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2010年11月17日
縄文探求シリーズ【縄文人の食べ物】東と西どっちが住みやすかった?
こんにちは。カッピカピです。 😀
【縄文時代の食べ物】第2回目のテーマは、縄文人の食糧事情に大きく関係する『植生』について書いてみたいと思います。
縄文時代から今日かけて、我が国の植生は、基本的に大きく二つに大別できると言われています。一つはカシ・シイ・クスなどの常緑広葉樹林(照葉樹林帯)で、もう一つはブナ・ナラ・クリ・クルミなどを主とした落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)です。大雑把に言うと、前者は西日本に、後者は東日本に分布しています。そして、縄文文化は東日本、すなわちナラ林圏で栄えたとされており、これまで定説として広く受け入れられて来ました。 しかしながら、一方でこの説に対する反論も出てきています。そこで、今日は縄文時代の植生に関する諸説をご紹介し、それぞれの論点を整理してみたいと思います。
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縄文文化=ナラ林圏説は、主に佐々木高明氏によって説かれ、広く世間に受け入れられてきました。当ブログやるいネットでも、この説を後押し記事が数多くあります。まずはその一部を紹介します。
東北の縄文文化から学ぶ
ブナ林ってすごい!
縄文時代を支えた落葉樹林の豊かさ(るいネット佳作投稿)
佐々木氏の説やこれらの投稿から言える、縄文文化=ナラ林圏の根拠は、
・小山修三氏が算出した人口密度分布において、東北日本のナラ林圏内が高く、照葉樹林圏内である西日本が格段に低くなっていること。
・ナラ林圏は堅果類が豊富で、サケ・マスの遡上がみられ、落葉樹であるからその環境は明るいこと。
となります。
これに対し、西田正規氏は、人口密度の最も高い、関東地方の大部分が照葉樹林圏に入っていることに気付き、縄文文化=ナラ林圏説に異を唱えます。西田氏は、関東地方から東北地方にかけて、東日本火山帯が、九州には西日本火山帯が走っていること、日本の上空には偏西風が流れていることを踏まえ、火山性軟岩の分布図を作成し、これが人口密度分布図とほぼ一致すると述べました。
また、小山氏が大阪府、万博記念公園の日本庭園において行った、ブナ科の樹木6種の観察結果によれば、10アール当りの年平均の収量は、照葉、落葉に二分した場合、照葉18.8kg,落葉5.5kgで量的に見る限り照葉の方が生産性が高かったという報告もあります。
当ブログでも、
日本人の基層には西の文化がある!
で、日本人の工夫思考や食加工に対する技術は西の照葉樹文化を基盤として発展していったという記事がUPされています。
東西の違いを総合的に比較検証した記事としては
縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い
考古学から見た東と西の違いは?
があります。これらの記事によれば、西は様々な堅果類を食していたの対し、東はある堅果類に特化していたことから、種類が少ない分、凶作の年には生存の危機に陥るとし、東側の方が外圧が高かったのではないか、また、東日本の寒くて長い冬を過すには、寒気を防ぐ丈夫な住居、厚い着物、多くの燃料が必要であり、生活への負担はそれだけ多くかかっていたであることが想像され、やはり、定説通り、東が有利とは言い切れない面が多々あることが分かります。
投稿者 hi-ro : 2010年11月17日 TweetList
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