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2009年10月30日

縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-5

こんばんは、カッピカピです。
 
 ちわわさんに引き続き、縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?パート5です。
 日本人の本源性を語るうえで、避けて通れないのは、何と言っても縄文人の本源性でしょう。縄文人の本源性とは、一体どのようなものだったのか。るいネットの秀作投稿「縄文人の欠乏とは?(2)」を引用しながら考えてみたいと思います。
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 これから引用する投稿、「縄文人の欠乏とは?(2)」は、『縄文の地霊―死と再生の時空』(著:西宮 紘)の「序章 意識下の縄文」の抜粋からはじまります。気になった方はぜひ本書も手にとってみてください。
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西宮紘「意識下の縄文」より引き続き抜粋
(中略)
縄文人は世界を我々のように人間中心には考えていなかったし、あの世とこの世とを判然と分隔てて考えてはいたわけでもなかった。
あるのは闇と光の世界だけであり、それも相互に浸透する世界なのだ。
ただ、その闇の彼方に常に闇である世界があることも知っていた。しかし判然とわけておらず、いつでも流通可能であると考えていた。
だから死は生と判然と分け隔てられていなかったのだ。霊魂は不滅であり、死は再生へのワンステップにすぎなかった。死者と生者との間には我々のような絶望的な断絶はなかった。だから彼らは墓域を自分達の集落の真中においていたのだ。
そうすればいつでも祖霊と語り合う事ができた。祖霊との会話による記憶や濃厚な思いは文字による記録を不要にした。忘れる事がなかったのだ。
縄文人の生活意識における第1義は、人口密度の極めて低い森と水と数々の生き物に恵まれた日本列島という環境において、従来言われてきた生理的欲求というよりむしろ、共生の上に立つ霊的な交わりであったと、私は考えるのである。
”以上抜粋”

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長くなりましたが、西宮氏はこのように縄文の豊かさを捉えており、それは彼の直感ではなく、古事記等に唄われた生活や精神史の分析に裏付けられたものであり、充分な説得力をもった論説として評価できると思います。
敢えて私が要約するまでもないのですが、縄文人の豊かさとは弥生以降とは全く異なる地平にあったことは想像できます。
その豊かさの原点に交感というものがズッシリとあるわけですが、人間中心でなかった彼らは動物や祖霊と同様、深い交感を人間である仲間にも抱いていたことでしょう。
人間が最も豊かな状態=相手との深い相互理解と永遠の存在。西宮氏が言う様に確かに最も豊かだったのかもしれません。
翻って縄文人の欠乏とは何だったのか?
生理的な欠乏ではないでしょう。精神的な欠乏?おそらく旧石器時代から人類が抱きつづけてきた欠乏である精霊への欠乏でしょう。
どこまで解っても解らない精霊の存在。それは自然や物を認識する欠乏であり、わからないものや恐ろしいものを対象化する欠乏です。
それらの欠乏を集団で常時共有する緊張感で高度な精神世界を実現できたのではないでしょうか?
・・・わからない自然は対立するのではなく共生することで初めてわかることができた。
緻密な土器や土偶への祈りは彼らの欠乏の表現であり、祈りの為の多くの装飾品は欠乏から発したのでしょう。弥生土器から模様が消えたのは欠乏の質が変わったからとも言えるのはないでしょうか。
縄文人の欠乏とは・・・少し見えてきたような気がしませんか?

                 
「人口密度の極めて低い森と水と数々の生き物に恵まれた日本列島という環境」と聞くと、”豊富な自然環境のなかで、他集団と争うこともなく、ぬくぬくと生きている縄文人”を思い浮かべてしまいます。
 しかし、科学技術がまったく存在しない中での自然の中での生活は、いくら水や食べ物が豊富といっても、現代の生活から考えれば、比べようがないほど過酷だったことでしょう。
 そこでは、自然こそが、最大にして唯一の外圧であり、闘争対象であり、同化対象であったのだと思います。それこそ、木の根から葉っぱの先まで、周りあるものすべてが対象と成り得たのでしょう。
 そして、もう一つの同化対象が、生と死。
 しかしこれも、
>死者と生者との間には我々のような絶望的な断絶はなかった。
とあるように、人間は自然の一部であり、春に芽を出し、秋に散る葉っぱのごとく、自然の中のサイクルの一部であると認識していたのでしょう。
 
 人間であるという驕りや、ましてや”自分”という感覚がない、人間は自然の一部であるという縄文人の意識こそ、究極の本源性ではないだろうか。

投稿者 hi-ro : 2009年10月30日 List  

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