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2009年12月30日

【年末年始特集】シリーズダイジェスト『縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?』

 こんばんは、カッピカピです。
 暮れも押し迫った、12月30日。みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はというと、故郷に帰り、久々にゆっくりくつろぎながら、このブログを書いています。
 思い起こせば、今年もたくさんの記事がこの縄文ブログにupされました。読者のみなさんには、それぞれに印象深かった記事があったと思います。ぜひ、年が明ける前に、それらの記事をもう一度読んで頂けるとうれしいです。
 さて、今日は、下半期にupされた、『日本人の本源性の中身とは』のシリーズ投稿をダイジェストでお送りしたいと思います。
 このシリーズは、世界金融危機で市場原理主義の限界が明らかになり、国家体制の崩壊が騒がれる中、共認原理で長い間統合されてきた縄文時代を経験してきた日本人の本源性の中身を明らかにし、次代の可能性を探っていこうという主旨ではじまったものです。
 るいネットの注目投稿を引用しながらの記事になっていますので、このダイジェストを読みながら、ぜひ本文も読んでみてください。
 それでは、シリーズ全7作を紹介していきます。
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①縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-1
 シリーズ1作目は、『日本人の基点「勤勉』は、充足発の女原理』を扱ったくまなさんの記事でした。
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 女性の勤勉性と、男性の怠けグセについて、男女の役割規範を基に展開しています。ここでのポイントは、女性の勤勉性は、子供を育てるといった継続的で単純な作業の繰り返しが、日々の充足の源であったこと、そしてそのような役割を担った女性たちは、役割規範の共認充足に導かれて、その機能を伸ばしていったことに起因する、ということでしょう。まさに、勤勉性は、充足発の女原理の賜物と言えます。
②縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-2
 シリーズ2作目は、『【充足可能性の実現】を採取部族に学ぶ』を扱ったぴんぐーさんの記事でした。
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 現在と同じ、”【生存圧力の消滅=外圧低下】⇒【充足思考・安定志向】の意識潮流下”にあった採取時代の人々から学ぶべきものとは何か。この記事を読めば、充足発の実現思考の可能性を改めて認識することが出来ます。
③縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-3
 シリーズ3作目は、『日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い』を扱ったサティさんの記事です。
 日本人の可能性を探る上で、避けて通れないのが、西洋と東洋の違い。童話の中身を見比べてみても、日本は共同性を奨励し、西洋は他者に対する警戒と、自由な私権獲得という個人主義を奨励していることが分かります。
④縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-4
 シリーズ4作目は、『共同体では、子供はみんなで育てる。』を扱ったちわわさんの記事でした。
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 社会の最小単位である、家族についても、日本人の可能性を垣間見ることができます。今でこそ、家庭内での教育機能は著しく低下し、子育て不安に駆られて子供も産めないといった現象も生まれつつありますが、ほんの少し前までは、縄文体質を色濃く残した『みんなで子育て』といった風習も残っていたのです。
⑤縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-5
 シリーズ5作目は、『縄文人の欠乏とは?(2)』を扱った私の記事でした。
 縄文人の同化対象は「自然」と「生と死」。これらに完全に同化すること、それこそが縄文人の精神的な欠乏だったのではないだろうか。そのために、自然の一部であり、自然の中のサイクルの一部であろうとした縄文人。これこそ、究極の人類の本源性と言う事ができそうです。
⑥縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-6 祭りの多面性と核心
 シリーズ6作目は、『「祭り」の多面性と核心』を扱ったくまなさんの記事でした。
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 祭りの様式や極限時代の起源から導き出される祭りの核心は、圧倒的な自然外圧に立ち向かうために必要だった解脱、すなわち、踊りによる共認充足によってもたらされる半睡・トランス状態だったと思います。
 そして、自然外圧という不全をなんとかするために、精霊への応望⇒探索⇒同化が不可欠であり、精霊と交信する“まつり”を続けたのです。⑤の縄文人の欠乏を充たす上で必要不可欠だったのが”祭り”と言えそうです。
⑦縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-7~親子について~
 シリーズ最後は、『オヤとコ。』を扱ったぴんぐーさんの記事でした。
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 日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいたそうです。つまり、今で言うオヤコは「父親と母親とその子供」を指しますが、そういった括り方はとても歴史の浅いものだったことが分かります。
 本来、人間にとって仕事(闘争)と親和(解脱)はなくてはならないもの。昔の農村(共同体)ではそれが一体であり、そこには、親子関係=血縁を超えた繋がりがありました。それが集団の結束力を今よりも高めていたことは言うまでもなく、オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったことでしょう。
 以上、大雑把に全7投稿をおさらいしてみました。日本人の可能性、それは、ほんの少し前まで、日々の生活の中に本源的な習慣が色濃く残っていたことではないでしょうか。
それが、西洋から輸入された近代思想によって、跡形もなくなくなる前に、私たちは自分達の手で取り戻す必要があるのだと思います。

投稿者 hi-ro : 2009年12月30日 List  

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コメント

王権の移行、その多くは基本的に相続を目指したのでしょうか・・・・。
それでも新たな相続権をめぐり争いが発生する歴史からしても、王”権”とは手中にしたいものだったのでしょうね。
今後の展開も楽しみです。

投稿者 鯉太郎 : 2010年3月16日 22:35

milkteaさん
今回の記事は力作ですね。
様々な当時の状況に同化されて考察しており、考えさせられる点や視点の発見がありました。
>一口に『王』といっても、中央集権の上に立つ絶対君主とはかけ離れた、連合体の最高首長にすぎなかった倭国王にとって、その存続のために、連合体が納得するための『正当性』を示す必要があった。
卑弥呼や連合の王、古墳をこの延長で読み解く史観には頷きます。
その上で卑弥呼という役職は渡来人が現地人を支配する上で、女性崇拝を基にした縄文人文化を取り込む上でたどり着いた方法論であった。
従って邪馬台国でなくても卑弥呼(という役職)は存在し、政治を司る男の王と集団の共認を担う女の王の並列状態が弥生からヤマト王権の過渡期には登場した。
>社会を構成する意識の中に、『個』と『場』という対極の倫理観があります。現代の日本人は、出入り可能な『場』の構造の中にいるとされています。『場』の内部においては、場全体の平衡状態の維持に努めようとする力が働きます。
この部分の理解に少しの解説をいただきたいと思います。
おそらく古代王権が連合という形をとってきた背景に平衡状態の維持という圧力は働いていたと思います。とすれば、何ゆえにそうなったのか?出入り可能な場とそうでない場の違いとは何か?ちょっと禅問答のようになりますが、可能であればお答えください。
なにやらかなり難しい展開になっているようでついて行くのに目いっぱいですが、次回が楽しみです。

投稿者 tano : 2010年3月16日 23:00

鯉太郎 さん
コメントありがとうございます。
前回示したとおり、倭国において王は、必要に迫られて作り上げられた存在でした。ですから誰かが継がなくては、内乱へ逆戻りです。そしてこの時点での王の権力は、その他の首長とは飛びぬけて差があるというものでも無かったのが実情です。かなりの力量が求められます。ですから、のどから手がですほど相続したい代物であったかどうかは、人にもよるかと思いますが、正直微妙ではなかったかとも思えます。所有するもの以上に、重い義務を負っていたと考えられるからです。

投稿者 milktea : 2010年3月17日 07:47

tanoさん
コメントありがとうございます。
力作とは恐れいります♪
> 卑弥呼という役職は渡来人が現地人を支配する上で、女性崇拝を基にした縄文人文化を取り込む上でたどり着いた方法論であった。
従って邪馬台国でなくても卑弥呼(という役職)は存在し、政治を司る男の王と集団の共認を担う女の王の並列状態が弥生からヤマト王権の過渡期には登場した。
 そういう事なんだと思います。ちなみに壱与も卑弥呼という役職についていた人と、理解できるわけです。
 「場」について少し説明したいと思います。
 わたしの書き方が悪かったかもしれませんが、出入り可能な集団を「場」と表現するわけです。場の内においては、妥協以前の一体感が成立していて、言語化しがたい感情的統合によって、あらゆることが曖昧に一様になっている状態と、捉えてください。「おまかせする」態度も必要です。反対に個の倫理に従う時は、個人の責任とか契約が重視されるわけです。「場」の倫理感は、母性原理がやはりベースにあるはずです。
 >古代王権が連合という形をとってきた背景に平衡状態の維持という圧力は働いていたと思います。
 これがなければ内乱へ、逆戻りするわけです。その時点での各首長が率いる権力構造が維持できるのであれば、一番でなくてもいいから、納得できる「落としどころ」で決着をつけようということです。そのかわり、王には「ちゃんと統率しろ」と要求していたはずです。
うまく説明できたかな~
ちょっと心配ですが…ヾ(´―` )

投稿者 milktea : 2010年3月17日 08:43

milkteaさん、こんばんは。いろいろとヒントをいただきました。長くなったので、掲示板の方にいれました。よろしければお読み下さい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=228740
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=228741
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=228743

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年3月23日 01:30

 怒るでしかし~さん
コメント読ませていただきました。
ありがとうございます。
本名で書かれていたので、先にるいネットを見た時、わかりませんでしたよ~
一人でやってる(←言い訳 笑)し、ツメが甘いんですよね、わたし…
いろいろ参考になりました。ありがとうございます♪

投稿者 milktea : 2010年3月29日 07:38

怒るでしかし~さんよりいただいたコメントに多少お答えできるかどうか…
 >日本の特殊性は、そのようなシャーマニズムとしての天皇を近代になっても社会統合の象徴として見続けている、しかも、その社会統合の象徴の実態は、実は、縄文以来の母系統合イメージに成りすました渡来民の王だという事実を、直視していない、という点にあると思います。
渡来民は婚姻などを通じて日本人と同化していき、(秦氏など直接朝鮮民族として残った豪族は一部だと考えています)それゆえ、わたしは同化した渡来民はやはり日本人だという前提でいます。
シャーマニズムの要素を持った天皇の実態について、国家観の成立時期に焦点をおき、4、5回で示してみました。
そして、存続した天皇は現在社会統合の象徴であることについて、「その必用がある」という方向で、最終回の「天皇の存在意義」に繋げていきたいと思っています。
うまく書けるかな~って不安もあるのですが、そこはそことして、またよろしくご意見お願いします♪

投稿者 milktea : 2010年3月29日 20:43

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