この闘争性をどこ向けたかがポイントになる。肉体的な強さだけではない事は直ぐにわかるだろう。人類の人類たる所以は脳にあり、頭脳労働、頭を使う事、その延長で手を使う事こそ、男の闘争の本質である事はほぼ間違いない。また縄文時代は既に採取生産に移行しており生産の一部(あるいは過半)は女達が担っていた。狩猟、漁労という男しかできない生産もあったが、食の中心ではない。

では男達は何をしたか?一言で言えば「未知追求」だと思う。

このテーマは過去の類ネットの投稿でも様々書かれてきた。
その中に土器は男が作ったか、女が作ったのかという問いがあり、学説でも決着がついていない。私はたぶん土器は男達が作ったのだと思う。あの薄さ、複雑さ、年季の入れ方、岡本太郎にして縄文土器は現代アートと遜色ない芸術性を生み出していたという。また縄文時代は人類初の定住を実現する。その上で竪穴式住居という夏は涼しく冬は暖かい理想的な住居を生み出す。定住の為の装置をつくったというのも男達の追求の成果だ。

しかし、歴史的に見れば縄文時代以前の古代人類の時代から男達が作り出してきたものがある。それが集団の統合であり、集団で生きるためのしくみを作り、集団のこども達を男に育て上げ、集団の中の女たちに安心して出産、子育てをする環境を作り出すことだった。
究極的には男達の最大の仕事(=闘争)とは共同体を作り守ることにあった。

それが縄文時代以降引き継がれたのが長老のシステムである。長老は集団の長であり、統合の要であった。人口が増え、共同体が接触し、同類圧力が高まった時に贈与というシステムを生み出して緊張と争いを緩和し、また互いに土器を交換して友好を深めたという仕組みつくりもまた長老が作り出した仕組みであり追求の成果だったに違いない。

縄文の男達
~前略~こうして見ると縄文の男はこと生活の面では殆んど2次的な存在であったことが伺えます。しかし、集団の首長は男であり祭祀を司る役割も大半は男が仕切っていたと思われます。おそらく社会的な統合を男が担い、実質は女が切盛りしたというのが実態でしょう。縄文後期には一部それが崩れ女の首長らしきものも誕生したという史実がありますが、大きくはそこは棲み分けがなされていたと思われます。

また、「縄文のムラと習俗」という著書の中では縄文の男の気質について面白い見解があります。縄文男子を例えると現代の東北マタギに近いと表現しています。(マタギ:寡黙で一本気で何事にも動じない強さを持ち、細心の注意と状況判断に優れる。)狩猟的な強い男の存在は採取時代にあっても必要だったわけです。そういう意味ではなにもしないように見える縄文の男の存在意義は有事の時の為に必要だったのでしょう。
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 現代、男女関係は危機的になり、中性化した男達の闘争力は地に落ちたかに見える。
しかし、人類史において現在ほど未知課題が蓄積している時代はない。それらを直視し、本気で向っていくなら、男との闘争性は再生する。人類滅亡から回避するには哺乳類の特徴である闘争本能を武器として新たな可能性に収束していくしかない。なぜ現代の男は闘えないのか⇒なぜ未知課題を直視しないのかであり、直視したなら一人ではできない、当然集団作り、集団統合、集団を引っ張るという次元の課題が登場する。
そこに一歩踏み出すことが現代の男の最初の課題になる。いかに集団をつくり次の可能性を作り出せるか、サル時代の性闘争とはかなりかけ離れた次元だが、それを生み出すのに使う能力はDNAに刻印されている危機状況で発現する闘争本能である事は間違いない

投稿者 tanog : 2019年11月21日 List  

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