2008年5月22日
2008年05月22日
縄文と弥生の境目:共存のディテール
tanoさんの投稿に続きます。
どのように縄文から弥生に時代的に連続していったのだろうか。?
これは今のところ有力な根拠とされているのは、発掘される土器や稲作をしていたかどうかだそうです。
土器は縄文時代を通しての芸術性豊かなものから、弥生時代には実用本位のシンプルなものに大きく変化します。
また、鉄器も登場し時を同じくして稲作が盛んになっています。
しかし、稲作が始まったのは縄文からと言う説があるくらい所によっては古くから作られていたようです。
今日は私がよく見ている産経ニュースの-文化-学術-に「試行私考 日本人解剖」と言うシリーズがあります。
今回はここからお借りして縄文から弥生へ移行していった詳細をお届けします。
【九州の縄文系弥生人(左)と渡来系弥生人(右):土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムより】
下のバナーをクリックしてブログランキングUPにご協力願います。
投稿者 mukai : 2008年05月22日 Tweet