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2008年12月04日
歴史を学ぶとは・・・自然の摂理と歴史事実の因果関係を探る事
こんばんわ。
今年ももう後1ヶ月、「光陰矢の如し」とはまさに今年の事ですね。
安田喜憲さんという方をご存知ですか?
縄文学の世界ではかなり著名な方で環境考古学なる学問の大家です。
実は私が今から7年前にある本を手にした事をきっかけに縄文の世界に魅せられてしまったのですが
その時に手にした本が↓なんです。
これは今でもバイブルとして偶に読んだりしています。
私が縄文時代を考えるとき今でも、この本との出会いがスタート地点にあります。
今日はその中から少し扱ってみたいと思います。この本が初版されたのは97年の事です。
それから10年後、まさに今年起きた欧米の市場破綻(=私権原理の崩壊)と破綻後の可能性まで示唆してます。
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環境考古学は未来を予言し、警告する。
~「縄文文明の環境」より
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これまでの世界史はキリスト教を精神的主体とする近代ヨーロッパ文明の地球支配を擁護するために書かれた、という性格を強く持っていた。マルクス主義史観が共産主義体制を擁護するために書かれたのと同じく、私たちが高等学校で学んだ世界史は、近代ヨーロッパ文明を善とし、その世界支配を肯定する前提で書かれていたことに、私たちは何の疑いも挟まなかった。しかし、今こそ、その過ちに気が付く必要があるのではなかろうか?
近代ヨーロッパ文明の地球支配の中で、歴史の闇に葬り去られた、弱き者の目を通してみた歴史が、書かれる必要があるのである。その弱きものとは、アフリカや中南米、そしてアジアの、アニミズムに立脚した諸文明である。近代ヨーロッパ文明の侵略の中で破壊されしたげられ、未開・野蛮とさげすまされてきた文明の立場にたって、新たに世界史を書き換える必要がある。
弱きものにはもう一つの重大なものが含まれている。それは自然である。自然はこれまでの世界史の中で、人類に奉仕するものとしての役割りしか担わされてこなかった。それはこれまで私たちが学んできた世界史は、まず神があり、つづいて人間があり、自然はその下にあって、人間に食糧を提供するものというキリスト教の世界観に立脚して書かれたものであったから当然のことである。
でも、これからのべるように、、森の目を通して、気候の目を通して世界史をみると、これまでの世界史とはまったく異なった歴史があったことにはじめてきづくのである。
古代文明がなぜ崩壊したかについて、これまでの世界史は部族間の抗争のため、殺し合いが引き起こされ、それで滅亡したのだと説明してきた。ではなぜ、部族間の抗争が激化したのか?その問いにはこれまでの世界史では答えられなかった。それはこれまでの世界史が人間しか見てこなかったからである。これからは自然を、さらには森や気候を通してみた世界史が書かれなければならない。
なぜなら、人間の営みは自然との関係を抜きにしては存在しえないからであり、人間もまた自然の子だからである。
人間の歴史は自然の歴史の一部であるといっても過言ではあるまい。人間は自然の歴史に奉仕する奴隷ではない。自然は人間の歴史を大きく変える力があり、歴史をはぐくむ母なる大地なのである。
もしこのまま地球の人口が増加し、森林破壊が加速度的に進行した場合、2020年ごろには食糧難が引き起こされ、現代文明は危機を迎えるというのが、私たちの予測である。こうした危機を目前に控えた私たちが、その危機を回避する為に過去の教訓から学ぶには、世界史を自然のかかわりあいの中でもう一度再検討しなおす必要があるのだ。環境考古学はまさにそのことを目指した、過去から現在、そして未来を見続ける学問分野なのである。
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安田氏はこの前書きの後、縄文の文明原理として8つを示しています。
次回、その8つを紹介していきたいと思います。今日はその中で2つを紹介したるいネット投稿を掲載します。
縄文と日本人論をめぐって
投稿者 tano : 2008年12月04日 TweetList
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