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2007年04月12日

縄文人にとって死は恐怖ではなく悲しみだった。

最近このブログでは死のお話が花盛りですね! 🙂
今回は死生観について追及してみたいと思います。
死は誰だって怖い。古代の人は死の恐怖をどうやって克服していたのでしょう?
上記を考えていて宗教家の木村隆徳氏の面白い論文に出会ったので紹介してみます。(追記に本編を掲載します)
私たちが肉親や親しい人が死んだ時どう思うだろう?哀しいと同時に寂しく感じる感情は誰しも同じであろう。何故悲しく、寂しく感じるかというと死者が共同体から別れるからである。実はこの感情、縄文人の死生観に繋がっているのではないだろうか。
縄文人は共同体の中で暮らしていて、自分と他者が一体となっている。
集団の喜びを自分の喜びと感じ、集団の悲しさを自分の感情に投影させる。縄文人は自らの死を共同体との別れと感じ、周りの感情を慮り悲しいと思ったのではないだろうか?自分の死を悲しいと感じる感性はどのようになっているのだろう?

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日本人の死生観木村隆徳
現代の日本人の代表として十年間の長きにわたり癌と戦い、その記録を残している岸本英夫氏(一九六四年没)を取り上げてみよう。
氏は外国において癌を宣告され、あと半年の命であると告げられた直後に生命飢餓状態に突き落とされ強烈な死の恐怖に襲われたと告白している。氏はその死の恐怖を「まっくらな大きな暗闇のような死が、その口を大きくあけて迫ってくる前に、私はたっていた」と表現し、「何より恐ろしいのは、死によって、今持っている「この自分」の意識が、なくなってしまうということ」だと述べている。
そして、そのような死に立ち向かう最も有力な武器は、死後の生命の存続(肉体を離れた霊魂の存在)を信じることであろうが、「私の近代的な知性」はそのようなものを信じさせなかったと述べている。そのような氏が、ふとした機会に、「死は、生命に対する「別れのとき」と考えるようになっ」てからは、死を、「恐怖」ではなく、「悲しいこと」と表現するように変わっている。岸本氏が、死は別れであると気づいてからは、死の恐怖は悲しみに変わり、その悲しみは心の準備によって耐えていくことのできるものとなったのであるが、そのような気づき以前においては、氏が「死後の世界や、自分の肉体を離れた霊魂の存在を信じない」以上、「死というものは無に近くなる。
この自分が、なくなってしまうこと以外にない」ということとなり、そのことは「考えただけでも、身の毛のよだつ思いがする」と述べている。従って、氏にとって、死の恐怖とは自己が無となる恐怖であったのである。

 ところで、死とは自己が無くなることであるとする場合の自己と、死とは別れであるとする場合の自己とでは、当然違いがあるであろう。この点について相良亨氏の次のようなコメントがある。
 死は別れであるという理解は、自己を絶対的な個人として意識するところからはうまれえない。(中略)自他の根源的な一体性を認めるところにのみ、死、つまり私がなくなることが、つながりの絶対的な断絶としてとらえられてくるのである。自己を絶対的 な個として意識する者にとって、その自己がなくなることは、すべてがなくなることで ある。
 即ち、「自己を絶対的な個として意識する」か、「自他の根源的な一体性を認める」かという違いがあるというのである。死は別れであるという理解を生み出すところの「自他の根源的な一体性を認める」立場は、村上陽一郎氏の、先取性が認められる「われわれ」※という考えとも通じるものがあるであろう。
 岸本氏が到達した「死は別れである」という理解は、古代の日本人の考え方に近いものと言えるのではなかろうか。

>※の解説(私の死とわれわれの死)
 死というものを考えるとき、自分の死と他人の死とでは死の内容が大いに異なるであろう。その点をより明確にするために、死を人称ごとに分けて考えるのが適当である。今、そのような論考として村上陽一郎氏の要領を得た論考(1)があるので、それによってまとめてみようと思う。氏は、三人称の死、一人称の死、そして二人称の死という順に論じているから、ここでもその順に従ってまとめることとする。
 三人称の死について。基本的には存在と機能の消失である。その消失は何らかの形で代替可能である点に特徴がある。三人称の死について、村上氏は個と全という立場からも考察している。例えば、人間の身体の細胞は、脳・神経系の細胞を除いて大体七年くらいを期限として入れ替わっているという事実から、人間は、部分としての細胞が死ぬことによって、全体である個体として生きているということができる。また、ヒトという種を考えた場合でも、個体が死ぬことによって種の活性化がはかられていると考えられるから、部分の死が全体の生を支えていると考えられるわけである。
これは三人称の死という視点から見ることのできる重要な点と思われる

死は別れであると気づいてからは、死の恐怖は悲しみに変わり、その悲しみは心の準備によって耐えていくことのできるものとなったのである」のくだりは衝撃的でな言葉である。
60年代の共同体がまだ残っていた時代だから出てきた意識だとも言える。逆に共同体が破壊された現代人の死がいかに孤独で、恐怖の対象なのかも言えてくる。
未だに解明されていない死の世界ではあるが、死と常に隣り合わせにあった古代人は共同体の意識と一体になることで医学が発達した現代人よりはるかに克服していたと言えるのかもしれない。死は種や共同体という個を超越した視点に同化すれば怖くなくなり、個人という価値観で捉えれば耐えられないものになる。考え方の問題というより、どちらが本質なんだろうか。・・・・そんな事を今日は考えてみました。(by tano)
るいネットにも同じような投稿がありました。併せて紹介しておきます
精霊信仰の民族が死を怖がらないのはなんで?

投稿者 tano : 2007年04月12日 List  

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コメント

ウバイド期の土器ってとてもモダンなんですね。特に一番はじめの写真のものは、裏からみると渦巻き形の柄になっていてびっくりですね。
素人っぽくない感じがします。

投稿者 田村 : 2007年4月26日 22:44

ウバイドの流れと、日本とどういう関係があるかについて、
日本人の起源を探ると、ありますが、このウバイド土器と、日本の関係は、どのような接点があるのですか?

投稿者 夜須太郎 : 2007年12月4日 06:36

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