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2018年12月31日

「縄文体質は次代の人類の可能性!」第4回~政治が変わる

第4回は政治が変わるです

年の瀬を向かえ、今、株価は急落し、先行き不透明感が漂っています。実態経済とはかけ離れた金融経済限界にきており、ロシアをはじめ、中国、アメリカも民族主義を強め、グローバル化の波は沈静化にむかっているように世界経済は激変の時期にさしかかっています。 国内の政治不安も最高潮に達し、官僚の不正や大企業の不祥事など、近代以降の政治、経済システムは崩壊の危機を迎えています。

そして、日本においては、私権の強制圧力はもはや働かなくなり、先進国に先駆けて国民の活力がはなはだしく低下しているのが現実です。

こうした社会状況の中、来年は新しい元号の年を向かえます。

これまでの、私権や市場を活力源とした時代から転換し、人類が本来持つ本源的価値観を道しるべとした、新しい活力源の創造の時代に可能性収束する時期が来たのです。

今回は縄文時代から脈々と引き継がれてきた日本人が持つ縄文体質を土台にして、完成された江戸時代の自治システムなどを見直しながら、新しい経済システムとして期待される贈与経済やベーシックインカム、国民自らが政治に参画する制度について考察していきます。

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【日本の歴史における税と贈与】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=339662

あたかも教科書では律令制度をもって初めて税制が導入されたかのような記載であるが、それ以前の日本の風習に「貢納制度」があった。とりわけ「租」「調」は、唐の税制の輸入とされているが、その内実は、本家のものとはかなり異なっており旧い習俗の「貢納制度」(贈与)の系譜を引く部分が大きい。税である限り、強制力(武力)を背景にしていることは一面の事実ではあるが、共同体性をより強く残した日本においては、人々の納得・合意が不可欠であったためであろう

○神への貢物(贈与)と古代の税 唐の税制が国家からの徴税という性格がストレートに出ているのに対し、形こそ似ているものの、日本における律令制の税制である「租」と「調」は神に対する貢物(贈与)が税に転化したものであるという性格が強い。 まず「租」は収穫の約3%と非常に税率が低い。かつ、治められた収穫物は中央には送られず、地方に保管されていたことが特徴である。これは、もともと「租」が、律令制以前に各部族にて、収穫の一部を「初穂」として神の代理人たる部族の長に貢納する慣行を土台にしているからと考えられる。

他方「調」は、絹・布等の各地の特産物を中央政府に納めるというものである。しかし、それらは主要に神事に用いられていた。 日本では神に対する贈与は、必ずしも多額である必要がないというのが特徴で、実はこの額の少なさこそが日本における初穂の特長なのである。日本の贈与文化における「寸志」の土台を反映したものでもあったのだ。

【贈与関係が取引関係を制覇する時代がくるhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=340568

贈与経済が実現するまでには100年ぐらいはかかるかも知れないが、現在においてもその萌芽はいろいろある。意外とそう遠くない将来に実現するかも知れない。

日本人の働き方は、昔から取引関係よりは贈与関係を大事にしてきたという面はあるが、近年になって贈与関係の比重は増していると思う。おそらく、それは人々の活力源=仕事の目的が私権から本源へ移行していることが背景にある。私権時代は、モノやサービスの機能に対する価格の競争力が市場の制覇力だったが、本源充足の実現可能性が開かれた時代になると、価格競争力よりは、本源充足力が制覇力になっていく。贈与という行為は、本源充足力のベースになる行為であるがゆえに、贈与関係が取引関係をも制覇するようになってきているのではないかと思う。

しかし、それは取引関係を有利に進めようとする邪心から来るものでは本物ではない。邪心が見抜かれると、逆に有難迷惑ともとられかねない。元々の日本人の精神がそうであったように、贈与関係は、邪心抜きで、見返りを求めない純粋な心からしか生まれないということは肝に銘じておきたい。

【『近代日本』の核心は、江戸時代に作られた。(明治になって金貸しが作ったのではない。)】http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/07/7854.html

歴史の事実はといえば、日本は、江戸時代にはすでに近代国家、工業国として突き抜ける「核心の構造」を自ら作っていた。金貸しが日本を近代国家にしたのではなく、江戸時代に日本人が自らの手で作ったのだ。

そもそも近代化とは何か。それは武力支配から、資力支配へと、社会のシステム、活力源が転換していくことである。

日本では江戸時代に武力闘争が終焉(封鎖)し、幕府・藩の政策は生産力拡大(農耕地拡大)へと収束する。結果、生産性上昇とそれによる人材余力から多様な商品作物、手工業が発達し、都市拡大による需要増がさらに工業の発達を促し市場社会が発達する。農業生産拡大、大都市形成、工業生産、物流網、識字率、人々の可能性収束、あらゆる点で市場社会は完成していた。実際、19世紀に入るころには、工場を作ったものが賃労働者を集め、分業と協働で加工生産をする工場制手工業も現れた。

だから黒船がやってきたとき、日本人自身の意識に反して、事実はといえば、準備万端、いつでも来いの状態だった。市場社会として一気に進化する準備が整っていたし、市場社会で産業⇒科学技術を吸収、肉体化する動因が十分なので、明治維新からたった40年でロシアに勝利したのだ。江戸の社会変動に比べたら、明治維新は本質的には大した変化ではない。

江戸以来、(縄文の伝統に加えて)日本人が作ってきた社会の力について改めて認識する必要がある。

【私権が介在しなくとも楽しく生きて行ける場=共認国=日本へ!!】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=333251

幕府に認められた村落の長を中心とした共同体(=人々の充足感)を核として、災害と共存しつつ、全てのシステムが統合されて花開いたのが江戸であろう

主体はあくまでも庶民の共同体自治にある。 庶民は、自ら手で自らの生きる場を自然と一体化した循環社会の中に共同体を作ってきた

江戸時代には災害と連動したシステムがあった。一年を通じて温暖な国と違い、転変地異がいつ起こるかわかない災害の国。四季は多くの食物を供給するが夏の暑さや冬の寒さは半端でない。そのどうしようもない自然に同化して来た民は、庶民とお上の関係を互いに共存共栄が可能にするべく絆を強くしてきた。西欧の搾取一辺倒の歴史とそれを弛緩させる宗教の介在の歴史と全く違う。

江戸時代は、乱世が終わって人や物資が行き交い出し、藩の評価指標も石高から市場(=お金)に向かい始めた。藩は生き残りをかけて市場を通じて生産力を高める方向に舵を切った。人々に喜ばれる物を必死になって生産する同類闘争に挑んでいった。(例:美しい絹織物・・・) 人口が増えて次男、三男と家族が増えるに従って藩外に出稼ぎに行く人が出てくる。江戸はその受け皿で、世界最大の都市になった。 この出稼ぎが大工等の技術者集団を生み出し、その集団の交流が促されて更に技術が高度化していった。正に同類闘争そのもの。

最大の生産力は、贅沢(浪費)をしない勤勉で生活を工夫しながら(充足する)庶民だ。余談だが、大福餅が生まれた背景は、売れない餅を何とか売ろうとした女の必死の想いだった。庶民は必死にアイディアを考えて行動(=商いを)していった。

そんな庶民が寄り添う町には秩序が生まれ、治安良好。清潔感に溢れた街で西洋のそれとは大違いだった。なるほど、世界一、幸福な国民だ

江戸時代の流れを汲む日本は社会主義国でも資本主義国でも宗教主体の国でもない。共同体運営の「共認国」だ。

経済破局をした際、共認国では、必要か否かを徹底的に追求し、自然の摂理に則して無駄を無限小にする。そのために新たなフリーエネルギーの開発等に力をかける。余力が生じれば新たな人々の喜びに向かって同類闘争を加速させてより追求充足を味わえる社会に向かえば良い。

途方もない力=自然外圧に同化し、庶民はお上を自ら共同体運営の一助として選んだ。一助にするならば、お上の仕事も庶民の仕事。ならば、庶民から選ばれた者が国政を参勤交代制度で実施すれば良い。自然外圧の突破も国の体制を安定(共同体)化させた余力で、同類闘争をエンジンにして科学技術を高めて行けば良い。

新たな天変地異が変移を生み出し、科学が安定をもたらす。これを繰り返すことが生きて行く活力を∞にする。その意味で正に日本は最大のポテンシャルを持っている国だと思う。

【ベーシックインカムは縄文精神の再生につながるのではないか】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=319475

社会が行き詰っている今、求められているのは、新しい価値観と新しい秩序です。日本でのベーシックインカム導入は、縄文精神の再生につながるのではないかと思います。

ベーシックインカムを導入すると働かない人が増えるという批判があります。そういう人もいるかもしれませんが、それで社会や経済が停滞するようなことはなく、むしろ活性化する側面の方が大きいでしょう。働くことの喜びは、むしろ自分が誰かの役に立つことや、何かを生み出すこと、必要とされていることのなかにあるからです

人情が廃れたとはいえ、自分だけが得をすることより人との調和を求めることや、困った時はお互い様の気持ちは、人々のなかに生きています。

6400人を越える人たちが犠牲となった阪神淡路大震災の時、人々は隣近所で助けあって、瓦礫の下に取り残されている人たちを救いだし、戦場のような現場で乏しい水や食料を分けあいました。あの大混乱のなかで店舗などへの略奪や、暴動が起きなかったことに、外国人のジャーナリストは驚いたといいます。地域の人が助けあい、全国から沢山のボランティアが駆けつけ、奇跡のような人間どうしの助けあいと心の通いあいの関係が生まれました。

太古の昔からこの列島の人々は自然を敬い自然に寄り添いながら、調和と共生のなかで生きてきました。近年の研究で、縄文と呼ばれる時代は「原始時代」などではなく、世界最古の高度で豊かな文化を持ち、1万年の長きにわたって奪いあいや争い(戦争)のない社会だったことがわかってきています

外国からの観光客は商店の店先に積み上げられた商品を誰も盗っていく者がいないことに驚くそうです。この国にはベーシックインカムを実現する土台や条件がそろっているのです。ベーシックインカムに基づくゆるやかなわかちあいの社会の実現は、この国が世界に誇れる新しい社会のモデルとなり先駆けとなる道でもあります。

 

【活力革命と社会革命】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=315861

原始集団は友好関係を維持する為に贈与関係を形成したが、このような共認機能に基づく集団相互の協調関係は、社会統合の母胎として、今後も存在し続ける。(中略)

従って、意識の統合軸を、近代思想=架空観念から事実の追求・事実の共認へと転換させることが、社会革命の第一歩となる。 もちろん、「事実の共認」は統合軸ではあるが、そこには具体策は一切無い。しかし、集団間の利害の調整であれ何であれ、社会統合上の具体策は、「事実を追求」すれば誰でも思いつく。そして、最も追求度の高い=共認形成力の高い成員が提示した策に収束してゆく。

そのように、社会を統合するという課題は、自ら行政を担うということとほぼ同義である。従って、行政機関こそ、皆に選ばれた行政委員によって担われなければならない。 また、現在の官庁は、夫々に一つの集団を形成しているが、集団である以上、自省の利益第一に収束してゆくのは必然である。更に、県・市・町レベルになると、親方日の丸の生涯固定身分なので競争圧力が殆ど働かず、その結果、公務員は民間の半分しか働いていない。

このような官僚機構(地方公務員を含む)の欠陥をどう突破するか?そもそも、各集団を統合する位置にある各省庁や各市庁それ自体も一つの集団でしかない所に、構図的な欠陥が潜んでいる。統合機関は、それ自体が集団を超えた組織原理で構築されなければならない。 問題の根は、生涯固定の身分にある。成員が生涯固定身分である限り、それは単なる集団にしかならない。それを崩すには、例えば3年毎に交代する新しい形の参勤交代制が不可欠になる。社会の原点を成す集団(農漁共同体や商工共同体)によって推薦された者が、統合機関に3年間出向する。もちろん、統合機関の側でも、その者が適任かどうかを選考する。 行政委員は3年経てば、民間の共同体で農漁業や商工業に従事するので、生涯固定身分の時よりも遥かに優れた改革案を思い付けるに違いない

社会を統合するためには、単位集団→地区→市・区→府・県→中央という5段階の機関が必要になるが、社会の原点を成すのは(個人ではなく)単位集団であり、それは成員の自治による共同体でなければならない全員参加の自主管理共同体で培われた集団統合の能力が、行政を担う能力の原点になる。 現存する集団の大半は権力体であるが、農漁村や民間企業に法人格を与え、法律を改正して合議制(or全員株主制)に変えれば、権力体から共同体への転換は、簡単に実現する。その場合のネックは唯一つ、成員の集団統合能力の貧弱さであり、逆に言えば、集団統合の能力育成こそが、次なる最大の課題となる。

投稿者 tanog : 2018年12月31日 List  

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