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【年末年始特集】シリーズダイジェスト『縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?』

 こんばんは、カッピカピです。
 暮れも押し迫った、12月30日。みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はというと、故郷に帰り、久々にゆっくりくつろぎながら、このブログを書いています。
 思い起こせば、今年もたくさんの記事がこの縄文ブログにupされました。読者のみなさんには、それぞれに印象深かった記事があったと思います。ぜひ、年が明ける前に、それらの記事をもう一度読んで頂けるとうれしいです。
 さて、今日は、下半期にupされた、『日本人の本源性の中身とは』のシリーズ投稿をダイジェストでお送りしたいと思います。
 このシリーズは、世界金融危機で市場原理主義の限界が明らかになり、国家体制の崩壊が騒がれる中、共認原理で長い間統合されてきた縄文時代を経験してきた日本人の本源性の中身を明らかにし、次代の可能性を探っていこうという主旨ではじまったものです。
 るいネットの注目投稿を引用しながらの記事になっていますので、このダイジェストを読みながら、ぜひ本文も読んでみてください。
 それでは、シリーズ全7作を紹介していきます。
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①縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-1 [3]
 シリーズ1作目は、『日本人の基点「勤勉』は、充足発の女原理』 [4]を扱ったくまなさんの記事でした。
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 女性の勤勉性と、男性の怠けグセについて、男女の役割規範を基に展開しています。ここでのポイントは、女性の勤勉性は、子供を育てるといった継続的で単純な作業の繰り返しが、日々の充足の源であったこと、そしてそのような役割を担った女性たちは、役割規範の共認充足に導かれて、その機能を伸ばしていったことに起因する、ということでしょう。まさに、勤勉性は、充足発の女原理の賜物と言えます。
②縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-2 [5]
 シリーズ2作目は、『【充足可能性の実現】を採取部族に学ぶ』 [6]を扱ったぴんぐーさんの記事でした。
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 現在と同じ、”【生存圧力の消滅=外圧低下】⇒【充足思考・安定志向】の意識潮流下”にあった採取時代の人々から学ぶべきものとは何か。この記事を読めば、充足発の実現思考の可能性を改めて認識することが出来ます。
③縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-3 [7]
 シリーズ3作目は、『日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い』 [8]を扱ったサティさんの記事です。
 日本人の可能性を探る上で、避けて通れないのが、西洋と東洋の違い。童話の中身を見比べてみても、日本は共同性を奨励し、西洋は他者に対する警戒と、自由な私権獲得という個人主義を奨励していることが分かります。
④縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-4 [9]
 シリーズ4作目は、『共同体では、子供はみんなで育てる。』 [10]を扱ったちわわさんの記事でした。
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 社会の最小単位である、家族についても、日本人の可能性を垣間見ることができます。今でこそ、家庭内での教育機能は著しく低下し、子育て不安に駆られて子供も産めないといった現象も生まれつつありますが、ほんの少し前までは、縄文体質を色濃く残した『みんなで子育て』といった風習も残っていたのです。
⑤縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-5 [11]
 シリーズ5作目は、『縄文人の欠乏とは?(2)』 [12]を扱った私の記事でした。
 縄文人の同化対象は「自然」と「生と死」。これらに完全に同化すること、それこそが縄文人の精神的な欠乏だったのではないだろうか。そのために、自然の一部であり、自然の中のサイクルの一部であろうとした縄文人。これこそ、究極の人類の本源性と言う事ができそうです。
⑥縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-6 祭りの多面性と核心 [13]
 シリーズ6作目は、『「祭り」の多面性と核心』 [14]を扱ったくまなさんの記事でした。
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 祭りの様式や極限時代の起源から導き出される祭りの核心は、圧倒的な自然外圧に立ち向かうために必要だった解脱、すなわち、踊りによる共認充足によってもたらされる半睡・トランス状態だったと思います。
 そして、自然外圧という不全をなんとかするために、精霊への応望⇒探索⇒同化が不可欠であり、精霊と交信する“まつり”を続けたのです。⑤の縄文人の欠乏を充たす上で必要不可欠だったのが”祭り”と言えそうです。
⑦縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-7~親子について~ [15]
 シリーズ最後は、『オヤとコ。』 [16]を扱ったぴんぐーさんの記事でした。
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 日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいたそうです。つまり、今で言うオヤコは「父親と母親とその子供」を指しますが、そういった括り方はとても歴史の浅いものだったことが分かります。
 本来、人間にとって仕事(闘争)と親和(解脱)はなくてはならないもの。昔の農村(共同体)ではそれが一体であり、そこには、親子関係=血縁を超えた繋がりがありました。それが集団の結束力を今よりも高めていたことは言うまでもなく、オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったことでしょう。
 以上、大雑把に全7投稿をおさらいしてみました。日本人の可能性、それは、ほんの少し前まで、日々の生活の中に本源的な習慣が色濃く残っていたことではないでしょうか。
それが、西洋から輸入された近代思想によって、跡形もなくなくなる前に、私たちは自分達の手で取り戻す必要があるのだと思います。

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