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2011年01月01日

日本人の可能性~女性の力に期待する1年

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あけましておめでとうございます。
今年も当ブログでは、古代史を遡り、そこから今後の社会の導きとなるヒントを得られるように追及してゆきたいと思います。
さて、2010年はみなさまにとってどんな1年でしたでしょうか?
新聞があげる重大ニュースでは、
鳩山首相退陣、後継に菅副総理・財務相
尖閣諸島沖で中国漁船が海保巡視船と衝突、海上保安官が撮影ビデオを流出
参院選で民主大敗
郵便不正事件の押収証拠改ざんで大阪地検特捜検事を逮捕

などが関心が高かったニュースでしょうか?
政治不信・官僚の暴走・日中関係の悪化など、現代社会を治めている支配層・特権階級の混迷ぶりがますます強くなった1年だったとおもいます。
一方で普通の企業・会社員・学生たちの意識はどこに向かっていっているのでしょうか?
支配層・特権階級の混迷ぶりが強くなることは、社会秩序の不安につながります。連日報道される不可解な暴力事件などもこのような秩序崩壊を表すものです。
そんな時代だから、現在の社会の歪を生み出している根本原因はなにか?その探索の先に新しい秩序の構築があるのではないか?という探索思考が生まれ、ひとびとの勉強欠乏(認識収束)を高めているといえます。
ところでこの勉強欠乏や認識収束を高めるにはなにが必要でしょうか?
現在は情報化社会といわれるように、書籍や新聞・雑誌・ネットなど、膨大な情報があふれています。それを貪欲に読み漁り、情報を蓄積することでこの認識収束に応えられるでしょうか?
こたえは否です。
社会閉塞→当事者意識の高まり(認識収束)が目指す地平は、新しい社会を「実現」することです。
近代以降続いてきた、社会制度が限界を向かえ、その力の基盤がとことん低下している現代だからこそ、みなの期待(=社会期待)を実現する時代にはいったのです。
ではあらためて認識収束の時代に生き残ってゆくために必要なものはなんでしょうか?

それは、共認充足と(それを母胎にした)実現です。
充足を生み出すには、相手に同化する必要がある。実現するためには、対象に同化する必要がある。つまり、今後必要とされるのは対象に対する同化であり、同化能力こそが現代~近未来の最終制覇力(実現力)であるということになるだろう。言い換えれば、観念力を鍛えるためにも、言語能力を磨くためにも、同化能力を鍛えるというのが最終回答になる。

従って、対象に同化しさえすれば新しい認識が付け加わることによって、より正しく状況が掴め、もって事実を追求すること(原因を追求すること)が可能になる。
新しい認識の創出は超難問というイメージを抱く人が多いが、問題意識を元に対象に同化しさえすれば、誰でも新しい認識を生み出すことはできる。

10/17なんでや劇場(7) 現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
この縄文ブログも 「同化」 というキーワードを常に意識して記事を更新していきたいとおもいます。
さてずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、今回は日本の女性の同化能力の高さについて紹介してみたいとおもいます。
ここ数年 「女子力」 という言葉が時代のキーワードになってきています。
不況下の現在、「女子力」を生かした企業は確実に成果を伸ばし始めています。
今回はその力の基盤はなんなのか?日本人の特徴である縄文気質とのつながりはあるのか?を追求したいとおもいます。
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お客さんとの電話対応等で、本来ならクレームにならないやりとりなのに、なぜかクレームになる。
本人は、いたって普通に対応しているつもりなのに、(相手に不快な感じを与え)人間関係がギクシャクしていくetc
という人、周りにいませんか?
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こういった場合、大抵は「あの言い方がまずかった」etcの総括がされますが、それは違うんです。
「言い方」の問題ではなく、その人の「心のあり様」が問題なんです。
共認動物である人類は、言葉になってない(言葉として発せられていない)想いを感じとっています。(実はこれで感じる部分が大半を占めていて、言葉って補助でしかないかも。)
だから、「あ~この人嫌だな。この対応面倒くさいなあ。」って相手を否定視してたら、全てそれが伝わっていきます。(言葉(上辺)で、いくらキレイごとを並べていても(><))
だから、根本からこの問題を解決していくには、心あり様を、「否定」から「肯定」に転換してくしかありません。
人類には、46億年の進化で塗り重ねてきた潜在思念(or内部意識)があります。そこには、「全ての存在にたいする肯定感」、「感謝の心」が備わっています。
それらを蓋している観念を取っ払って、どれだけ潜在思念(or内部意識)を生起させることができるのか?
これが、解決への根本の道のりです。

「言い方」の問題?いいえ、その「心のあり様」が問題です。
昨年るいネットに投稿された、女性のこの投稿は、「同化能力」を端的にあらわしているとおもいます。
ことばになっていないくても、相手に対する肯定感を伝えることを日本人、特に日本の女性は自然と身に着けています。
そのことを伝える記録を、江戸末期~明治初期に日本を訪れるた外国人の伝記にみることができます。
外国人から見た日本と日本人(ぜひクッリクしてください)
●ではこの同化能力はどのように身に付いたのでしょう?

西洋人/東洋人(その中でも日本人)の民族性の違いは、人間の本性である共同性がどれくらい残っているかによって規定されています。東洋であれ西洋であれ、始原人類はこの共同性を育みながら、共認充足を最大の活力源として何とか生き残ってきた存在です。
約5000年前にイラン高原で勃発した人類最初の略奪戦争は、玉突き的に東西に伝播していきますが、皆殺しが常態となっていった西洋に比して、東洋は支配・服属という形が主流となります。特に、日本列島では、大規模な略奪戦争は発生せず、中国大陸の負け組みが渡来人として定着していきました。
この大規模な略奪戦争の有無によって、西洋人、東洋人、日本人、それぞれの共同性に大きな差が生まれ、民族性の違いを生んでいます。つまり、皆殺しにまで発展した戦争を経験した西洋人は周囲に対する警戒心が高まり共同性が失われ、そのような戦争を経験していない日本人は警戒心がそれほど高まることなく共同性が保持されています。
この「共同性」が影響を与えるのは、何も人間関係だけではありません。共同性の根本にある自分と相手を同一視する機能は、観念機能のあり方にも大きな影響を与えます。(対象物である自然との同一視を通じて作り上げられた日本の観念体系と、自然を警戒すべきもの→征服すべきものとして捉えて作り上げられた西洋の観念体系)

日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い
史実に照らし合わせてみると、「大規模な略奪戦争は発生せず」という点が共同性の高さ→同化能力の高さに繋がっていったとおもいます。
また「中国大陸の負け組みが渡来人として定着」という事象を、DNAの多様性という視点で分析している投稿が最近のるいネットにあかっています。
日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか
米国やヨーロッパ諸国に比べて日本人は単一民族と思い込みがちですが、はるか昔の縄文時代は、DNAの多様性という点では人種のるつぼという発見は、非常におどろきました。
少数部族の連合体だからこそ、相手を同一視しながら関係性を維持し続けられ、さらにそのような僅差の力関係だったからこそ、みなが当事者意識=実現思考を持ち続けられ、さらには「勤勉」という活動(生産)に対する肯定感を生み出したようにもおもいます。
日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理
近代社会とは帝国の時代でしたが、その制度の限界性があらわになった現在、「多極化」というキーワードが注目されはじめています。この多極化の時代に適応するヒントが「部族連合」にあるような予感がします。
今年はこのあたりを追求していきたいと考えています。
本年もよろしくお願いします。

投稿者 chai-nom : 2011年01月01日 List  

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コメント

こんばんわ。
台湾の記事、堪能しました。
さて、最後の疑問の部分ですが、私の意見を少し述べさせていただきます。(記事でこのような終わり方はいいですね。読者に考えさせる事になりますので。)
・なぜ17世紀以前中国は台湾を侵略しなかったのか(メリットがなかった?)
~中国の最大の特徴は陸の文化です。中国は海が苦手です。特に台湾と中国には玄界灘より広い海が隔たっています。
日本がこれだけの長きにわたり中国の支配を受けなかったのは中国が海軍を擁していないからです。日本に大量に渡ったのは朝鮮半島の倭人です。彼らは中国と違い、海洋には長けていました。
唯一中国でも海洋系の民族が江南人ですが、彼らは長江の倭人の残党で略奪の民ではなく、友好の民です。台湾が長く本源性を有していられたのは中国の南の対岸に位置していたからでしょう。
最後の理由が、中国内の戦乱の位置です。
中国を中心的に支配した北方騎馬民族の支配範囲は長江あたりまでで福建省あたりの江南にはなかなかその支配の手が伸びなかったのだと思います。
もう一つの疑問はどなたか答えてください。

投稿者 tano : 2011年4月25日 22:50

>日本に大量に渡ったのは朝鮮半島の倭人です。
倭人は呉や越のあたりから黒潮に乗って九州へ渡って来た人達の事を指しますから、朝鮮半島から渡って来たという表現は誤りです。
逆に倭人の一部は朝鮮半島南部にも渡って来ています。

投稿者 白飯 : 2011年7月29日 00:24

>倭人は呉や越のあたりから黒潮に乗って九州へ渡って来た人達の事を指しますから、朝鮮半島から渡って来たという表現は誤りです。
そうですね。
倭人は呉越の人で、彼らが朝鮮半島南部で任那を形成した一派だと思います。私のコメントの誤りでした。訂正ありがとうございます。

投稿者 tano : 2011年8月2日 22:55

疑問というか、愚問です。
台湾の原住民というか、先史時代から居住している少数民族がアイヌ民族の楽器であるムックリを奏でていましたがアイヌ人と高砂族に関連性はないのでしょうか?
あれはムックリに見えましたが、同一でしょうか?
私の勘違いなのでしょうか?

投稿者 sivbikku : 2011年8月8日 23:26

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