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2007年11月13日
シャーマンは神官の始まりか?
縄文人の意識の基底部に、「万物の背後に精霊を観る」という精霊信仰があったことは疑いようがないと思います。
しかし、この精霊信仰も、晩期頃には、シャーマニズムへと変質していくようです。
シャーマンがプロ化するのと同時に、縄文社会に広がっていった抜歯の風習。
両者の関係を追ってみたいと思います。
◆縄文晩期の徴兵忌避より
《引用開始》
巨大石棒の生産は、中期縄文の中心地域・中部山地で盛況を見たが、おそらく、共同体にかかる負担が、大きすぎたからだろう、人口減少の激しくなった、後期に入って衰え、晩期には、ほとんど見られなくなってしまう。
もちろん、石は千年たっても腐らない。
一つ作ってしまえば、補充の必要も、そうはあるまい。
だが石棒作りが衰えれば、信仰そのものの変質は当然である。
陽気な男祭りの祝祭性は薄らぎ、陰気で、もったいぶったシャーマニズムが、勢いを得る。
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大石棒というのは、何だったのか。
礼拝の対象には違いないが、まさかご神体そのものではあるまい。
当然それは、降臨する霊・生殖神の通路として、また寄り代(よりしろ)として尊ばれたのだろう。
繁殖の神が、亀頭に降りる。
だが後期以降、石棒生産の衰えとともに、石から木への転換が進み、聖所を囲む御柱が、降臨する神、または神々の通路となり、寄り代ともなって、神木思想が発達し、降りてきた神は、シャーマンに憑依(ひょうい)する。
後期以降、ことに晩期の縄文社会には、出土の人骨・遺物などから見て、濃厚なシャーマニズムの存在がうかがえる。
御柱に囲まれた聖空間で、シャーマンの役割が大きくなり、彼らはやがて聖空間を占有し、プロ化し、世襲化して、次第に共同体そのものに、大きな影響力を持つようになる。
ミニ祭政一致が、共同体を支配し、秘密結社的なおどろおどろしさが、晩期縄文社会を特徴づける。
際だった現象が、その頃、ほぼ日本列島全域に広がった、抜歯の風習である。
成人式、つまり、通過儀礼としての抜歯。
ムシ歯でもなければ、歯槽膿漏になったわけでもない、全く健康な前歯を何本か、抜く。
抜くことによって初めて、共同体の成員であることが公認される。
男女を問わず。
石で叩いて、歯を内側へ倒し、それから引き抜いたものらしい。
痛みに対する感覚も、抵抗力も、現代人の想像を遙かに超えていただろう。
だが、麻酔なしで永久歯を引き抜く痛みも、現代人の想像を超える。
本田勝一さんによる、アイヌ女性の昔語りでは、初潮を見た少女たちが、口の回りに入れ墨を受ける。
施術の痛みに耐えながら、少女は失神する。(本多勝一『アイヌ民族』 朝日文庫)
抜歯の痛みは、入れ墨ほど持続的ではないかもしれないが、瞬間的には、その比ではなかろう。
気を失って当然のはずだ。
そんな目までして、大人の仲間に入ってナンボのものかと、山へ逃げ込んだ少年が、いなかったとは言えまい。
縄文晩期の徴兵忌避。
一方、気絶どころか声一つ上げず、過酷な試練に耐えたものには、勇者としての賞賛が贈られただろう。
何本かの歯を失った見返りに、若者たちは何を得たか。
当然ながら、結婚を含む性行動の公認だろう。
抜歯の風習も、シャーマンが率先し、主導したものに違いない。この頃の遺跡からは、下の前歯4本を抜き、上の前歯4本には、深い切り込みを刻んだ、シャーマンの頭蓋骨が出土している。
歯の抜けた、シャーマンの声は息が漏れ、ひどく聞き取りにくかっただろう。
よくわからないが、ありがたい。
意味不明は、既にその頃から、聖と権威の証しになっていたのだろうか。《引用ここまで》
かつては、縄文人の全てが精霊を観ることができたのでしょう。
そこには、シャーマンというプロが介在する余地はなかったと思います。
集団統合の必要から、シャーマンは登場したと思いますが、この呪術的神官が抜歯という通過儀礼(いわば資格婚?)を先導していたという視点は、もっと追求してみる必要がありそうです。
投稿者 naoto : 2007年11月13日 TweetList
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