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2007年10月27日
縄文:東北の華やかさの裏には「豪雪」という外圧があった
”日本列島の冬は、太平洋側の晴天とからっ風、日本海側の豪雪 に特色づけられる「トンネルを抜けるとそこは雪国」という風景が出現したのは、どうもこの一万年前の頃であるらしい”(環境考古学事始 安田喜憲著 洋泉社より)
今晩は、さーねです 😮 今回は「 雪 」。どうも、日本で豪雪地帯が出現したのは一万年前。ちょうど、縄文草創期にあたります
自然現象の中では、今も「雪」は結構な外圧。(東京ではすぐ電車が止まっちゃったりしますね 😡 )
一方、東北の縄文文化はこのブログでも取り上げられているように、時折すごいっ と思わせるものがたくさんありますね。そんな文化の背景である外圧を前回に引続き、環境考古学的視点で迫ってみようと思います 😀
雪の三内丸山
当時の人々の意識に迫ろう 😛
環境考古学事始 安田喜憲著 洋泉社より、草創期に豪雪地帯があったのではないか?という説を紹介します 😮
○日本海の拡大
海面が上昇する。最寒冷期の二万年前の海面は、現在より八〇~一四〇メートルほど低下していたと考えられている。その後、一万八〇〇〇年前頃から上昇を開始し、晩氷期のアレレード期には、マイナス三五メートル近くにまで、上昇してきた。しかし、その後につづく新ドゥリアスの寒冷期には、再びマイナス四五メートル前後にまで低下した。そして、一万一五〇〇年前の新ドゥリアスの終焉を物語る温暖化を境にして、海面は急速に上昇を開始した。日本海には対馬暖流が流入し、日本海は拡大した。冬、日本海側に大量の雪をもたらすものは、日本海から蒸発した水蒸気である。その水蒸気がシベリアからの冷たい風によって運ばれ、本州の中央山地にぶちあたって上昇し、雪となって降る。対馬暖流の流入によって、日本海の表面水温は上昇した。このことは水蒸気の蒸発量を増加させ、日本海側の積雪量を増加させたとみることができるのではないか。
○雪と人間のたたかい
冬の雪は、日本海側を白い沈黙の世界に変える。晩氷期以降、日本海側では積雪量が増加し、後氷期には本格化した。このことは、植物のみでなく、大型哺乳動物にも大きな影響を与えた。後期旧石器時代から中石器時代の遺跡の分布をみると、現在の豪雪地帯にあたる秋田県・山形県・新潟県の内陸部に、多くの遺跡が立地する。また北陸地方や渡島半島の日本海側にも多い。ところが、縄文時代早期に入ると、こうした日本海側の多雪地帯からは、遺跡数が減少する。その傾向は縄文時代前期までつづく。このことは、縄文時代早期以降、多雪化のため、日本海側は住みにくくなったことを示しているのではないか。この多雪地帯に人類の居住地が拡大するのは、縄文時代中期に入ってからである。中期には、多雪環境の下で生活し得る適応形態が完成したとみることができる。このように、後期旧石器時代以降の東日本と西日本という、東・西に対立する地方色に加えて、縄文時代早期以降には、日本海側と太平洋側という地方色が出現し、これが現在まで、表日本・裏日本の差という形で、受け継がれているといえる。
僕自身は、縄文時代は氷河期から温暖化した と大きくみていました 😉 ところが、縄文草創期~前期にかけて、東北の縄文人たちは、冬期にものすごい外圧を受けていたのです
これは自分の体験ですが…
自分が小学生の頃、父親の山形に里帰りした時の話です。夜も更けて、外灯もほとんどない中。1メートル以上の雪が砂利道を埋め尽くしたために車はブルドーザー状態。”ここからは歩くしかないね”と慣れた口調の父親の後ろを、真っ暗闇で白い雪の面しか見えない状態の中で歩いていった時…すっげぇ怖かった (確か、500メートルくらいの距離だったけど…)
縄文人は道もなく、雪かきの道具などもなく、蓄えも余裕があるわけではない 😥 …草創期や前期の縄文人は、きっと、洞窟の中で震えながら 😥 過ごしたのだと思います
しかし、それでも生き延びるために、彼らは常に自然に感謝しながら、こんな文化を生み出したのではないでしょうか
中期 東日本で見られる有名な火炎土器ですが、雪の中での「炎」は何より彼らに暖と光を与えてくれた。草創期や前期に生き延びた先人の体験が、中期の縄文人たちに受け継がれていったと考えられないでしょうか 😮
「雪」をはじめ、様々な自然外圧があったからこそ、縄文文化は我々がビックリするほどのものを生み出したのだと思います
投稿者 sawatan : 2007年10月27日 TweetList
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コメント
投稿者 さーね : 2007年11月13日 23:51
朝鮮の唐辛子は日本経由ですね。
トマトは江戸時代、観葉植物でした。
アメリカ大陸にヨーロッパ人がもたらしたのは、銃・病原菌・鉄ということです。
投稿者 匿名 : 2007年11月14日 16:08
さーねさん、Anonymousさんコメントありがとうございます☆
>さーねさん
病気の歴史、おもしろそうですよね^^
私もそう思いました。
人が行き交うと、病気も行き交う。
それで、歴史が変わったりしてるって知って驚きでした☆
>Anonymousさん
トマトが観葉植物!?
じゃあ、日本人がトマトを食べ始めたのってホント最近になってからなんですね~。
ヨーロッパの方では、じゃがいもが観賞用だったって聞いたことあります!
投稿者 ぴんぐ~ : 2007年11月16日 04:00
自己中は、掠奪しかしていかないんですね~-_-
後は、意外に面白いなと思ったのが疫病を持ち込んだこと。病気の歴史なんかも調べてみると面白いかも!^^