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2020年12月10日

コロナ後は生活が変わる~江戸に学ぶシンプル生活の知恵2 「世の中にはわからない事もある」⇒「実はわからない事だらけ」というのが事実

前回ごみの話を通じて江戸の社会のリサイクル社会を通じて現在のグローバル社会の問題点を示し、我々は資源が有言で自然の中で生かされている規模の大きな「閉鎖系」社会、有限な社会の中で生きているのだという現実を示した。
同じブログの記事にもう一つ江戸に学ぶ記事があったので今回はそれを紹介して考えてみたい。傲慢な科学者と謙虚な素人という視点だ。現在のコロナにおける状況、これを社会は科学で抑え込もうとしている。様々な製薬会社が投資し効くかどうかが未解明なワクチンを既に運用を初め、副作用のリスクを冒しながら人体実験をしている。

これはどういうことだろうか?仮にコロナが解明不可能な化け物として、それを科学の力で突破しようとしている。しかし素人の私たちはコロナについてそれほどの必要性も恐怖も感じていない。インフルエンザよりはるかに死亡率の低いコロナは解明不可能でもさして問題ないからだ。
逆にコロナの恐怖を騒ぎ立て、混乱させているマスコミ始めとする側の人たちにこそ化け物のそれを感じる。

下記の記事に「世の中にはわからない事もある」という謙虚さこそが科学万能の現代社会の病を治す道だと説いているが、事実は「世の中にはわからない事だらけ」だから人間は常に追求し続ける事で辛うじて存在しているというスタンスの方がしっくりくる。

「江戸時代」に学ぶということより紹介します。
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「一日江戸時代」の疑似体験ではろうそくを使っていたが,実は江戸時代ではろうそくは贅沢品で庶民は綿実油や菜種油,イワシの油などを燃料にしたあんどんで生活していたのだと石川氏は言う。「早起きは3文の徳」という諺があるが,これは早起きをするということは早寝をすることにつながるので,あんどんの油を3文ほど節約できるという意味なのだそうだ。

 「(前略)がむしゃらに突き進んだ科学の進化は,あらゆる所に光を当て,化け物の存在を許容する物陰を奪い取ってしまったのかもしれませんね。この“物陰”が,我々の心の余裕とも言い換えられると思います。光の当たる所へ引きずり出すためには,擬似でもエセでも良いから,科学的に見える衣を着けなければいけない様な強迫観念にも似た余裕の無さ。個人的には,いかに科学が進もうとも,解明できない事象,説明できない事象が必ず残ると思っています。具体的には“人の心の領域に類する事”が多いでしょう。そして,その畏怖こそが,科学者・技術者に最も必要な“謙虚さ”を産むと考えています。同時に,現代人である我々に欠けている物だとも(後略)」

 つまり,蛍光灯を煌々と照らして部屋から暗部をなくしたように,近代科学はその時点のレベルでは解明できない事象まで無理やり説明しようとしてきた。それは,解明されたことが「正しい」かどうかというよりも,「解明されたと思い込む」ことによって精神的に安定してきたように見える。近代人は「解明できないものでも解明しないと気がすまない」という強迫観念にとらわれた「病人」なのかもしれない。

 そしてその「病気」を癒す一つの道が,「世の中には分からないこともある」と「謙虚」に考えることだという。コメント氏はさらに,そうした「謙虚さ」の欠如が,独りよがりな製品開発につながり,「その挙句が“魅力的な製品が出来ない”,ひいては“物が売れない”と言う事態を招いている」のではないかと見る。

 「江戸時代のあんどん」からだいぶ「遠く」にきてしまったようだが,「暗部=化け物」を許容することが,現在の製造業が抱えている課題を解決するかもしれないという点に,「江戸時代」に学ぶ一つの意味を見い出すことができるのかもしれない。

投稿者 tanog : 2020年12月10日 List  

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