ツタ考3~森がはぐくんだ“円環の思想”~ |
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2011年11月09日
ツタ考4~鉄が変えた森の思想~
ツタ考シリーズもいよいよ今回が最終回となります。初めてこの記事から見られた方は、これまでの1~3章を読んでから入ってください。最後は縄文ブログの管理人をしていますtanoにて紹介させていただきます。
ツタ考1~縄文土器が“ツタ”える蛇信仰~
ツタ考2~森の言葉(コトノハ)~
ツタ考3~森が育んだ円環の思想~
さて、第3章で「円環の思想」という概念が提起されました。
そして著者は円環の思想は超越概念であるとしています。
私もまさにその通りだと思います。縄文人は循環の思想を発見する事で、祖先と子孫を繋げる“命の循環”に気が付いたのです。それは他の宗教で出てくる輪廻思想と似ていますが、山に篭って哲学者が発見したのではなく、それを日常の自然の風景や造形物から普通の人が自然に感じ取っていったという処が凄いところかもしれません。
蛇こそが“カミ”であったと著者は最後に示し、余韻を残していますが、きっとその続編がこれから作られるものと期待しています。
さて、今回の最終章は一転して縄文で作り出された“ツタ”の思想が消えていった弥生以降の時代の事を書いています。それでは、最終章お楽しみ下さい。
↑著者から送っていただいた森の風景です。今の季節にぴったりですね。
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ありがとうございます
なぜ縄文土器の濃密で凝ったデザインから弥生土器のシンプルなデザインに変化したのでしょう。
なぜ縄文晩期から弥生時代かけて隆線紋は消えてしまったのでしょう。
なぜ、“ツタ”の重要性はかくれてしまったのでしょう?
この難問はいまだはっきりした答えはありません。
私の考えを記します。
それは樹木に絡んだツル・ツタを効率よく切れるようになったからだと思われます。
では、何によってツタが切れるようになったのか。
その結論は「鉄」です。
鉄こそが縦横無尽に絡まり合っていたツル・ツタを切れるのです。石器で叩き切るとは
別次元の切れ味です。
現在でも鉄で出来た鉈・ノコを持たずに里山作業ができるかと問われれば、
まず、無理です。
悲しいほど人間は森に対して無力の存在になります。
現在の里山作業で必須のチェンソーも刈払機も木や草を切っているのは神話の時代と
変わらず“鉄”です。
製鉄技術を独占していたヒッタイト帝国崩壊により技術が世界に伝播していきました。
縄文晩期に“鉄”は日本列島に流入しました。
弥生時代には独自の砂鉄を原料にした製鉄技術まで確立します。
縄文時代から弥生時代の変化は大陸からの稲作栽培の伝播だと教科書では書かれていますが、わたしは最も重要な時代の変化は“鉄の伝来”だと考えます。
“石器で叩き切る”“黒曜石で削る”しか方法がなかった生活に“鉄の斧・鉈”という効率よく切れる道具が縄文晩期にあらわれました。
ツル・ツタが切れるようになると何が変化するでしょうか?
それは日常風景が変わります。私は里山保全活動を5年間見続け、強く認識しました。
30年放置された里山は植物の激しい生存競争が起こり、縦横無人にツル・ツタが生育し樹木に絡み、ジャングルのようになっています。しかし
5年間の里山保全により風景は一変しました。
人間によって整理された里山は美しく、優しいイメージを持つのです。
縄文晩期から徐々に縄文人が見ていた風景は変わり、美しく整理されていったのでしょう。
ツル・ツタが絡まりごちゃごちゃのジャングルであった森の風景は下草を刈り、ツル・ツタを取り外し、キレイに整理されていったはずです。縄文時代にすでに栗を半栽培していた縄文人であるなら森の維持管理は重要な行為です。
この森の風景の変化は、弥生時代には現在の里山風景と変わらない景色になっていたと想像します。山や森からツル・ツタは刈り取られ整理された「美しく優しい風景」からは、蛇に対して畏怖や畏敬を感じとる意識は低下していったのだと考えます。
そのため、縄文土器の装飾は濃密な表現からシンプルな弥生土器の表現に変化していったのではないでしょうか。
「おじゅうはっちゃの森」 私がツタ考を着想した森です。森の親分が管理しているブログで里山保全活動の日誌になっています。地域のみなさんから愛されている森であることが伝わると思います。
最後に「ツタ考」をまとめます。
・縄文時代ツル・ツタは伸び放題であった。
・世界的に一神教以前は蛇を神聖視したアニミズムがあった。
・ツタは蛇に見立てられていた。
・ツタは“結ぶ・縛る・束ねる”などのロープの役割を持ち人類の生活を劇変させた。
・樹木に絡むツタを参考にして縄文土器に隆線紋が施された。
・鉄の伝来によりツタは簡単に切れるようになった。
・縄文時代の日常風景は変化していった。
・風景からイメージされていた蛇の神性霊性は低下した。
・農耕の発達により備蓄された穀物をネズミに食べられた。
・蛇はネズミを捕食するため、農耕文化の中に細々と蛇信仰を永らえた。
参考文献
「蛇_日本の蛇信仰」/吉野裕子
「山の神」/吉野裕子
「山の霊力―日本人はそこに何をみたか」/町田宗鳳
「神道のすべて」/菅田正昭
「縄文の八ヶ岳」/藤森栄一
「縄文土器論」/岡本太郎
「土器の造形」/東京国立博物館
「縄文人の世界」/小林達雄
「縄文人の思考」/小林達雄
「蛇と十字架」/安田喜憲
「大地母神の時代」/安田喜憲
「森林の思考・砂漠の思考」/鈴木孝雄
「日本古代の鉄文化」/松井和幸
参考HP[蛇の目ってなんぞや!?]
以上、ツタ考を紹介してきました。
非常に豊かな感性でなおかつ精緻な文章でまとめられていることに読者も気が付くでしょう。私たち(縄文ブログメンバー)も最初に抱いた感想が内容は然ることながら、文章の美しさや、流れるようなシーン展開の力です。それは著者が何度もこの論説を練り上げ、複数の意見を反映させて作りこんでいるからだと思います。
寄稿いただきましたfirstoilさんへ、ありがとうございました。
また、4回に渡り読んでいただいた読者の方々もありがとうございます。firstoilさんはこの寄稿で当ブログを通じ、様々な方の意見をいただくことを希望されています。ツタ考はたいへんよく練られた論考ですが、さらに皆さんの意見をいただき、より確信に近い部分まで練り上げていければさらに素晴らしい事だと思います。コメントへの書き込みも、ぜひよろしくお願いします。
by縄文と古代文明を探求しよう~管理人tano
投稿者 tano : 2011年11月09日 TweetList
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コメント
投稿者 縄文と古代文明を探求しよう! : 2012年8月12日 18:11
馬場昇、寺門一佳、金山信幸 らの言語の表面処理が縄文から弥生期に移行するとき起こったとの指摘は興味があります。
投稿者 松江人 : 2016年8月7日 21:58
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