女たちはなぜ強くなったのか?⇒元来、女性は強い。江戸末期から明治初期の女たちと現代女性は驚くほど似ている。 |
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2020年07月09日
子供が真ん中にいる社会~明治初期の外国人が見た日本
子供がすくない、あるいは産まなくなった社会は極めて危険だ。
逆に子供がそこらじゅうにいた江戸から明治の社会は子供の教育という点においても極めて健全だった。さらに大人たちは本当に子どもを皆で可愛がり、同時に自分の子供も他人の子供も同じように可愛がった。常に子供が社会の中心にあり、中でも赤ん坊や幼児への愛情は現在から見ると桁外れに大きなものだった。そういう中で年長の子供が下の子供を育て、子供が子供の中で育てられていった時代。現代のような核家族もなく大家族や地域共同体がしっかり残っていた時代である。
子供をどのように育てるかというのと、家族の人数や形態は実に一体のものであった。何を教えたか、著書では“秩序”や”躾“と書いているが、社内で生きていく術の全てを言葉を覚える事から教え込まれていく。親だけでなく周りの大人、年長の子供たち、皆で教えていく。つまりどう生きるかを伝えていく過程ではないか?
この時代に戻れとは言わないが、子供たちが社会の真ん中に居られるような社会にはせめてしたいものである。
「欧米人の見た開国期日本」の著書の中から紹介したい。
―――――――――――以下 著書からの抜粋―――――――――――
「日本人は多産な民族である。そこいらじゅう子供だらけで、その生き生きとした顔、ふっくらとした身体、活発で陽気なところを見れば、健康で幸せに育っているのがすぐにわかる。まだ小さくて歩けない時は母親や兄妹が背中におぶり、とてもよく面倒をみる。冬には、家の裕福さ加減に従って、暖かい冬服にくるまれる。少し大きくなると外に出され、遊び友達にまじって朝から晩まで転げまわっている」
これは1866年からほぼ1年間日本に滞在したデンマーク人スエンソンの観察による日本の子供らの姿である。子供らのこうした姿は第2次大戦まで変わらなかったように思う。その頃の日本の子供は、がいして躾が良く、行儀もよかった。バードは青森県の碇ヶ関で目にしたこととして、子供たちが親のいう事に従順なばかりか、仲間同士でも秩序をよく保っていることに感心している。子供たちの争いごとは、年長の子供の命令で解決し、大人の手を借りる事がない。バードが菓子を与えようとしても、子供らは親の許しがなければ受け取らず、受け取っても独り占めせずに、仲間の子供たちに分け与えるのが常である。
イザベラ・バードは日本人ほど子供を可愛がる人々を見た事がない、子供を抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子供の遊びをじっと見ていたり、加わったり、いつも新しい玩具を与え、遠足や祭りにつれて行き、子供がいないといつもつまらさそうである。他人の子供に対しても過度に愛情をもって世話をしてやる、と感じ入っている。
面白いのは彼女が、日本の祭りに子供向けの駄菓子や玩具を商う露店が数多く出る様子を見物して、日本の子供崇拝は猛烈なもので、どんな親でも祭りに行けば、必ず子供に捧げるための供物を買う、と比喩的表現をしていることである。
赤ん坊は母親におぶられるだけでなく、姉や兄にもよく負われたものである。十歳にも満たない小児でさえ、赤ん坊をおぶって子守することを、多くの欧米人が眺めて記録している。何しろ子沢山なので、母親一人では手が回らないのである。グリフィスは、跳んだ子が次には馬になり、これを繰り返している馬跳びにたとえている。貧しい家の少女が他家に子守として雇われることもあった。小児が赤ん坊をおぶっている姿を見ると、誰しもが児童虐待と思ってしまうだろう。赤ん坊は結構重いし、それを10歳にも満たない子供が、自分の体の自由もままならぬよう、背中におぶい紐でくくりつけられているのであるから。しかし、子供はそれを嫌がるふうもなく、母親気取りで赤ん坊を可愛がっているのである。
さきにモースやバードが日本の子供たちの躾のよさ、行儀のよさに感心していることを紹介したが、日本人は子供をただ猫可愛がりするのではなく、子供のうちに忍耐と謙虚さを教え込む事はすでにゴロウニンが指摘しているところである。バードも日本の子供たちはやっと喋り始める頃から礼儀の手ほどきを受け、それで十歳になる頃までには、あらゆる場合に応じて、何をしたらよいか、何をしてはいけないかを正確に知っている。と今ではまるで信じられないような事を述べ、また日本では親のいう事をおとなしく聞くのが当然の事として赤ん坊の時から教え込まれているともいう。
日本の子供の行儀のよさは家庭教育に並んで寺子屋の教育が大きな役割を果たしていた。寺子屋には江戸時代後期から幕末にかけて激増し、幕末期には全国で数万校にのぼっていたと推測される。こうした寺子屋に画一的な指導要綱はあったわけではないが、科目はかなりまちまちであった。しかし、読み書きと並んで、あるいは読み書きを通して道徳教育は必須だったようである。開国期に来日した欧米人を驚かせた日本の子供の躾のよさ、行儀のよさ、礼儀正しさには、この辺りにもあずかっていたのである。
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投稿者 tanog : 2020年07月09日 TweetList
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