日本人が世界に誇れる3つの事 2.世界に普及させたい日本の現場主義経営 |
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2013年08月16日
日本人が世界に誇れる3つの事 3:世界に誇れる日本人の「心の在り様」
今回も日本人の心の世界を中心に紹介していきます。
まずは、第2話でも紹介したルース・ジャーマン白石氏の著書からです。
ルース・ジャーマン白石氏の講演風景
今回は2つの話を紹介します。
一つ目はもてなしについてです。
西欧や中国のもてなしとは”与える”事です。これでもかと与え、もてなす側の思いや印象を相手に強く伝えます。相手によって変えるのではなく、もてなす側が起点になっています。日本はそれと正反対です。日本の場合の“もてなし”とは誰しもまず相手発なのです。
【日本の“もてなし”は稀有な能力】
伊豆半島にある「望水」という旅館を訪れたとき、象徴的な日本のもてなしを経験しました。まず、フロントとギフトショップが両脇にある間口の広いロビーの手前で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える間、まったく無音でスタッフなどの気配もありません。ゆっくりと、自分の心地でその旅館と出会う瞬間を大切にしているのです。床や石や柱の深い薔薇色の木。永遠に続くような太平洋の水平線が、ロビー奥の窓の向こうに揺れています。
いつ、誰がもってきたかすら気がつきませんでした。これこそが“日本的なもてなし”・・・・相手の心を読んだうえでのサービスの極地だと思います。
この“もてなし”には、特殊な能力、つまりもてなす側が、そのもてなしを受ける側の喜びを感じ取り、満足を感じられる・・・・という感性が必要です。
アンケートなどの情報収集で得る直接評価ではなく、「お客様の幸せな笑顔」や「お客様の笑い声」などの精神的な評価を汲み取らないと、なかなか到達できない精神的な能力です。
ある企業が地域に貢献するために、川の掃除に協力していることを先日雑誌で読みました。町の住民が子供のときに楽しんで遊んでいた川が年々汚れてきたため、みんなで川を復活させることを決めたいという記事です。
川をきれいにすることは、町に訪れる方々への「もてなしになる」というコメントでした。
もう一つはほめるについてです。
著者は日本人の特徴を「ほめられ下手」だと表現しています。
世界中で褒められるのが下手と言われる国はおそらく、日本ぐらいしかないでしょう。
【世界アピールしたい日本人の「ほめられ下手」】
日本で20年間生活して、日本人のほめるべき、評価されるべき多くの点について日本人に話すと、必ず否定されてしまいます。
日本人は非常に「ほめられ下手」です。しかしわたしはこの「ほめられ下手」なところが、むしろ日本人の大切な長所だと思っています。“威張らない日本人“、”調子に乗らない日本人“が、わたしの目から見てとても美しく見えるのです。
例えば日本の治安のよさをほめると、「でもアメリカの方が住みやすいじゃないですか」と反論されます。また、日本の男性の忍耐力や芯の強さを評価すると「でもアメリカの男性の方が優しいでしょう」という反応が返ってきます。こういう反応に対して、初めのうちは「日本人は、自分の国が嫌いなのだろうか?」と思ってしまいました。
しかし、日本語の語学力が深まるにつれ、それらのコメントの裏にある、ある種の美意識に基づいた話術に気が付いたのです。つまり、一見否定的な日本人のコメントは、謙遜してあいてを持ち上げながら会話を上手に継続させる話術の一つだったのです。
(中略)
日本人は一見すると「ほめられ下手」に見えます。しかし本当はほめられ下手なのではなく、相手を敬うという、“心の在り方”から相手のよいところを見ようとする姿勢が生まれて、謙遜する話し方になるのです。この点はグローバルステージで活躍する世界中のビジネスパーソンが学ぶべき点だと思います。
アメリカ人の女性が書いた記事ですが、これも我々日本人が読むと、それほどの事だろうか?と思ってしまいます。でも2つの記事に共通しているのが、相手発であること、肯定発である事、日常の行動がそれらの「心の在り様」で作られている事です。
アメリカ人の女性が生きてきたスタンダードとは自分発の世界、自分の価値や所属する集団や国を海千山千の中でいかに自慢するか、発信するかという力の世界だったのでしょう。
日本人は常にこの「心の在り様」を無意識の中で作り出し、言葉の世界と同様に心の世界を大事にしていると言う事を誇りにしたいと思います。
~こちらからお借りしました
この心の在り様について、るいネットに投稿された記事を紹介します。
【「言い方」の問題?いいえ、その「心のあり様」が問題です】
お客さんとの電話対応等で、本来ならクレームにならないやりとりなのに、なぜかクレームになる。本人は、いたって普通に対応しているつもりなのに、(相手に不快な感じを与え)人間関係がギクシャクしていくetcという人、周りにいませんか?
こういった場合、大抵は「あの言い方がまずかった」etcの総括がされますが、それは違うんです。「言い方」の問題ではなく、その人の「心のあり様」が問題なんです。
共認動物である人類は、言葉になってない(言葉として発せられていない)想いを感じとっています。(実はこれで感じる部分が大半を占めていて、言葉って補助でしかないかも。)だから、「あ~この人嫌だな。この対応面倒くさいなあ。」って相手を否定視してたら、全てそれが伝わっていきます。(言葉(上辺)で、いくらキレイごとを並べていても(><))
だから、根本からこの問題を解決していくには、心あり様を、「否定」から「肯定」に転換してくしかありません。
人類には、46億年の進化で塗り重ねてきた潜在思念(or内部意識)があります。そこには、「全ての存在にたいする肯定感」、「感謝の心」が備わっています。
それらを蓋している観念を取っ払って、どれだけ潜在思念(or内部意識)を生起させることができるのか?これが、解決への根本の道のりです。
都市化や欧米化、個人主義の導入によって日本人古来の心の在り様である「全ての存在にたいする肯定感」「感謝の心」はかなり目減りしてはいますが、ルース、ジャーマン氏のレポートにあるよう、いやいや、まだまだ残っています。
るいネットのこの記事でも示唆しているよう、「否定」から「肯定」に、「権利」から「同化」に、「個人」から「仲間」へ、戻っていく事が日本人にとって必要な事でもあり、これからの自然な方向性なのだと思います。
謙遜という心を持つ日本人はそれらを決して世界にアピールはしませんが、私達自身がこういった日本人の中で生きている事を誇りにもってよい事だと思います。
投稿者 tano : 2013年08月16日 TweetList
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