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2014年12月29日

縄文の「繩」の謎

縄文土器蛇信仰
縄文土器や土偶にある縄の模様。
この模様はいったい何を意味するのでしょうか?縄模様に込められた願いとは?

るいネットに面白い視点の記事がありました。さっそく紹介します。

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以下、るいネット「縄文の繩の謎~性的結合と生命循環のシムボルの聖性を示す~」 より。

「縄は性的結合と、同時に、生命循環のシムボルとして聖性を帯び、縄文信仰の原点を表象し、数千年間、土器表面に聖コードを刻み、やがて、信仰とも合体して、祭りの場、神域の標示として使われ・・・」とある。「しめ縄は、2匹の蛇の交尾を表す豊穣のシムボルである」という。
————————————転載(裸の縄文人
◆縄文のしめ縄
前略

しめ縄

しめ縄は、2匹の蛇の交尾を表す豊穣のシムボルである、というのは、国際日本文化研究センターの安田喜憲さんの説である。これは卓抜な意見だ。聖と清浄の標識であるしめ縄に、蛇の交尾を見る視点は、尋常じゃない。この視点に立てば、この国の「聖性」の隠れた一面、最も底の部分に光が当てられる。

蛇としめ縄

安田さんによれば、蛇は互いにからまって交尾する。その時間がおそろしく長い。長ければ、半日以上もからまったままだそうである。その長さが、精力の強さ、繁殖力の強さを連想させ、縄文人の蛇信仰を生んだ。そして、安田さんは7000年前の長江稲作文明の蛇信仰と、縄文のそれとを対置するのだが、蛇信仰を持ち出すまでもなく、縄が性的結合のシムボルであったことは、容易に想像できる。

土器・蛇
イグサのような強い草の茎、カバやサクラの樹皮などで、縄文の縄は編まれたという。当初は、素材2本だけの縒(よ)り合わせだったろう。太い素材を使って、太い縄を編むときは、夫婦、あるいはムラじゅうの共同作業になる。力を合わせ、2本の茎材をからませて縒り、縒り合わせが性的結合を連想させ、それを暗示する労働歌なども歌われたかもしれない。あるいは男女のかけ合いで。

こうして、縄は性的結合のシムボルとなり、性的結合は、単に快楽のためだけのものではない。祖霊――「祖」という観念が、どの程度発達していたか――死んだ父母、あるいは死児の霊を、竪穴住居の中に祭った小型の石棒に降ろし、更に妻(たち)の胎へ呼び戻す、聖なる再生の儀式でもあったはずだ。

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是が非でも、縄文の夫婦は、たくさんの子をつくらねばならなかった。コール&デムニイのモデル生命表というものに、縄文人の死亡率を組み込んで試みた、国学院大学・小林達雄教授の計算によると、縄文の人口を維持するためには、一人の女性が、最低8人の子を産まなければならなかった。

共同体の人口増加を願うなら、当然もっとである。15歳から産み始めたとして、30歳をわずかに越える平均寿命の終わりまでに、9人、10人と産み続けねばならない。そして生まれた子の半数以上は成人せずに死ぬ。縄文の女の胎に、休む暇はなく、竪穴住居の中では、目まぐるしく生と死が入れ替わった。

とめどない生死の交替の中で、死は終わりではない、生死は縄目のように終わりなく循環する、という観念が生まれ、循環をつかさどるのは、祭りを要求する見えない霊の力だが、契機は男女の性的結合そのものにある、と考えられるようになる。今も、性行為を「お祭り」と呼ぶ言い方がある。これなどまさに、何千年を生き続けた、縄文的表現とは言えないだろうか。

縄は性的結合と、同時に、生命循環のシムボルとして聖性を帯び、縄文信仰の原点を表象し、数千年間、土器表面に聖コードを刻み、やがて安田喜憲さんの言う、蛇信仰とも合体してトーンを高め、祭りの場、神域の標示として使われ、更に変遷して、土俵入りの横綱の腰を飾るようにさえなった。

(後略)

●まとめ
・しめ縄は、2匹の蛇の交尾を表す豊穣のシムボルである。
・是が非でも、縄文の夫婦は、たくさんの子をつくらねばならなかった。
共同体の人口増加を願うなら、当然もっとである。
・縄は性的結合と、同時に、生命循環のシムボルとして聖性を帯び、縄文信仰の原点を表象。

縄文時代は、自然からの過酷な外圧と恩恵をもとに生きている。
その中で共同体を維持していくためには、「性」がどれだけ重要であったかが分かる。
縄文の縄模様には、「性」をもとにした生命循環による共同体人口維持の願いが込められている。

このような集団第一の縄文気質は、現代の私達にも引き継がれており、現代社会が抱える様々な問題を考える上で、縄文時代は多くのヒントを与えてくれるとみるべきでしょう。
以下、るいネット「縄文時代の様相1~自然外圧と縄文人の自然観・宗教観~」より。

日本人の縄文気質の根源には、「過酷な天災」という非日常的な大きな自然外圧と、「四季の変化」という日常的な自然外圧とが常に並行作用していた。
それら自然外圧を「活力源」として、ムラを挙げて適応してきた半面、それらに恐れおののき、自然に平伏す敬虔な祈り・祀りを忘れなかった。
縄文人の自然への畏怖・敬意を表現する姿勢は、人間の持つ根源的な存在意義を示しているだけに、縄文人を理解することは、様々な問題への対処療法の手がかりとなり、且つ現代社会のあり方を示唆していると云える。

画像は、以下からお借りしました。
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投稿者 katsuragi : 2014年12月29日 List  

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コメント

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 しめ縄の原点にある思想ですね。古代の人々は、人の生死に関しては、不思議なものだったのでしょうね。また、豊穣を祈るということは、作物の再生を祈るということと同義で、人々の生死=再生だけではなく、自然の再生も重ね合わせて、祈ったのでしょうね。
 現在のように、そのメカニズムがあまりわかっていなかった時代には、こうして、祈りをささげたのだろうと思います。
 文献に残っていない先史時代の人々の思想を理解することができると思いました。

投稿者 彗星 : 2015年1月4日 10:05

性に関しては、いろんな方がコメントしていますが、私も性は、聖に繋がるものだと思っています。道教のタオも突く言う隠語であり、文明にとって重要な意味があるとの見解に賛成です。
西洋の直線的な文明社会(右肩上がりの発展(男性的))から東洋の循環社会(スパイラル(女性的))にこれから変化していくんだと思っています。
(男性中心の社会から、女性中心の社会へ)
このような、文明の変化点に私たちはいるのだと!!

投稿者 安達 幹雄 : 2015年1月7日 18:52

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