中国文明:森に囲まれた殷墟~霊的儀礼としての狩猟 |
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2007年07月07日
【仮説】縄文:ふさわしい時代区分は?
こんばんは、さーねです 😀
今日は、カッピカピさんが先日投稿された縄文時代のなんでの新テーマ①縄文時代を土器で時代区分するのはなんで?でカッピカピさんが言われている時代区分新基準に挑戦したいと思います
僕自身も、去年縄文の時代区分を投稿しました。多くの歴史が権力支配の興亡によって、時代が区分されているのに対して、土器による時代区分はある意味新鮮でした 😮
カッピカピさんの記事を読んで、るいネットの縄文・弥生論争への視点を改めて読んでみました
現在弥生時代開始が500年遡るのではないか?との論争が花を賑わせている。しかし私はこの論争自体に少し違和感を感じている…
…つまりその背景にあるのは、マルクスの提起した、「生産様式が社会構造の根底にある」という見解である。従って必然的に各指標の中でも「稲作の開始」が決定的に重要なものとされている。
私はこの点において注目すべきは社会統合の様式ではないかと思う。人類社会は共認によって統合される…
このような、歴史構造そのものに対する認識転換が必要という気がします。極端に言えば、土器による区分は年代判断をするためのものであり、その時代の生活の様子や外圧状況を想起させるものではないと思います
まずは、集団のあり方や外圧状況に視点をおくような時代区分を設定してみたらどうでしょうか?素人的発想の【仮説】ですが、皆さんと一緒にテーマ付けをしていけたらなと思います
今日は、阿蘇ネットワーククラブ(日本超古代文明年表)を参考にさせて頂きました
このような、生活が想像できるような歴史を
みんなが認める歴史事実をつくろう
阿蘇ネットワーククラブさんが作成された日本超古代文明年表は、時代ごとのトピックが必ず併記されています。これはとてもいいですね それらをさーねの独断でキーワードを抽出し、現在の時代区分ごとに特徴付けていきました 😛
<縄文草創期>~続・極限時代
・土器の誕生・ナウマン象は日本列島全体にいた・洞穴で細石器と人骨・石刃技法、瀬戸内技法全盛期・石鏃の使用・細石刃文化の広がり・定住の始まり・木の実等の貯蔵、薫製作り・弓矢が登場し鹿や猪を狩る・槍の改良、弓矢、石鏃
⇒草創期は、最終氷期(ビュルム氷期第Ⅲ亜氷期)であり、生き抜く上で自然外圧は高かったのでしょう。定住もままならず、洞窟で震えて生活していた場面もあるはず。なので、るいネットの実現論より時代名を頂き「続・極限時代」としました。
<縄文早期>~定住確立時代~単独集団定住化やそのための精霊信仰様式化の時代
・日本列島は孤島化・現在の日本列島形成。九州・四国・北海道は分離・細石器・マンモス絶滅・世界最古の漆塗り装飾品(糸状)、土坑墓・縄文式土器、打製/磨製石器、竪穴式住居、屈葬・集団墓地の形成、墓への副葬・呪術、土偶・石棒の作成・ヒエの栽培・定住生活の確立・気温温暖化により海面が上昇・軟玉ひすい 石製装飾品 ペンダント・環状列石
⇒早期より気候が温暖化に入ります。草創期で生き抜いた知恵を生かし、生活様式や行動様式,自然に対する祭祀様式等を確立。それによって、定住が確立されたものと思われます。集団内の統合をいかに図るか?集団内で創意工夫が行われたのでしょう。
<縄文前期>~集団間交流時代~複数集団間交流・文化圏形成の時代
・けつ状耳飾り・刀型祭祀具。(石刀、石剣の元)・気候が温暖化し海水面が上昇・漆の使用始まる・遠隔地との交易が活発化・円筒土器文化圏の成立(三内丸山)・大規模縄文集落の発生
⇒前期に入り、集団間の交流が始まるようです 😉
<縄文中期・縄文後期>~集団間統合時代~大規模集落の形成
(縄文中期)
・大規模な縄文集落・太平洋沿岸に大規模な貝塚・三内丸山遺跡:38㌶の縄文都市。クリの栽培・綾織り物(アンギン織り)・ひすい製の装飾品・環状集落の発達
(縄文後期)
・海面が上昇し海岸沿いに貝塚が発達・石刃の祭祀具が盛んになる・環状列石をもつ墓地、祭祀場の発達・アスファルト塊・トチのあく抜き
⇒三内丸山に代表されるように、大規模集落が形成されていく時代です。集団を超えて、「社会」となる一歩前という感じでしょうか?中期以降、土器様式は色々あるようですが、出土品自体は、それほど種類は変らないものと思われます。そういう意味で、中期~後期はまとめてよいのではないでしょうか
<縄文晩期>~集団間闘争時代 ~渡来人到来よる戦乱の興り
⇒晩期の後に、弥生時代に突入、国家形成へと道筋を歩むわけですが、弥生時代と連結して考えるべきかもしれません。ちょっと集団間闘争時代とは言い過ぎ かもしれませんが、実際、戦乱が始まったのは、渡来人到来から。ここは、事実関係も含めて、もうちょっと勉強が必要ですね
一旦、キーワードを見ていくと、集団統合・社会統合という視点が見えてきました。このように、時代を俯瞰する考え方も大事ですね 😉 他に、時代区分の軸になりそうな要素があったら、意見を聞かせてください 😛
投稿者 sawatan : 2007年07月07日 TweetList
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コメント
投稿者 中年のおじさん : 2007年7月19日 22:56
NHKスペシャルでインカのミイラ特集はおもしろかったですね。私も見ました。
上野の博物館ではインカ・アステカ展をやってます。ぜひ見に行こうと思いますが、行った友人から見る際の注意点を聞かされました。
展示のメインに「父子のミイラ」というのがあるのですが、発掘状態も父子であるのかもよく判らない展示だったそうです。
そういえば現代的な「子育てパパ」イメージの演出のような気もしますが、どうなんでしょうか?
投稿者 tamura : 2007年7月19日 22:57
bunbunさん、インカのミイラはTVで私も見ました。
あの放送はすさまじかったですね。番組の1時間ほとんどがミイラ・ミイラ・みいらです。夜、うなされそうになるかと思いましたが、番組の最後にはミイラを見て違和感がなくなくなっていました。死者ー恐怖=ミイラは恐怖という構図が緩んだんですね。ひょっとして・・・・ミイラを身近に置いたと言うのは死を克服する為だったのではないでしょうか?
またインカと言う極めて乾燥していて低温の高山地域という地域性もミイラ文化が定着した背景にあるように思います。番組の最後に紹介された少女のミイラは少女であることが確認できるくらい保存状態がよいものでした。まさに人間版フリーズドライという状況です。
縄文人はミイラにしたくても直ぐに腐敗するのでできなかった。そう思えば、ミイラというのは何も特殊な宗教がかった話ではなく、当時の人たちは大切な人を失ったので残せるだけ残したというようなものだったのかもしれません。
by tano
投稿者 tano : 2007年7月19日 23:00
中年のおじさんさん、tamuraさん、tanoさん。コメントありがとうございます!(´▽`)
>私などは、全能の神ゼウスを拝むより、自分の身近な祖先を拝む方がすっきりしますね(中年のおじさんさん)
ホント同感です。今回ミイラを見ていく中で、一番感じたのがミイラが生活の一部としてホントに身近にあるんだなってこと。親に感謝し、そのまた親に感謝し・・・自分達が今あることを祖先に感謝しているように思いました。
>展示のメインに「父子のミイラ」というのがあるのですが、発掘状態も父子であるのかもよく判らない展示だったそうです。そういえば現代的な「子育てパパ」イメージの演出のような気もしますが、どうなんでしょうか?(tamuraさん)
この点に関しては、私もネットを走り回ったんですが、二人の関係はわかりませんでした。(´(・)`)クマッタ・・
上野に行った際にわかったら教えてください。
>ひょっとして・・・・ミイラを身近に置いたと言うのは死を克服する為だったのではないでしょうか?(tanoさん)
なるほど!ミイラを身近に置くことで「死」そのものを恐怖の対象ではなく、素直に受け容れるものと捉えようとしていたのかもしれません。
もしかしたら、「死んでもいつもみんなと一緒にいられる」という安心感もえていたのかもしれません。(´ ー `)ホッ・・・
ありがとうございました。by bunbun
投稿者 bunbun : 2007年7月23日 21:03
キリスト教・仏教・イスラム教等世界の主要宗教は、民の救済を主に説かれていますが、インカ等中南米の宗教は、祖先崇拝を行なうようですね。インカのミイラを拝む風習は、日本のお墓参りのような物だったのでしょう。
私などは、全能の神ゼウスを拝むより、自分の身近な祖先を拝む方がすっきりしますね。
しかし、キリスト教等を偶像崇拝してすっきりする人が何億人も居る事を思うと不思議な気がします。