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2010年03月13日

私権文明を問い直す シリーズ7 私権の共認と一対婚の特殊性

こんにちはsaahです。
前回、私婚の共認からいかにして私権の共認に繋がってゆくかを投稿しました。
今回もう少し、その因果関係を補足してみたいと思います。
■ポイントは、本源集団の解体により婚姻規範が消滅して私的な婚姻関係(私婚)になったこと。
○私婚関係から性権力の共認へ
 女:本源集団を失った女が性を武器に存在権確保に向かう
   →男を挑発しつつ供給制限⇒性の幻想化
 男:(農耕で)生産基盤の安定=外圧低下⇒解脱収束→性欠乏上昇
   →女の挑発と供給制限でますます性欠乏上昇
両者が重なって「性的商品価値の共認」が成立。
それを手に入れる為に男は女に迎合せざるを得ない
∴「私的な男女解脱共認が成立」=「性の権力化」
こうして性権力の共認が成立します。
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○性権力の共認から占有権の共認へ 
女:性を武器に存在権の安定確保の為に私有要求を強める──┐
                         占有権が共認される 
男:性権力を共認している以上男は女の要求に迎合   ──┘
○社会の最基底部にある私的な男女解脱共認に基づいている以上、占有権の共認も社会の最基底部の共認となる。⇒「私権の共認」
○社会の最基底部の共認を「私的な男女解脱共認」とし、それに基づく私的な婚姻関係を基底単位とすれば、私権に基づく私的婚姻=私有婚は社会の最基底部の制度となる。
∴婚姻関係は私有婚=一夫多妻となる。(一人の男が女を所有する)
さらに世代交代のたびに土地の分割単位が縮小され、養える女の数が減り一夫一婦制へ!
一対婚とは、そもそも本源集団が消滅したが故に出来た「私的な」男女解脱共認に基づく占有権(私権)の共認により生まれた私有婚である。もともと本源集団内では、婚姻関係に限らず私的な関係などなく、したがって婚姻関係も総遇婚であった。
■一対婚の特殊性
以下、実現論より引用です。
****************************

今日、一対婚はあたかも人類の始原からそうであったかの様に、思われている。あるいは、初めはそうではなかったとしても、ごく自然に、一対婚という「あるべき形」に移行してきたのだと信じられている。(例えば、サル学者の中には、何とか一対婚家族の萌芽を見つけようという偏見に満ちた問題意識を持ってサル集団を研究している者さえ、多数いる始末である。)だが、それは大きな誤りである。事実は全く逆であって、一対婚は女と男の性的邪心を源泉とする掠奪闘争の帰結として、掠奪国家によって作られた私権(性権と占有権)に基づく婚姻制であり、かつ世界中が自然に移行したのではなく、掠奪国家が人口の過半を占める採集部族をはじめ全ての平和な部族を皆殺しにし、あるいは支配することによって強制的に普遍化されていった婚姻制である。

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一対婚規範が書かれた「十械」(写真はこちらよりお借りしました)

なお、この点でも日本は特筆に値する文化基盤を持っている。日本人は長い間、採集部族として総偶婚(それも、最も原始的な兄妹総偶婚)を続け、一七〇〇年前に朝鮮からやってきた侵略部族に支配され統一国家が形成された後も、長い間総偶婚の流れを汲む夜這い婚を続けてきた(夜這い婚は、昭和30年頃まで一部で残っていた)。国家権力によって上から押し付けられた一対婚が庶民に定着するのは江戸時代中期からであり、現在までわずか三〇〇年間ぐらいしか経過していない。婚姻様式が社会の最基底に位置するものであることを考える時、この総偶婚のつい最近までの残存(or 一対婚の歴史の浅さ)は、日本人の心の底に残る縄文人的精神性を物語る貴重な文化基盤である。

東洋と西洋の違い(リンクリンク)でも挙げたように、日本は1700年前まで掠奪闘争に巻き込まれず長い間本源集団を残し、それゆえ婚姻関係も総遇婚の流れを永く残してきました。
形の上では大陸からの侵略部族による支配を受け入れながらも、実質上は総遇婚の流れ、本源集団の規範を残してきた日本人。
私的な関係による充足よりも、本源的な集団性による行動により、日々充足を得てきたといえます。それは婚姻関係のみならず、ありとあらゆる関係において、私的な関係に勝るものだったのではないでしょうか。

投稿者 saah : 2010年03月13日 List  

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コメント

インドの基礎情報わかりやすくまとめてもらっています。
インド代表判事パール判事(ラダ・ビノード・パール、1885年1月27日 – 1957年1月10日)はイギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪であるとして、日本無罪論を発表した。
パール判事の話は以前NHKの特集で見たことがありますが、持論を展開し、最後まで無罪を主張した粘り強さと、場の空気に左右されない認識力には驚いた記憶があります。
インドの強さはこのような能力が突出してくる全体の強さであり、逆境に屈しないだけの大衆の力だと思います。
以前るいネットに投稿したパール判事の記事を紹介しておきます。
「パール判事から見た日本と西欧。」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=159146
「パール判決文から何を学ぶか?」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=159164
「なぜパール判事は無罪にしたのか~日本での公演より」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=159167

投稿者 tano : 2010年5月29日 11:32

デリー市内に立つインド独立の志士チャンドラ・ボースの像の左後ろにいる鉄兜を被った兵士は日本兵とのこと。
———————–
「東京裁判は、二十一世紀に入れば必ず多くの亜細亜の国々によって見直されるであろう。そして第二回東京裁判が実現する。その頃は亜細亜も世界も良識を取り戻して、総てが公正にして真理の法の前に平等に裁かれる」
「その時こそ東亜積年の侵略者であった欧米列強の指導者達はこぞって重刑に処せられ、かつて重罪をこうむった日本人集就中A級戦犯の七柱は一転して全亜細亜の救世主となり、神として祀られる日が来るであろう。またそのようになるべきである」
★インド独立運動指導者 ヘランボ・ラル・グブダ『世界がさばく東京裁判-85人の外国人識者が語る連合国批判』終戦五十周年国民委員会より
———————–
【大東亜戦争の真実】(YouTubeより(http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0&feature=fvw))
インドは、かなり古くから親日的傾向があったようですね。この傾向は、何を意味しているのでしょうか?事実を見極める本源性が残っているのでしょうか?解明したいですね。

投稿者 匿名 : 2010年5月29日 20:36

>現在のインド人は先住民のドラヴィダ人と中央アジア方面からやってきたアーリア人との混血であるといわれている。
その後も北方からの征服部族がやってきていろいろ混ざっている感じがします。ムガル帝国などはモンゴル部族の征服王朝だし。
たぶん北方(ガンジス流域など)ほど混血率がたかく、インドの南の半島部程、逃げ込んだタミル系が多いのではないでしょうか。そう考えると広大なインドもかなり地域で差異がありそうな感じがします。

投稿者 Hiroshi : 2010年5月29日 20:55

食料の自給率100%以上やインド人の活躍には驚きました。
さて、アフリカの鉱物資源を押えるために中国と競うように援助したり、国内の株式市場も発展しており、グローバル化と市場化が進んでいるようですね。市場化の促進は貧富の差を生みます。又、生涯固定の身分制度であるカースト制度が残るために特定の貧しい層が残りそうですね。国家の統合度を計る、この貧富の差の実態が知りたいとろですね。

投稿者 sakashunn : 2010年5月29日 21:02

tanoさん、コメントと記事の紹介ありがとうございます。
>「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者がこのように重大問題として真剣に取り上げているのに、肝心の日本において、これが一向に問題視されないというのはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。米国の巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまった」(二十七年、大阪弁護士会での講演)
 普天間問題を見ると、未だに、日本はアメリカには逆らえないようです。総理があれだけ強く主張していたのに、アメリカが駄目といえば、諦めるしかないようです。このまま退陣するのでしょうか。
 バックボーンを構築して、気力を再生しなければと強く思います。

投稿者 tama : 2010年6月1日 01:16

Hiroshi さん。コメントありがとうございます。
 そうですね。ドラヴィダ人とアーリア人が比率がかなり高いとしても、日本と同様、多くの部族が混血していそうですね。
 そのあたりももう少し調べてみたいところです。

投稿者 tama : 2010年6月1日 01:21

sakashunnさん。コメントありがとうございます。
>食料の自給率100%以上やインド人の活躍には驚きました。
そうなんです。僕もびっくりしました。
>生涯固定の身分制度であるカースト制度が残るために特定の貧しい層が残りそうですね。国家の統合度を計る、この貧富の差の実態が知りたいとろですね。
 インド人の書いた本を読むと、一党独裁の中国と違って、民主主義が実現しているので、貧しい中にも希望を見いだし、明るく生きていると、長期的には、インドの方が活力を維持して成長できると考えているようですね。
 

投稿者 tama : 2010年6月1日 01:28

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