2008年5月30日
2008年05月30日
マヤの国家間の闘争形態とは?
マヤ文明には、数多くの遺跡が残されていますが、その政体や規模や統治の仕組みについては、長年学者の間で議論されてきました。すなわち、広域的な都市国家連合のようなものが在ったのか、また、多数の小国が乱立していたのか・・・
しかし、マヤ人自身が残した碑文の解読により、その政体が少しづつ解ってきました。例えば、古典期のマヤの王国は、複雑な階層序列や親族の絆を持ち、同盟との戦いを繰り返していたようです。
投稿者 hiroshi : 2008年05月30日 Tweet
2008年05月30日
縄文:祭りが生産活動=食の確保を確実にした!
先日投稿しました縄文:祭りは、集団を統合し集団を超えた?!のtanoさんからのコメント
>祭りって見るもの、楽しむものという解脱というイメージがありましたが、本来は生産なんですね。
実は、祭りそのものが生産活動=食の確保を確実にした?そんなネタがありました。
今日も先日と同じNPO法人国際縄文学協会のカミの発生と縄文時代(萩原秀三郎先生)の論文を参考に投稿したいと思います
秋田県大湯遺跡の日時計状組石
byさーね
今日も応援よろしくです
投稿者 sawatan : 2008年05月30日 Tweet