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2008年05月25日

縄文時代:共生と循環の文明

こんにちは。縄文文化に興味があって勉強してみました。
共生と循環の文明と言われているようです。以下は共生と循環の縄文文明から引用させていただきます。尚、ここで記載されている内容は実に興味深いことが多く是非とも全文を読んでいただければと思います。
画像の確認
以下引用
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縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、一万年以上にわたって一つの文化を維持しえたことは、驚異というほかはない。 縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。
東アジアの一小列島に開花した縄文文化は、こうした古代文明のような輝きはなかった。しかし、これらの古代文明は強烈な階級支配の文明であり、自然からの一方的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森を食いつぶし、滅亡の一途をたどっていく。 🙄
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以下も引用です
共生と循環の縄文文化
それに対し、日本の縄文文化は、たえず自然の再生をベースとし、森を完全に破壊することなく、次代の文明を可容する余力を大地に残して、弥生時代にバトンタッチした。それは共生と循環の文明の原点だった。 😀
環境考古学者・安田喜憲氏の言である。1万年の間、原日本 人はこの列島の中で、共生と循環の世界観のもとで、豊かで、平和な平等社会を営んできたのである。それはユーラシア大陸に発生した「自然収奪型文明」とは、まるで性格の異なる「自然循環型文明」の基盤となった。
■9.自然循環型文明の最後の砦■
 ユーラシア大陸の自然収奪型文明は、常に森を食いつぶすことで、新たなるフロンティアを必要とした。四大古代文明の地はほとんど砂漠化・荒地化し、ギリシアは禿げ山となった。イギリスの森は16~18世紀にほとんど消滅し、現在の森は19世紀以降、人間によって植えられたものである。ドイツの有
名なシュバルツバルトの森の大半も、人間によって再生されたものである。

 アメリカの森は17世紀以降の移民によって切り開かれ、ワタ、トウモロコシ、タバコなどの大規模栽培が始められた。安田氏は花粉分析の手法により、アメリカの大森林が1620年から1920年までのわずか3百年間にほとんど破壊つくされたことを示した。それはまた森の民、インディアンの滅びとも軌を一にしている。 😮
 気候変化の影響により、やむなく稲作を受け入れてからも、日本では森との共生の努力が続けられた。神社にはかならず鎮守の森がもうけられ、また森を食いつぶす家畜の数はきびしく抑えられた。さらに森を美しく保つことで、栄養分が川から海に流れ、漁獲を安定させるという「魚付き林」が維持された。 😀
 現在でも、日本の緑被率(森林が国土に占める割合)は67%と、フィンランドの69%に続いて世界第2位である。この狭い国土で、世界有数の人口密度と工業生産を維持しながら、なおもこれだけの森を残していることは、縄文時代からの共生と循環の思想が、今なお我々の精神の基底にあるからとしか考
えられない。
中略
 自然との循環と共生を大切にする縄文の心は、このような形で現代の我々にも脈々と受け継がれている。自然収奪型文明により破壊されつつある地球を救うのは、このような心である。:P
大地を造る森林が破壊されて来た事実は教科書では教えてくれない。
あのギリシャも実は緑多き国だったようだが、今は緑というより「青い空と青い海、そして石の世界」という感じです。そして今の中国は正に砂漠化に向かって走っている。繰り返しては行けない歴史に向かっている。この半鐘と答えを実は日本人は持っているという事実に皆が気付かなければならないことも大切な事実だ。

投稿者 sakashun : 2008年05月25日 List  

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コメント

 北方騎馬民族が渡来する以前、弥生時代前半に集団闘争の痕跡は発見されていないのでしょうか?
 単純質問ですが教えて下さい。

投稿者 匿名 : 2008年7月3日 21:59

http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000240.html
「日本最古の武器」で弥生早期にも戦争があった事実が書かれています。
朝鮮半島に近い北九州から徐々に広がっていったものと思われ、本格化したのが弥生後期からだと思います。

投稿者 simasan : 2008年7月8日 23:44

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