2011年11月29日
2011年11月29日
弥生時代の解明1 ~倭人は、なぜ縄文人に受け入れられたのか?
『シリーズ「日本人はいつモノを考え始めるのか」~プロローグ』を受けて、さっそく「弥生時代の解明」に入ります。
意外と知られていないのが弥生人とは何かです。
ここでは江南人+縄文人=弥生人という認識をもって以後の弥生時代の史実を見ていきます。つまり、弥生時代には朝鮮半島の支配者は中心に登場していないという史観です。(プロローグより)
「江南人」とは、倭人のことを指します。「倭」とは、従来は日本の古称であるとされてきましたが、元々は中国・江南地方の人々のことを指していたのです。黥面(げいめん、顔の入れ墨)・文身(身体の入れ墨)や断髪といった習俗をもった倭族の人々の一部が日本へ移住したことから、日本は「倭国」と呼ばれるようになったのです。
独龍族の女性の黥面(こちらからお借りしました。)
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投稿者 yaga : 2011年11月29日
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