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2007年01月17日

縄文時代はなんで土器で区分されているの?

以前にこのブログでも紹介されましたが縄文時代の現在のオーソライズされている時代区分は土器で行われている事は皆さんご存知でしょうか?
復習ですが土器による縄文時代の区分は以下のようになっています。
10000年~12500年前 縄文草創期
7000年~10000年前  縄文早期
 4500年~6000年前  縄文前期
 3500年~4500年前  縄文中期
 3000年~3500年前  縄文後期
 2300年~3000年前  縄文晩期
 2300年前~       弥生時代

どうやって土くれのような土器で時代区分を?と疑問を持たれた、もたれなかった方、この時代区分を考え出した山内清男(やものうちすがお)氏の紹介と併せて少し勉強下さい。
まず大雑把にどんな土器の特徴があるのでしょうか?
土器にだんだん興味が沸いてきた人 :roll: 、ちょっと↓押してから進んでね
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草創期:隆線文土器等を使用した。
その後爪形文,押圧縄文、円孔文を施す土器郡が各地に展開する
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早期:撚糸文系土器様式が現れる。
押型文系土器様式の出現。この時期の大きな特徴として土器の底が尖っている通称尖底土器が作られる。
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前期:土器が尖底から平底土器へと変遷し、縄文文様が発達する。容器への装飾が豊かになり、次に迎える中期への基礎が出来る。漆技術の発達により器面への塗装、土器の補修や矢じり、櫛等接着剤として使われ始めた。
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中期:土器は力強く、豪華な装飾を付けた物が作られるようになる。中期中頃新潟県信濃川一帯に火焔型土器が出現
土偶が爆発的に作られるようになる。(早、前期の土偶は全体の約2%)
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後期:土器文様は沈線文等地味になり一時的にもろく粗雑な土器が出現する。土器の器種が多様化し注口土器、浅鉢等が盛んに作られるようになる。文様も磨消縄文が東西の広範囲に分布し、地域色の強い土器が少なくなる。
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晩期:東北方面で亀ケ岡文化圏ができ、装飾など制作技術が高い中空の遮光器土偶や雲形装飾土器は、この時期を代表するもの。この亀ケ岡文化圏は広く関東・東海・近畿地方まで及んだ。
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☆土器は縄目の模様が出てきたのが縄文早期から、前期、中期、で装飾を極め、後期には一旦機能優先になる。面白いのは晩期の東北地方中心の装飾土器の百花騒乱ぶりである。縄文文化は亀ヶ岡文化の後、東北、北海道をベースとして平安時代までその後1000年以上「続縄文文化」として継続する。
上記を見ても単に土器形状だけでない分類であることがおおよそ解ります。
今日は遅くなりましたので山内清男の話は次回に投稿します。

投稿者 tano : 2007年01月17日 List  

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コメント

私が興味があるのはなぜ古代宗教はどれも進化論を否定しているのかという事です。
また、当事の人が本当に泥とか骨から人ができたと思っていたのでしょうか?
現代人は進化論があるからそれがおかしいと思えるのですが、当時の人は人は最初から人だと思っていたのでしょうか。
誰かわかる人がいればお答え願います。(^^)

投稿者 tano : 2007年1月24日 22:06

 そうじゃないと思いますよ。古宗教は進化論は否定も肯定もされていません。しかし、アニミズムなどは動物と人間の連続性に含みを残した宗教感覚だと思います。
 その連続性的感性を強引に断ち切ったのが、現在の世界宗教に多く見られ、特にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などはそうだと思います。
 アニミズムは交通手段が貧弱で限られた時代において、動物を過度に採取すると、未来が維持できなくなるといった感覚をもった部族が地球上で優位になった時代だと思われます。自分たちがなれ親しんだ行動範囲内において乱獲をした部族は、滅亡に追いやられ、自然選択的に遠いアニミズム時代の部族は自然とのバランスをとるものが主流となった。
 しかし、劣勢だった、乱獲部族も道具をはじめ交通手段を発明した時点から、広い地理を見据えると、獲物が無尽蔵に見え始めた。それで乱獲の正当性を確信まで高めた宗教をもつものが、人間と動物の断絶性を強調し成功したので、現在はその思想が主流になっている。
 翻って、日本神話において、動物を人間にとって近いもの(動物への愛情をもって扱っているところ)が特に出雲神話で多く語られている。因幡の白兎などもその代表だと思う。

投稿者 島根ファン : 2008年12月2日 02:49

>そうじゃないと思いますよ。古宗教は進化論は否定も肯定もされていません。しかし、アニミズムなどは動物と人間の連続性に含みを残した宗教感覚だと思います。
”連続性”というのは言いえていますね。
動物や植物の中に生かされている感覚がアニミズムだと思います。ですから、生かされている対象を絶滅、消滅させるような事は絶対にできなかったのだと思います。
それとアニミズムと古代宗教の違いは現実を対象化するか否かだと思います。アニミズムとは言い換えれば徹底的に自然界を注視する考え方であり、現実肯定そのものです。対して古代宗教は現実ではないあの世や神観念が必要であり、総じて現実否定がベースにあると言えるでしょう。
日本人の可能性はこの縄文時代に培ったアニミズムの思考方法などもあるのではないでしょうか?
島根ファンさんの記事からふとそんな事を考えました。

投稿者 tano : 2008年12月2日 22:42

 境界を決めて人が時間を管理する稲作国家が誕生したとき、その外側を取り巻くアニミズム的な縄文精神は、心の内側に仕舞い込まれたのだろうと思います。
 その証拠として、『古事記』の因幡の白兎が『日本書紀』では消えた代わりに、編年体の歴史書に一直線ではない流れ方をする時間が混入したのではないでしょうか?

投稿者 高塚タツ : 2008年12月4日 15:53

>その証拠として、『古事記』の因幡の白兎が『日本書紀』では消えた代わりに、編年体の歴史書に一直線ではない流れ方をする時間が混入したのではないでしょうか?
意味深ですね。
心の内側に仕舞い込まれたということは、いまだに消えてはいないということですね!私たちのどこにそれが仕舞い込まれているのか、探していくのも結構楽しい作業だったりして・・・。

投稿者 tano : 2008年12月5日 00:33

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