| メイン |

2017年08月24日

「教科書の嘘を検証する」第4回~百済からの支配者が押し進めた律令国家への歩み

第4回は日本の国家が形成される時代、奈良時代の直前を書かれた部分です。ここは天皇制の始まりを表現する重要な箇所で、また謎の戦争 白江村の戦いを書いた部分です。その後の日本の骨格となった天皇制、律令制をこの時代に表現する場面。
教科書はどのように表現したのか興味深いですが、やはりここも非常に曖昧に書かれています。何よりこの時代を取り仕切った藤原不比等については全く名前が登場していません。
教科書の記述を先に書き、おかしな部分にアンダーラインを入れて後で書き換えを試みます。

>「律令国家への歩み」
朝鮮半島では、唐が新羅と組んで、百済をほろぼしました。663年、日本は百済の復興を助けるために大軍を送りましたが、唐と新羅の連合軍に敗れました(白江村の戦い)。唐と新羅は高句麗もほろぼしましたが、やがて新羅は唐の勢力を追い出し、朝鮮半島を統一しました。
中大兄皇子は、西日本の各地に山城を築いて、唐や新羅からの攻撃に備えました。大津宮(滋賀県)に都を移した皇子は、ここで即位して天智天皇となり、初めて全国の戸籍を作るなど、改革を進めました。

 にほんブログ村 歴史ブログへ
天智天皇の没後、あとつぎをめぐる大友皇子との戦い(壬申の乱)に勝って即位した天武天皇は、都を飛鳥にもどし、天皇の地位を高めて律令や歴史書をまとめるよう命じるなど、新しく、強力な支配の仕組みを作り上げていきました。
天武天皇の没後は、その皇后が持統天皇として即位し、藤原京を造る等、律令制度を実施する準備を整えました。藤原京は、中国の都にならい、道路によって碁盤の目のように区画された、日本で初めての本格的な都でした。「日本」という国号が定められたのもこの頃と考えられています。

教科書の嘘のポイントは以下です。

1.白江村の戦いについてなぜ日本が百済の復興を助けたのか?
単純に不思議に感じるはず。生徒から質問が来たらどうするのだろう?

2.戸籍制度を日本で初めて作ったのは中大兄皇子ではなく、その前の蘇我の時代である。(569年に最初の戸籍制度ができている。)

3.実質的な天皇は天武天皇からである。

4.歴史書(日本書紀、古事記)にまとめるように命じたのは天武ではなく、その後に躍進した藤原不比等である

5.藤原京を造ったのは持統天皇ではなく藤原不比等である。

この時代が最も表と裏がある時代。裏は汚い(生徒に教えるものではない)から教科書に載せないというのでは時代の力学や歴史は明らかにならないと思います。この時代を以下のように書いてみました。百済と日本の関係は非常に重要になります。

「百済からの支配者が押し進めた律令国家への歩み」
朝鮮半島では、唐が新羅と組んで、百済をほろぼしました。唐と新羅は高句麗もほろぼしましたが、やがて新羅は唐の勢力を追い出し、朝鮮半島を統一しました。
中大兄皇子は、西日本の各地に山城を築いて、唐や新羅からの攻撃に備えました。大津宮(滋賀県)に都を移した皇子は、ここで即位して天智天皇となり、蘇我氏が敷いた戸籍制度を強化するなど、改革を進めました。百済から大量の渡来民が既に大和朝廷に入り込んでおり、元々百済人であった天智天皇は663年、母国、百済の復興を願って大軍を送りましたが、唐と新羅の連合軍にあえなく敗れました(白江村の戦い)。

天智天皇の没後、あとつぎをめぐる大友皇子との戦い(壬申の乱)に勝って即位した天武天皇は、都を飛鳥にもどし、唐や新羅からの侵略に備える為に強力な国家の仕組みを作り、実質的には日本で最初の天皇となります。

天武天皇の没後は、その皇后が持統天皇として即位しますが、実質はその子息であった藤原不比等が奈良時代初めまでに唐に真似て律令国家の準備を始めます。最初に造った、藤原京は、中国の都にならい道路によって碁盤の目のように区画された日本で初めての本格的な都でした。「日本」という国号が定められたのもこの頃と考えられています。

☆補足)
百済から渡来した藤原不比等は、百済人が日本人を支配する事を第一に考えます。自らの出自を消し、それまでの日本の長い歴史を書き換えるために事実が曲げられた歴史書である、「日本書紀」や「古事記」を編纂するように命じ、同時にそれまでに記されてきた歴史書を集めて焼滅しました。(焚書)

参考)日本書紀は誰のために書かれたのか?~補足
百済王族、藤原氏1 ~藤原氏とは何者か?~

 

投稿者 tanog : 2017年08月24日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/08/3239.html/trackback

コメントしてください

*