2008年12月14日

2008年12月14日

花郎集会と修験の発生にみる共同体の解体過程

最近、よく読ませていただいている「高塚タツのHerStory」に
>日本とコリアの古代史が噛み合わないのは、かの国には婿養子という制度がないせいではないでしょうか? 娘ばかりの家が親戚の男子を養子にすることはあっても、養子と娘を結婚させることはなく、娘はすべて嫁に出すと聞いたことがあります。
>そうなったのは、いつからなのか? 古代の百済と新羅の対立も、婚姻制度の違いや、女の政治への参加度の差が、背景にあるのではないかと考えます。
という考察があり、婚姻制度の追求が重要だなあと改めて考えさせられました。母系から父系への転換はどのようにして起こったのか?世界史的にみれば母系から父系への転換は遊牧民族に起源を持つと、このブログでは考えていますが、問題は、日本にどのように、この父系制が持ち込まれたかです。
参考としたのは中沢新一の「山伏の発生」(「芸術人類学」みみず書房に収録)です。山伏=修験道はのちに東国で武士集団へと発展していく訳ですが、明らかにそれまでの母系的な共同体原理の外にある男たちの結社である山伏の発生は母系社会の崩壊を読み解くヒントになるのではないか、と考えられます。では、山伏=修験の発生はどのようなものであったか。

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投稿者 staff : 2008年12月14日  

2008年12月14日

DNAから人類の拡散を探る~総集編

こんにちは、saahです。
さて6回にわたり「DNAから、人類の拡散を探る」の記事を書きました。DNAという、ちょっと小難しい世界を覗きながらのことなので、今日は最後に総まとめとして要点を整理しておきたいと思います。
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投稿者 saah : 2008年12月14日  



 
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