2022年1月13日
2022年01月13日
【縄文再考】従来の常識をくつがえす縄文人の豊かな生活
みなさん、こんにちは!
縄文時代の遺跡から発掘される遺構や遺物、遺骨等は、近年の技術革新により、かなり詳しい検証が可能になっています。新しい発見が相次いで発表されることで縄文時代の謎に迫れるのは、とてもワクワクしますね。
特に技術進展が目覚ましいのが、ミトコンドリアDNAの解析技術です。当ブログでも、縄文人のルーツについてそれらの調査・研究の結果から仮説検証を行っています。ルーツについては先日中間まとめ(リンク:縄文人のルーツ)を行いましたので、今回の記事では、数々の物証によって従来の認識が覆りつつある、縄文人たちの生活の実態にフォーカスをあてて追求していきたいと思います。
縄文人の生活と聞くと、おそらくこんなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか?
「粗末な竪穴住居や洞窟を住み家とし、小集団で移動しつつ、狩猟・採取中心の生活を送っていた・・・」
しかし、近年の発掘調査で、縄文時代は非常に活力に富んだ豊かな時代であったことが判明しています。
「衣食住」でその概要をみてみましょう。
「衣」。耳飾りや腕輪などの装身具が多数検出。縄文人はおしゃれを楽しむ文化の持ち主だった。
「食」。主食は種実類。クリやクルミなど生食可能なもの、ドングリやトチノミなど灰汁抜き処理が必要な堅果も食べていた。
「住」。縄文人の住まい=竪穴住居という図式は、今や完全に崩壊し、高床式建物も縄文時代中期から存在していた。
こうして概観すると、わたしたちのイメージとして定着した縄文人の生活の見方が変わってきますよね。ただ、この時代は、日本列島全体が同時に同じように栄えたわけではなく、大陸からの影響を南方、西方、北方からそれぞれ受けていたことがわかっています(リンク:三重構造)。そのため、場所によって縄文人の生活には違いがあり、また自然環境の変化(主には大災害)によって各地の慣習が融合していった過程が推測されるでしょう。それでは、それぞれについて少し詳しくみていきましょう。
投稿者 asahi : 2022年01月13日
Tweet