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2007年01月09日

縄文人に学ぶ現代人

初投稿~(実は違いますが・・・)
○といいます。今後ともよろしくです
さて、タイトルにあります通り今回は縄文人に学ぶというお話を
「縄文人に何を学ぶのさっ!!」と思ったそこのアナタ。はい、続きを読みましょう。
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るいネットにあった「縄文期にはなかった超集団の統合が求められている。」という投稿からちょいと拝借。
>こういった点を考えると、縄文人にとっての課題は同類闘争圧力というより自然の圧力に対していかにそれを克服し、自集団を維持するかではなかったか。
そうですね。彼らにとってはいつ会うかも分からない他集団への対策を考えるより、自集団の成員の空腹やら安眠の確保やらのほうが重要だったと考えられます。その課題を乗り越えるために、ひたすらに自然を注視し、食料の獲得や天災への備えを日々行っていたことでしょう。あくまで「如何に課題を克服するか」に頭を使っていたはずです。
しかし、弥生時代に入り、同類間の闘争(戦争)が始まってしまいます。これは、「自集団が生き延びられれば他集団はどうでもいいや 8) 」という極めて自己中心的な発想の元に行われる行為です。そしてこの行為は自集団(の利益)を徹底的に正当化しなければできない行為です。
現代を生きる私達、自己正当化してませんか?さすがに戦争まではいかなくても、例えば物事がうまく行かない時、ついつい「自分は悪くないのに~」とか、しまいにゃ「こんな課題を自分がやらなきゃいけないのがおかしい!」とか。。。縄文人はそんな意識ありませんよ~。常に「どうやったらうまくいくんだろう?」って思考だったはずです。言い訳なんてしてたら死んじゃいますからね
過去から学べることっていっぱいあります。このブログの記事たちが読者の皆様のちょっとした気付きになることを祈りつつ、短いですが今回はここまでっ

投稿者 maru : 2007年01月09日 List  

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コメント

こんばんは。
アブ・シンベル神殿の光の演出をお正月番組で見ました~☆
神とラムセス2世の像(他2体の像)が同等に並んでいて、ちょうど真っ先にラムセス2世の像に光が当たるようになっているんです!
感心すると同時に、そこまで誇示する必要性が当時あったのだろうなと思いました。まさに自己正当化のための神なんでしょうね。

投稿者 みつこ : 2007年1月14日 03:23

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