| メイン |

2010年03月22日

「贈与」に何を学ぶべきか~9、共認社会に「贈与」の意義と機能を生かしてゆく

こんにちわちわわです。
「贈与」に何を学ぶべきか。シリーズ最終回では縄文時代の贈与の有り方と統合との関係を明らかにし、現代社会に何が活かせるのかを追求してみたいと思います。
tatemono.jpg
これまで「贈与」は、
集団間の同類緊張圧力から闘争を回避し、友好関係を結ぶ共生適応の様式であること
と、
気候の温暖化から生存圧力の低下による活力低下を活力上昇へ向かわせるために機能させた。
ことを述べてきました。
しかし、同類闘争圧力に適応する統合様式が集団統合の中枢なのであって、一体、「贈与」という、闘争回避の共生適応様式は集団にとってどのような位相にあるのでしょうか。
まずは、るいネットの記事から紐解いてゆきます。
贈与でうれしい!と思った方↓↓ぽちっと!
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ

縄文社会は“統合”されていない
 縄文社会が共生原理で(または共生という概念で)“統合”されていたとか、“認識競争”が同類圧力を作り出していたとの説がありますが、熟慮を要する論点だと思います。
 縄文といえども他集団が交わる社会空間は同類闘争(縄張り闘争)圧力で満たされており、この社会を統合するには、闘争関係を制覇する力による統合か、すべての人々が認識充足へと先端収束することによって、社会の最末端まで評価共認の圧力が貫通する観念による統合しか考えられません。
(参考)
お金は、現実の必要度を測るモノサシ
『現実』の塗り重ね構造
 縄文人を始め採取部族は、このいずれでもない共生適応を選択しました。人類誕生以来、共認機能を唯一の武器として(期待・応望の同類圧力を唯一の圧力源=活力源として)、精霊信仰という観念機能を獲得したことでかろうじて生き延びてきた人類にとって、初めて遭遇する同類圧力はどうすればいいか分からない未明課題でした。自我や私権闘争を本源集団内に封鎖してきた彼らは、闘争関係を顕在化することなく、共認原理を集団外にも延長することで闘争を回避した。共生適応とは、友好関係維持による一種の棲み分けに近く“統合”関係とは云えません。そもそも闘争関係を回避した“統合”関係は成立する筈がありません。
 もう一方の観念統合も、社会関係を対象化した認識の蓄積もなく、社会的な共認を可能にするインフラもなく成立する基盤はありません。
 従って、「共生適応で(または共生という概念で)社会が統合されていた」のではなく、お互い闘争は回避し友好関係を維持しましょうとの共認関係が、各集団間で形成されていたに過ぎません。それでも同類圧力が最先端の課題であり、共認原理で結ばれている以上、相当のエネルギーが費やされたでしょうし、それなりの評価共認圧力が各集団間で働いていたと考えられます。
 気候の温暖化と栽培技術の獲得などにより、人口が急増した縄文前期~中期の東日本(特に三内丸山遺跡など)では、同類圧力が極度に高まり、集団強大化と同時に、闘争を回避し友好関係を形成するための贈り物etcも活発化したと考えられます。遥か遠方からヒスイや黒曜石などの貴重品が運び込まれ、祭祀に膨大なエネルギーがかけられたのは、同類圧力の極度の高まりを背景にしてはじめて成し得たように思われます。
 その後、気候の寒冷化もあり小規模・分散化して行きますが、同類圧力の極度の緊張とその緩和にかける社会体制的な未熟さが破綻した結果とも想像できます。
 縄文人が弥生社会に組み込まれていったのは、弥生人が闘争圧力を顕在化させ社会を統合する組織論を有していた点が見逃せません。
 しかし、互いが侮蔑と嫌悪感をもった、なし崩し的な対立と協調関係ではなく、縄文人は可能性収束として弥生社会を受け入れていった点は注目に値すると思います。

******************************************************
このように、同類闘争圧力にまっとうに適応するためには、力による序列統合か、能力評価共認による圧力が末端まで貫通する共認統合しかありません。縄文人は後者で統合してきましたが、末端まで共認可能な規模の限界から、社会を形成するまでには至りませんでした。
略奪闘争に端を発する私権社会に入って初めて肥大社会が出来上がり、そこでは前者の力の序列による統合で社会を形成してゆくことになります。闘争を回避する共生適応が、武力闘争では全く通用せず、力の序列に飲み込まれていったのも共生適応が統合原理足り得なかったゆえんでしょう。
私権時代では冨の蓄積を正当化し、格差を拡大し、身分を固定してきました。
しかし、人類は、世界大戦や冷戦を体験し、武力による同類闘争のリスクを知り、世界共認による闘争(戦争)回避の規範を作り出しました。
また、生存圧力を克服し皆が豊かになった先進国を中心に、それまでの活力源だった私権が衰弱し、力の序列による統合が機能しなくなってきました。
今後、力の序列による統合から、評価共認による統合に移行すれば、これまでの私権原理に基ずく「交換」ではなく、「贈与」の持つ意義を生かした新しい仕組みを構築する必要が生まれてくるでしょう。
その最先端にいるのが縄文体質を持つ日本です。
これまで「贈与」に学んできたことは、ポトラッチの例に見られるように、冨の集中を防ぎ、分配するシステムとして機能させたことです。
さらに、「贈与」には、期待・応望を活力源とする充足基盤が根底にあります。
評価共認の統合様式下では、能力はただ持っているだけでは何も評価されません。人の役に立つ物や認識は人々に積極的に開き出し、評価を受けることで効果も高まります。
私権意識により、物を蓄積、出し惜しみするのではなく、期待に応える形で惜しみなくみんなに公開してゆくのです。
そして、その恩恵を受ける人々は、喜んで、そのお返しをすることでしょう。

さらに、集団間の同類圧力も集団内の個体間競争圧力も、より人の役に立った方が評価されるという軸で競い合えば、みんなの活力が上昇します。
これまで9回に渡って「贈与」について追求してきました。共認原理に基ずく「贈与」と、私権原理に基ずく「交換」は明確に区別する必要があります。
実質価値に基ずく「交換」は基礎的な部分では存続するでしょうが、評価共認に基ずく統合原理に、「贈与」の持つ意義と機能を組み込むことで、市場の「交換」にたよらずとも、充足を基盤にした「物や認識が循環する仕組み」を創り出してゆくことが可能になるのではないでしょうか。

投稿者 tiwawa : 2010年03月22日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/03/1035.html/trackback

コメント

市場の最大の破壊的力の源泉は自由競争という部分にあるようです。イスラムの市場はあらゆるところに調整弁を設け、根本に私権の根幹である私有を制限しています。
このように国家や法の制限、相互監視の中で市場を発展させていくというのが市場経済をうまくコントロールしていく手法なのでしょう。まさに江戸時代の日本がそうでした。
イスラムの経済は西欧諸国が作り上げた自由市場に変わる別の形として参考になると思います。

投稿者 tano : 2010年6月11日 22:35

コメントしてください

 
Secured By miniOrange