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2022年01月07日

【縄文再考】大陸と縄文③~縄文・長江文化の底流にある精神とは?

前回前々回で、日本列島と大陸の、耳飾りや石斧・土器などの文化的類似性を紹介してきました。

縄文文化は「列島単独ではなく、日本海を囲む横断的な文化圏」の中で育まれたのです。

 

今回は日本列島と大陸の文化の底流に流れるものは何かを探っていきます。

ケツ状耳飾などの制作工程

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■なぜ、中国人も縄文人も、玉(石)を好むのか?

約7000年前の中国東北部(興隆窪(こうりゅうわ)文化)の耳飾りが、約6,000年前の列島に届き、列島全体で大流行しました(全国で発掘)。

写真左が中国で出土、右が日本で出土

図 中国と日本の装飾具の変遷

 

確かに素敵な耳飾り(一説にはペンダント)ですが、ここまで拡散したのは理由があります。

それは、石という素材に秘密があります。

今でも中国では美しい石のことを「玉」と呼び、装飾品として親しまれています。かつては金銀以上に重宝されてきました。玉を愛するのは中国人だけではありません。縄文の人も、マヤの人も同じです。ニュージーランドのマオリの人も、アメリカインディアンも玉を大事にしています。つまり、環太平洋に面する地域は玉が好きなのです(金銀を大事にする地中海文明やメソポタミア文明とは違いますね)。

 

なぜ、玉は人を惹きつけるのか?

そこに日本海文化(場合によっては環太平洋文化)の精神性が隠されています。

 

中国最古の地理書であり、長江文明の神話が記載されている『山海経(せんがいきょう)』(戦国時代から秦・漢期にかけて徐々に付加執筆)は、文字通り山と海のことが書かれています。

そこには、「◎◎山には○○玉が採れる」ということが、たくさん書かれ、関心の対象です。これはどういことかというと、山というのは玉が採れるところであり、『玉は山のシンボル』なのです。つまり、山を大事するからこそ、玉を大事にするのが長江人・縄文人なのです。

 

■漁撈・稲作文化が祈った天と地の融合、循環の精神

日本海の文化圏(広義には環太平洋文化)が、なぜ山を大事にするか。

それは生産様式と密接に関わっています。水と森が豊かな地域では、漁撈・採取が盛んであり、少し後に稲作が栄えました。

 

ミツカン水の文化センターHPより引用

https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no26/01.html

 

山がなぜ大切かというと、天と地をつなぐ架け橋なのです。()という玉器があるんですが、丸と四角の結合からなっているんです。淮南子(えなんじ)の『天文訓(てんもんくん)』にもあるように、丸は天で地は方(四角)です。は天地の結合を示している。稲作漁撈民は、天地が結合することに豊穣を祈った。だから山というのは、天と地をつなぐ橋(階段)なんです。 

中国・良渚文化の玉琮(天を丸、地を四角で表し、結合を表現)

日本の会津磐梯山の、磐は岩、梯ははしごです。天地をつなぐ岩のはしごという意味なんです。また、日本人は柱を大切にしますね。それは、天地をつなぐものだからです。

 また鳥を崇拝しますが、鳥というのは、天地を行き交うものだからです。アメリカインディアンも羽飾りを頭につけますね。

 

漁撈・稲作民は、山から生まれた水で森や植物が育ち、水田を通り抜け、海に流れ込み豊かな漁場が生まれ、雨となり再び山へ水が循環するということを良くわかっていました。そのような日常を通じて、天と地の結合を祈り、その架け橋が山だったのです。

だからこそそこでとれる玉」を大事にしたのです。

 

■漁撈稲作文明の再発見

環境考古学の安田喜憲氏は著書「文明の環境史観」の中で、畑作牧畜文明を「動物文明」、稲作漁猟文明を「植物文明」と著している。15世紀までは2つの文明が拮抗していたが、15世紀以降に植物文明が縮小し、森と水が破壊されてしまった。

しかし、これからの人類の存続を考えるとき、モンスーンアジアの漁撈稲作民が持っている「知恵」が重要になると述べています。

水と森が循環し、自分達は活かされているという想いこそ、日本列島や長江文化の底流に流れる精神性であり、これからの時代に求められるでしょう。

 

参考文献

ミツカン水の文化センターHP 

「縄文時代の装身具と翡翠」

投稿者 ando-tai : 2022年01月07日 List  

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