シリーズ「インドを探求する」最終回~インドはどこに向かうか |
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2010年08月29日
シリーズ「国家と市場」番外編~日本の古代市場(起源)~
シリーズ「国家と市場」では、市場成立過程の普遍性を追求してきましたが、番外編では、日本の特殊性から日本の古代市場(起源)を考えてみたいと思います。
日本は、部族間(共同体社会)の統合の為の増与ネットワークが大いに発達して、かつ西洋・中国のような熾烈な略奪闘争が無かった為、支配者は、力による制圧及び強固な身分制度を設定しなくとも部族(共同体社会)を残したまま「和をもって尊し」という精神で国家が統合できた。
そして、日本の市場も、西洋の古代市場と同様に、私権闘争の抜け道としての市場(交換の場=騙し)として発達してきたが、日本人に残存している共同体体質から、日本の市場では、商人の正直・誠実が第一であるとの規範と細部まで心を込めた商品(見かけより実質重視)を重んじる気風とが生まれたと思われます。
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早速、
「①日本古代市場の始まり」に関する記事を紹介し、その結果としての「②市場の商品(日本)」及び「③日本商人(近江商人等)の特徴」の記事を紹介します。
①日本古代市場の始まり
★日本市場史2~弥生農耕民の従順さと縄文以来の舶来信仰が古代市場拡大の原動力
ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~通史的まとめ(前編)
古代市場が生み出される以前、縄文時代から日本は、贈与ネットワークとして豊かな海洋物流ネットワークを構築していた。
(中略)
この神社ネットワーク→荘園ネットワーク+海運ネットワークから吸い上げられた富が平安の都に集積することで、平安京は一大消費都市となる。農民たちの稀な従順さと、島国ゆえの平安故に、軍備増強の必要のなかった平安貴族は、まさに平安ゆえに豪奢への欠乏を肥大させていく。そのため国交を閉ざしていたにも関わらず、唐物を求める舶来信仰への傾斜は相変わらずであった。つまり弥生農耕民の従順さと縄文以来の舶来信仰が古代市場拡大の原動力であり、それゆえに、西洋社会に負けない市場の成熟を非西洋社会において稀に達成したのである。
・縄文ネットワークが古代市場の基盤をなす。
・神道ネットワークを基盤とした徴税ネットワーク」が古代市場の基盤となる
②日本の商品
★世界の古代市場は日常品ではなく高級な飾りもの
「市場構造の歴史的整理<古代~長距離交易ルートの起源~>」
「持ち運びし易く、高値で買ってもらえるもの」が交易品の条件であるという切り口からオリエントの交易品(絹やラピスラズリ・玉などの宝石類)を分析している。
★「源氏物語」に載っている商品
「交易史のなかの源氏物語」
★飛鳥・奈良・平安:1000年以上続く京都の老舗「池坊家」
菓子、仏像仏具 絹織物
【古代西洋の商品取引は生活必需品の物々交換でなく、莫大な利益を上げる事の出来る非日常品(宝石や絹や毛皮)の取引である。また、源氏物語に書かれている商品も非日常品で貴族階級の豪奢そのものである。しかし、1000年以上続く京都の老舗が扱っている商品は、菓子、仏像仏具、絹織物など古代では豪奢そのものであるが、その商品は、古代から現在に至るまで細部まで心を込めた出来方となっている。また経営哲学も自然との調和が挙げられており、ここにも日本人の共同体精神が見られる】
③日本商人(近江商人等)の特徴
【日本における商人の始まりは、常民以外の非常民から起こり、それぞれの産地の製品の違いによる不足分を補う形での交換が原点。「行商人」による運搬機能を支配層が利用し始め、重用するようになる。
片や西洋の商人は、あくまで支配層を対象に、高価に思わせた品物を売りつけることで差益を得ようとした”騙し”のテクニックを行使した交易(=形を変えた掠奪)が原点である。】
投稿者 ryou : 2010年08月29日 TweetList
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