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2010年03月05日

「贈与」に何を学ぶべきか!~7.贈与の意義とは・・・

こんにちは。最近では、すっかり贈与気分のカッピカピです。 😀
これまでの贈与シリーズの記事で、贈与の実態が、おぼろげながら見えてきたのではないかと思います。簡単にまとめると、生存圧力の低下よって引き起こされた、人口増加と生存域の拡大が、同類緊張圧力を生み出し、それによる同類間の闘争を回避するために贈与というシステムが発生した、となります。
そこで、第7回では、この贈与の意義を、再度固定する意味で非常に参考になる投稿を、るいネットの記事から紹介したいと思います。
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それでは、るいネットより「贈与の意義」を紹介します
                     

>ポトラッチ自体の目的や在り方も地域や時代によって変化してきており、観察者によっても解釈が様々です(岡本さん)
そのようですね。ポトラッチに類似のものとして、東南アジアに広く広がる「勲功祭宴」というものもあるようです。一生懸命に育て上げた家畜を食べ散らかして捨ててしまうとか、貯めこんだものを一挙に使ってしまう(=蕩尽する)というようなばかげた無駄な行為こそが、実は人間にとっての基本的な行為であり、人間はそこに根源的な喜びを感じるとする考え方もあります。とはいえ、ポトラッチは「競覇型の全体的給付」や「顕示的消費」などとも呼ばれ、少し特殊な形態と考えられます。そこで、「贈与」ということを、もう少し一般的に見ておきたいと思います。

  ●物々交換はなかった  
物々交換から必然的に貨幣経済、そしてそれを媒介とする市場社会が、生まれたというのが従来の経済学のストーリーでしょうが、人類学者は、古代の歴史上「物々交換」が行われたことはない、と考えています。経済学が「物々交換」ととらえたものは、実は「贈与の交換」なのだ、というわけです。「物々交換」という概念自体、近代が生み出した神話なのです。マルセル・モースがこのことに初めて着目しました。彼は、「未開」と呼ばれている社会で、物のやり取りが贈り物として行なわれており、それを通して魂を交換しているということを発見しました。
 
彼の説では、贈り物には持ち主の魂が宿っているので、放置しておけば、受け手は贈り主の魂に支配されてしまうので、それを祓わなければならないというのです。贈り物には、お返しをしなければならず、これを「対抗贈与」といいます。これが繰り返されてエスカレートしたのがポトラッチです。どちらかがこれ以上贈り物はできない状態に成った時、贈与のできなくなった側が相手に権威を認めるわけです。しかし、権威を持った者のほうには、何の富も残っていません。権威と引き換えに、富は分配されてしまい、結果として社会は平等になり、「一気に略奪闘争→武力支配国家へと進展するのを押しとどめていた」(岡本さん)ということになるのです。これは偶然そうなった、というより、彼らの「潜在思念的」な知恵によるもの、と言っていいのかもしれませんね。

  ●贈与の交換は自己目的  
社会学では、社会関係を手段的であるか、目的的であるかによって分類します。それに従えば、経済的な交換は手段的であり、社会的な交換は目的的であるということになります。全ての伝統的な社会における交換の原理には互恵性(もらったものは返す)があり、基本的には同等のものを返します。しかし実際に行われている交換には経済的・社会的両方の要素が混じっています。だから、先に述べた分類は、あくまでも純粋な形として考えた「理念型的」な分類ということになります。ただ、歴史的に見ると、近代市民社会以前の社会では、市場交換よりもむしろ「互酬」や「贈与」そして「再配分」(構成員から貢ぎ物を集めて、それを貧しい人に与える)の要素が強く、さらに遡るほど、社会的な交換の理念型に接近すると思われます。
受けたものは必ず返す。できればもらったものより良いものを返す、したがって、交換によって利得はない、というわけで、交換すること自体が目的であり、交換されたものを利用する、という点は第一義的な価値をもっていません。これに対して、経済的交換では、まず必要を満たすことに目的があると考えられます。必要を満たすために交易が始まり、やがて交易によって利益を得るようになっていきます。縄文期終盤には経済的交換の端緒が形成されつつあった、という議論はありますが、戦争の有無の議論と同様、証拠に乏しく、大きくは「互酬的な贈与の交換」の範疇に納まるとみてよいでしょう。

  ●クラ交易(交換)  
何の意味があるのかよくわからないものを、毎年、命がけで交換しあっているのが、南太平洋トロブリアント諸島で行われているクラ交易です。14701 (「クラ交易」の贈り物)で、岡本さんが触れられたとおり、この群島では、赤い貝の首飾りと白い貝の首飾りの交換を続けます。交換には一定の回り方があり、受け取った方は自分の受けたものよりもより良い者を次に回さなくてはなりません。彼らはそのために船を造り、命がけの航海に出かけます。クラ交易は儀式的で、相手にわたすときに一定のストーリーを唱えることになっていますが、贈り物の交換には大きな意義(=威信)があります。首飾りは価値があるから交換するのではなく、苦労して贈与するから価値があるのです。

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マリノフスキーが「そのかげに隠れて、これと関連した二次的な活動や特徴がたくさんあることを私は発見した。つまり、腕輪と首飾りの儀礼的な交換と並んで、原住民は通常の交易を行う。」と述べているように、社会的交換の上に経済的交換が上塗りされてはいますが、ベースは互酬的贈与でしょう。贈与は、われわれが思っている以上に人間にとって基本的な行為であり、それは、より包括的な文化のネットワークの中に人々を組織し、その中で本源的で祝祭的なパトス的生を保障する聖なる儀式だと言えるかもしれません。

                     
・・・・ 😛
 冒頭で書いたように、贈与は、同類間の緊張圧力の緩和、つまり闘争回避のために生まれた行為です。そしてそれは、人口増加と生存域の拡大から発生した同類緊張圧力という、今まで人類が遭遇したことのない、まったく新しい外圧=先端課題に対する『答え』でもあったのです。
 同類緊張圧力の最も高まった時期、つまり人口増加のピークを迎えた縄文中期では、温暖化により、木の実の確保が比較的容易であり、狩猟・採集に対する活力は徐々に低下していったと考えられます。そのような時期において、贈与品の製作という、先端課題への取り組みは、縄文社会の人々の活力を上昇させるに最も適した活動だったのではないでしょうか。その視点で捉えると、引用投稿のはじめの段落で紹介されていた「勲功祭宴」も、今まで蓄えてきた財産を一旦無にすることで、強制的に外圧を高め、活力を維持していたと考えることができます。
 縄文時代の贈与の意義、それはシリーズ開始から書き続けている、同類緊張圧力の高まりからの『闘争回避』と、豊かさによって徐々に失いつつあった縄文人の『活力源』という2つがあるのではないでしょうか。
 引用文中に
”贈与は、われわれが思っている以上に人間にとって基本的な行為であり、それは、より包括的な文化のネットワークの中に人々を組織し、その中で本源的で祝祭的なパトス的生を保障する聖なる儀式だと言えるかもしれません。”
とあるように、贈与することで、人は本源的な生を全うすることができるのだとすれば、それを活力源にした縄文人が本源性を失わずに、長い間存在し続けられたことも納得できるような気がします。

投稿者 hi-ro : 2010年03月05日 List  

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コメント

>何か事あれば受け入れ体質―舶来信仰で国家間の外圧に対峙してきた日本は、一度も本気で「どうする?」を考えた事がない稀有な民族かもしれません。
日本人は、不思議な人種であることがまた発見されたように思います。「考える」ということは一体、なんであろうか?と疑問に思います。生物は、外圧変化に対して、外部認識機能(充足)と内部認識機能(欠乏)をイコールにして、適応してきました。その場合、考えるという行為があったかどうか?
 人類は本能機能不全からサル以来の共認機能に収束し、言葉や精霊信仰等の観念機能を生み出して外圧状況を把握し進化してきました。自然の背後に見えない気配を悟って、それを観取してきました。
 考えるという観念機能は、その後、自然界にはないものを見ることから発生しているのでやもすれば、現実を捨象してしままえます。
 同類同種闘争・肥大社会に巻き込まれて、外圧が高かまれば高まるほど、本来、人間の本質である共認機能を離れて、頭ばかりで考えるという行為が発生したのだろうと思います。ようは、考えるとは、否定的な課題や要素が加わった場合の頭の使い方のように思います。
本源性を色濃く残す日本人は、同類どうしが接触しても、それを考える前に、まず、人間本来の共認機能を使い、受け入れるという行動からはじめたのではないでしょうか?

投稿者 kon : 2010年5月15日 19:31

>これら稲作伝播の速度を説明するには縄文人の欠乏だけを推進力に帰するのは困難に感じます。やはり、渡来人の強い先導力(=同類闘争圧力)→それを受けての縄文人の友好を旨とする受け入れ体質、さらにここから派生して形成された進んだ文化に対する舶来信仰という力学構造なしに、世界でも例を見ない稲作の驚異的なスピードでの伝播と定着はなし得なかったと考えられます。本源集団で育まれた受け入れ体質こそが、「可能性収束」と見える所以だと思われます。
>「安定・充足基調である女原理に根ざした集団肯定・男女の役割肯定を基本となし、自然の摂理、サイクルの中で与え得られる恵みを感謝の念で受け入れた。肯定性、集団性、平和友好志向という体質。」
稲作伝播の速度が驚異的に高いのは、日本人の集団性もかなり寄与していると考えます。伝播の速度が高いということは個人では実現不可能でしょう。
しかし、垣間見える「考えない日本人」という特質が蓄積されてきたということは、どのようにして、改善していけば良いのでしょうか。今回で少なくとも「日本人は考えない」ということが認識できたということは一歩前進ですね。

投稿者 norio : 2010年5月15日 19:34

konさんコメントありがとうございます。
「考える」という行為を少々否定的に考えておられるようですので少し補足をしておきます。
まず人類において「考える」という行為がなければ動物と変わりません。人類の霊長類たる所以は「考える」機能を持つ脳を持ち合わせている事に他なりません。
>人類は本能機能不全からサル以来の共認機能に収束し、言葉や精霊信仰等の観念機能を生み出して外圧状況を把握し進化してきました。自然の背後に見えない気配を悟って、それを観取してきました。
konさんが仰る観念の獲得が「考える」原点です。それによって言語を獲得し、より緻密に外圧を捉え集団で適応し、ようやく2万年前に洞窟から出て太陽の下で活動する事が可能になったのです。「考える」という行為はまさに現実を突破する為の唯一の人類の武器なのです。
下記に先日のなんでや劇場で語られた「考えるとは何か」の部分を紹介します。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=231048
>考えることの中心軸の一つは、現実の圧力を前にした「どうする?」という実践思考にある。
>考えることを迫られる場面は2つ。①実践思考(←闘争圧力の高まり)と、②体制転換・パラダイム転換⇒統合機運である。
★なぜ今「考える」必要があるかについてです。
>現在は、戦争時のような闘争圧力発で考える必要が高まる可能性は小さいが、統合機運は今後上昇するはずである。官僚・検察の暴走、企業をはじめとする私権体制の崩壊から秩序崩壊の予感が顕在化する。そこで特権階級の無能視が普遍化すれば、大衆が自分たちの手で社会を統合しなければという統合機運が生起し、その潜在機運を受けて一部の人間が新理論の構築に入ってゆくだろう。
★そして「考える力=観念力」とは何か?
>まずは私権原理から共認原理への大転換という状況を直視して、どうする?という問題意識を形成すること。
どうする?という実践思考では、まず状況認識が必要(ex.敵を知る・・・)だが、状況認識にもレベル差が無限にある。新聞レベルの浅い状況認識では答えは出せない。答えを出すにはより深い位相で構造化する必要があり、そこで答えが出なければもっと深い位相で追求する必要がある。
最後に・・・
何の為に考えるか?
自分の為ではなく、集団で適応するためです。
集団性を今日まで温存してきた日本人が本気で「考える」ことを始めたらそれは人類にとっても大きな力になるのではないかという部分が日本人の可能性であり期待であると思います。

投稿者 tano : 2010年5月15日 23:46

norioさまコメントありがとうございます。
>しかし、垣間見える「考えない日本人」という特質が蓄積されてきたということは、どのようにして、改善していけば良いのでしょうか。
やはり先のコメントに書いたように「考える」という事の始まりが「状況を捉える」という事にあるように、まずは現実を捉える為の認識を蓄積していく事だと思います。
現実を360度あらゆる観点から捉えなおし、どうする?のヒントをその中から紡ぎだしていく。考える目的は可能性を見つけ出すためです。考えるということは苦しいけど楽しい。
だから「ひとりではなく」、「みんなで考える」のです。

投稿者 tano : 2010年5月15日 23:55

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