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2009年12月29日

【年末年始特集】シリーズダイジェスト『日本人は闘えるのか?』

政権交代に揺れた2009年。社会が混迷した今年も、終わりを迎えつつあります。2010年もまた、政治経済が混迷しそうな気配。さらなる経済危機もあり得る波乱の年になりそうです。
そのような状況の中で、私たち日本人は突破していくことができるか?このような問題意識で今年の9/24~10/26に掲載されたシリーズ記事「日本人は闘えるのか?」
ダイジェストでお届けしたいと思います。
正月休みに、ゆっくり来年の準備をしてみてください。
闘っていきましょう!
byさーね
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新テーマ:「日本人は闘えるのか?」①~縄文から流れる日本人の可能性と弱点

同類圧力(私権圧力)の満ちる空間=社会に対して、とことんそれを捨象した、これが縄文人=その後の日本人の特徴だともいえます。つまり大半は、それを前向きの可能性として受け取ったとはいいがたいように思います。これが身内意識の強さや、お上意識の強さ等の、本源的だが社会空間に対して閉鎖的な日本人の体質として、現在も濃厚に残存しているといえるのではないでしょうか。

「日本人は闘えるのか?」②~日本人の特性(外国人から見た日本と日本人)

日本人に序列(格差)意識がないこと、言い換えれば皆が皆の為になることを喜び(=活力源)として社会が成り立っていることのようですね。これをさらに一言で言えば「共認統合の社会」と言うことなのですが、そのような外国人も感銘するほどの社会を長い間日本人続けてきた訳で、そこが「日本人は闘えるのか?」に対する一つのポイントになりそうです。

「日本人は闘えるのか?」③~次代の実現基盤(「老舗企業大国」日本)

我々は、老舗企業と聞くと、歴史と追求の深さを感じることがありますが、客や人々,社会に対する同化度の深さと同時に、様々な社会問題に対してもアンテナを立て、それに応えるには?と常に考えているからではないでしょうか。
多かれ少なかれこのような”老舗企業”を残してきた日本は、経済破局=市場原理崩壊という状況の中で、利益第一という枠を超えて、実現方針に向える基盤があると言えるのではないでしょうか。

「日本人は闘えるのか?」④~不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰

では、社会が「私権第一」「個人第一」に染まる中、こういった社会的役割=期待に向かっていく企業を数多く産み出した日本人の精神構造はどこで創りだされたのでしょうか??
そのヒントに、常に対象を直視する思考・縄文時代の『精霊信仰』があるのではと思います。
現実を対象化し、受け入れ期待し応えていくことこそが『精霊信仰』です。
縄文社会で培われた万物との同化を試みる精神構造が脈々と受け継がれる日本人だからこそ、否定と自我に立脚した近代思想の蔓延る時代においても対象を見失わない強さを持つことができたのではないでしょうか。

新テーマ:「日本人は闘えるのか?」⑤

闘うための第一の条件である「闘争共認」構築の基盤は、日本人の意識の底流にある「縄文体質」として充分あると言って間違いないと思います。
そしてその戦いに勝つためには、「相手を知り、己を知る」ための徹底した事実追求が必要不可欠です。

シリーズ5回の投稿の中から、ポイントを抽出して構造化してみると。
縄文時代に培った「精霊信仰」
 ⇒常に、現実を受入れ期待に応えていく意識構造⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
⇒私権圧力を捨象した→序列意識がない<私権時代>      ∥
⇒皆のためになることが活力源                     ∨
⇒目の前の対象だけでなく、それを超えた社会を対象化 ⇒同化の深さ
⇒★闘争共認の基盤構築へ???
さて、実は、日本人の弱点が一つ見えてきます。
★闘争共認の基盤の構築。
これが、現代の日本は、国家レベルで構築できていません。外交政策を見ればわかるように、私権社会の中ではほぼ敗北し続けているというのが事実です。(敗北というよりも、外務省官僚は米CIAに好き勝手に支配されているとも言えますが・・・⇒ベンチャー革命
ところが、既に社会は変わりつつあります。
>私権欠乏の衰弱(or崩壊)は誰の目にも明らかであり、私権圧力も衰弱(or崩壊)している。私権原理が崩壊してゆく流れは、もはや変えようがない。
>共認原理に基づく新秩序が確立されるには、少なくとも10年は要するだろう。
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
私権時代→市場原理の時代は既に終焉しつつあり、そこに可能性はない。次代の可能性「共認原理」へと向かっているところですが、それが明確に人々の意識として顕在化していないこと。まだまだ私権制度のままであり、それが特権階級の暴走を許していること。
既に、日本人には精霊信仰という基盤にあり、集団や社会まで対象化し同化できる可能性は明らかにしました。来年は、この日本人の可能性を基盤にして、「共認社会」実現に向けて闘いに出る年なのではないでしょうか?
それでは、皆さん。
良いお年を!

投稿者 sawatan : 2009年12月29日 List  

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コメント

>それは、緊張状態を一番いい状態で回避するには に頭を使ったことです 緊張→闘争ではなく、共に生きる=共生しようと、その方向に適応したのです。縄文時代一貫してこうして適応してきた、そのための手段の一つが”贈与”だったんですね
なるほど、集団間が共生するために頭を使ったのが縄文時代。
集団が生き残るために武器を使ったのがその後の私権時代。
適応のためには常に頭をつかってどうする?を考え続けた古代の思考方法に現代に通じるヒントがありそうです。
・・・最終回はかなり楽しみです。

投稿者 tano : 2010年3月14日 16:00

こんにちは
 ?に頭を使い、共生という認識に適応して、それが私権文化が輸入された弥生、そしてそれ以降も確実に受け継がれていたことは、縄文に端を発した『気質』だと思っています。だからこそ、遺伝という形で受け継ぎ可能だったのでしょう。
 ?の末が共生だったことは、日本が世界に向けて発信できる、優れた特性だと思います。
 

投稿者 milktea : 2010年3月14日 19:10

tanoさん、milkteaさんコメントありがとうございます☆
>適応のためには常に頭をつかってどうする?を考え続けた古代の思考方法に現代に通じるヒントがありそうです。
>?の末が共生だったことは、日本が世界に向けて発信できる、優れた特性だと思います。
縄文時代の適応方法(共生)に学び、現代の適応方法とは?を追求しています♪
次回(最終回)を楽しみにしていて下さい☆

投稿者 ぴんぐ~ : 2010年3月16日 20:58

>一番いい状態で回避するには ?
現代でも課題に直面したときにこういう発想は大事ですね。
それは、相手を敵視するでもなく、逃避するでもなく、あくまで現実の課題を直視しているからこそ出来る実現思考なのだと思います。

投稿者 鯉太郎 : 2010年3月16日 22:40

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