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2010年04月30日

「縄文体質を切開する」5~未開部族に見る本源規範~

 前回は、『縄文時代は生産面においても、集団統合の面においても、男女の役割が拡大していった時代です。その役割を拡げていく活力の根本に、男女の期待応望=互いの肯定視があったことを忘れてはならないでしょうし、男女の肯定視をベースにした、お互いの役割に対する感謝の気持ちがしっかりと存在していたと思います。』とまとめました。
satawaru.jpg
 今回は、縄文時代を推察する上でよき実例となりうる現代の未開部族における集団や男女のあり方を、レポートします。
 (画像はこちら よりお借りしました。)
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●性肯定の社会

トロブリアント諸島(ニューギニア)の母系社会
 トロブリアント諸島では、性について、きわめて規制がないとマリノフスキーは報告しています。子供たちは、性について隠されることはなく、大人の性行動を観察し、性の話を聞いて育ちます 女性の性行為は、初潮が始まる前からおこなわれるそうです。子供たちがある程度大きくなると、若者たちは独身の男子と独身の女子の宿という形で、特別な建物で共同生活を営みます これは若い恋人が1、2時間ひそやかな情事を結ぶ隠れ場所ともなります

torobiri.jpg
画像はこちらから お借りしました。

エスキモー族の風習
 セックスについての彼等の見解は、実にあけっぴろであったという。子どもに隠れて性行為をすることも、子どもがセックスについていろいろと実験をするのを止めることもなく、純潔を尊重する習慣もなかった。少女が妊娠しても、その相手である可能性のある男性数名全員が、結婚を承諾するのが普通であった。お腹が大きくなったということ、子どもが産めるということを実証したことになり、歓迎されたのである。

実現論前史には、次のように書かれています。

樹上機能を失い、絶望的な 状況下に置かれたカタワのサル=人類が、その極限時代五〇〇万年間を生き延びることが出来たのは、性と踊りをはじめとする強力な解脱充足回路を形成し得たからであり、もしそれがなければ、人類は生きる希望を失って早々に絶滅していたであろう。実現論前史 ト.人類の雌雄分化と人類の弱点より

 まさに、性を肯定視し、活力源とすることで、人類は極限時代を生き延びたのです。そして、外圧が少し低下した狩猟・採取時代にも、その基本構造が変わらなかったことが判ります。
●子どもはみんなで育てる

母系社会:サタワル島の子育て
 母系社会では、血縁の結びつきが重要視されますが、実は親子の関係は必ずしも「生みの親と子」だけに限定されません。「養子」が頻繁におこなわれ、実親以外に養親をもつ子ども達が沢山います。そこには『子育てはみんなでするもの』という規範意識があるようです。
 サタワル島の人々がどんな意識で、自分の子どもを「養子」に出したり、「養子」をもらい育てるのかを紹介します。
 サタワル島では、産みの親以外の夫婦が子供を引き取り育てることが多くあるようです。そのとき、その夫婦に子供がいない時だけでなく、子供がいる夫婦でも子供を育てる余裕がある限り引き取って育てようとします。

モソ人(族)の婚姻形態について
2、そうして生まれた子どもはだれが育てるか。
 子どもは女性の家族がみんなで育てる。家の子どもとして育てるのだという。このとき、子どもの「舅々(チウチウ)=おじさん」、つまり、母の兄弟、がいちばん子どもの教育の責任を負う。人としての善悪や、社会生活のきまりなどは、舅々が子どもに教えるのだそうだ。子供たちがいちばん怖いのは、舅々で、その舅々にしっかりとモラルを教え込まれているので、この村のこどもたちは、泥棒やスリはいない、夜どの家も鍵をかけないでいいという。

 性を肯定視すると、子どもたちは皆の財産として、みんなで育てるのが当たり前になるようですね。
●集団の安定が第一

⑤秘境(バングラデシュ)に残る母系民族:ガロ族(その2)
 -/-女は弱いんだから、自分たちのように財産は女に持たせるべきだ。日本の女の人たちはかわいそうだという。ガロ族は世界でも珍しい「母系制」をとっている民族で、結婚すると夫は妻の家、あるいは妻の村に来て住み、家、財産、子供はみな妻に属し、家、財産は娘の一人に相続されるのである。
<中略>
-/-ガロ族は夫婦の一人が亡くなると、すぐそのお葬式の場で親族一同(村人はみんな親類になっている)で、あとがまをきめる習慣になっている。すでに娘が婿をとっている場合には、夫が亡くなると、同時にその婿を夫とする。すなわち、婿は義母の夫をつとめ、母娘二人の夫となる規則になっている。だからガロ族の間には未亡人とか、やもめの男は殆んどいないのである。
要するに、「母系制」という婚姻様式の前提として私有の意識が無いことを意味しており、女達の安定基盤をつくる事=集団の安定を第一に考えられてきた集団様式である事が分かります。

現代の母系社会~ミナンカバウ人の社会より
・夫である男には相続権は一切ない
・母系社会は女権社会ではない~
 長老、大家族長、スク(氏族)の長の政治権力は男性にある。
・男は財産の管理者であるが、所有者にはなれない。
・財産を相続する女に個人的な自由はない。
・ミナンカバウ人の諺によれば「天国は母の足の裏にある」

財産は全て集団のものとして、女が相続し、男が管理する。相続する女も、管理する男も、財産を個人的に自由にする事は出来ない。
 あくまでも集団第一が貫かれているのが見事ですね。
<全体のまとめ> 
 セックスを含めてお互いの性や役割を肯定視して、集団を作っていたことが特徴的です。
そして、性を役割として肯定視していれば、子育ても、みんな課題として捉えられ、私有意識が芽生えず、集団第一が貫けることが理解できます。
 日本でも縄文時代を通して、自我を徹底的に封鎖し、みんな発が当たり前だった時代が、一万年以上続いていたと考えられます。
 現代日本人の潜在思念にも、この一万年の間に育まれた集団規範が刻まれているだろうことは想像に難くありません。
 次回は日本人の持つ潜在思念とその可能性について考えてみたいと思います。

投稿者 tama : 2010年04月30日 List  

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コメント

難解なカーストについてよくまとめられていると思います。
発見は・・・・
>ドラビダ人がなぜ身分差別を受け入れたか。
>カースト制度はインドの生産基盤と密接に連動していた。
>カースト制度の2面性~単なる身分制度ではない。
インドになぜカーストがこれだけ長く続いたのかという問いに対してはカースト民であるインド人自身に身分差別という意識があまりなかったからではないでしょうか?
それがインド人が貧困に対してあまり悲観的にならない現象と一致します。ヒンズー教の教義の中にもあります。
カースト(職能)は神から与えられたものであり、それを全うする事が現世を生きると言う事で来世の繁栄を保障する。(~そんな感じの事です)
・・・・日本の天職にも相当しますね。
インド人の労働観についても探ってみたいものです。

投稿者 tano : 2010年7月21日 01:31

>アーリア人によるドラビダ人の支配を武力を用いずに行なうためのドラビダ人を納得ずくで従える制度である。
 この制度が誕生し、社会共認になった時にアーリア人のドラビダ支配は成立した。そして、武力によらずに秩序、序列制度を確立しえた点においては他の地域に比べて優れた制度と言える。
なるほど。面白いですね。力づくの武力支配ではなく、ともに認める形での併合支配なのですね。
しかし、当時のインドの圧力状況があまり見えてきません。農業における雨季と乾季の自然圧力はわかりましたが、他国との圧力や大国との圧力、市場社会との圧力や他宗教とのせめぎあいなどはどうなっていたのか知りたいところです。
その圧力のなかで、彼らが、生み出していった技術は、イスラム諸国や欧米諸国に伝わって大いに発展した経緯があります。彼らが生み出したその圧力とは一体なんだったのでしょうか?
教えてほしいです。

投稿者 2310 : 2010年7月30日 06:00

こんばんは、
よくわからないので教えて欲しいのですが、現在のトラビィダ人の分布と古代のアーリア人の侵入ルートから考えて、以下予想していたのですが
①トラビィタ人の分布は南方ほど純度が高そうで、北方にはあまりいないor混血?
②カースト制も地方によりかなり濃淡があり、インド南方ほど共同性が強い?
・・・実際どうなんでしょう?

投稿者 Hiroshi : 2010年7月31日 19:31

hiroshiさんへ
①、②共、インドを知る上で的をついた質問だと思います。
ドラビダ人の分布はドラビダ語の分布図を見ればよくわかります。やはりデカン高原から、南に現在でも分布しており、その移動は紀元前から始まっていたようです。
また北インドにもドラビダ人は残っていますが、ほとんどがアーリア人との混血で純度は低いと思います。
過去のインドシリーズを参照下さい。
カースト制度については地方による濃淡はあると思いますが南側がカーストが緩いと言う事はありません。むしろ北インドより厳格で、カーストでの上昇をめぐってカースト下位のドラビダ人は上位のアーリア人と婚姻関係で繋がる事が多かったのではないかと思います。インドでは南方が共同性が強いというのはたぶんあっていると思いますが、まだその方の追求がなされていません。今後の追求にご期待ください。

投稿者 tano : 2010年8月1日 16:18

2310さん、コメントありがとうございます。
>しかし、当時のインドの圧力状況があまり見えてきません。
>他国との圧力や大国との圧力、市場社会との圧力や他宗教とのせめぎあいなどはどうなっていたのか知りたいところです。
 カースト制度が生まれた頃は、周りに特に大きな国もなく、市場も未だ発達していませんでした。そんな中で、アーリア人の流入が500年以上に渡って続き、土着のドラビィ他人と新参のアーリア人の民族間の圧力が高まり、軋轢を伴いつつ混血が進んだと考えられます。そんな中で、カースト制度が徐々に形作られたのでしょう。
 詳しくは、シリーズ「インドを探求する」第9回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その1>~http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/07/001102.html をご覧ください。
>彼らが(そのような優れた技術を)生み出した(もとになった)その圧力とは一体なんだったのでしょうか?
 インダス文明は世界でも突出して非常に発達した農業文明です。つまり市場が発達し、私権社会が拡大する前に農耕が非常に発達したのです。そのことがゼロの認識など、他の地域と比べて、強い追求力や洞察力を生んだ可能性が考えられます。
 参考 シリーズ「インドを探求する」第7回~インド哲学は何を解明したか?
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/07/001094.html

投稿者 tama : 2010年8月3日 21:49

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