縄文再考~自然への注視・一体化で定住を可能にし、1万年以上もの時代を築いた~ |
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2021年12月10日
【縄文再考】単一集団から組織集団へ、集団間のつながりが持続可能性と多様性の幅の広さを生み出した
みなさんこんにちは!
前回は定住化した縄文人の集団生活と集落の形成過程から集団をどのように形成していったかを辿ってきました。
今週は墓や埋葬方式から共同体として生きる縄文人の集団形態についてもう少し深堀していきたいと思います!
(1) 縄文早期末葉~前期初頭に集落の単一集団がゆるやかにつながっていった
縄文早期末葉~前期初頭は群集する墓=集団墓の出現期と言われています。
谷口康浩氏の研究(https://www.teikyo-u.ac.jp/bunkazai/wp-content/uploads/2020/12/3Taniguchi2004.pdf)では集団墓の分類を3パターンに分類し、集団の性格を以下のように考察しています。
A : 環状集落の中央部に多数の土甕墓が集中する、あるいは一定の区域に多数の土甕墓が集中するタイプ
⇒群集性・中心性の強い集団墓
B:居住跡に重複して土甕墓群が造営されているもの。墓域の輪郭が不明確でAタイプのような中心性や群集性がないタイプ
⇒緩やかな結合形態を示す集合世帯墓
C : 竪穴式住居跡の覆土または周囲に小墓群に造営し、住居に関連した単位性を明確にしめすタイプ
⇒小墓群に個別化した世帯墓
上記からCタイプのものは共住単位である家族や小単位集団のものであり、C⇒B⇒Aになるにつれて、それらの小単位集団が集まり組織化された集団となっていったと考えられます。
前回のブログから縄文中期の自然の豊かさと共生しながら複数の集団(世帯)が統合され、生産性の増大や高度化のために集団の拡大と役割の高度化をしていきました。
その過程の背景には、墓の造営を求心性として単一集団同士がゆるやかに集まりつながっていくことで集団が大規模化していったことが考察されます。
(2)集団墓によって統合・秩序化された集団にしかないもの⇒持続的な関係と社会の創出へ
単一集団で独立性(自立性)を持っていたCタイプ(あるいはB)に対し、Aタイプは大規模化と他単一集団とのつながりにより、多様性と持続性がより高度化されたことが推測されます。
小林達雄の研究ではAタイプのみが持つ集団の特徴として点として
①広場②遠隔地からの物資の保有量③第二の道具④集落の継続性
の4つのポイントを挙げています。
また小林氏からの研究ではAタイプの墓からは他の2つのタイプの墓に比べて玦状の耳飾や美麗な石製装身具や石匙の副葬品についても多く出土していることが明らかになっています。
集団規模が大きくなり持続性の高くなった集落では、人口増や道具の発達により遠隔地との交流・他集落との交流が行われていったことが分かります。
▲墓からの副葬品(縄文遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/235878)
(3)集団墓が組織の統合軸へ⇒家族単位の集団を超えて共同体としてつながる
環状集落では広場の真ん中に墓があるように集団墓が集団を統合する求心軸となっていたことが推測されますが、
そもそもなぜ集団墓が求心軸となっていったのでしょうか。
Cタイプの集団墓では竪穴式住所の跡地に埋葬されていることから家族による単一集団での埋葬が中心であり、
埋葬土器などの埋葬形式からみられるように、血縁関係の繋がりや系譜を重んじる思想を垣間見ることができます。
血縁関係でない集団同士が集落の中心で同じ墓に埋葬されるという風習は
血縁関係=生活単位の集団を超えて、他の単一集団とも強くつながる=生産性を超えた共同体としてのつながりが生まれていった
のではないでしょうか。
墓を求心軸として生まれた社会制度の中で、縄文人同士のつながりや役割を継続して追求していきます!
投稿者 hanada : 2021年12月10日 TweetList
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