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2008年05月02日

“真似・応用”:現在の日本人から縄文体質を探る

“縄文気質”を考えてみようのmrranさんに続いて現在の日本人から縄文体質を探ってみたいと思います。 今回は「真似、応用」です。
日本人はいつも、自分でものを考えたり造ったりせず、よそで生まれたものの真似、それも「いいとこどり」をして手本より優れたものを作ってきたと言われています。
この「真似て手本より優れたものを作り出す文化」はどこから来ているのだろうか?
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『いいとこ取りの真似文化』
これはなにも日本に限らず、中心的文明の周辺にいる種族に共通している現象である。
ただそれが「わずかな期間に手本となる物をしのいでしまうか、しないか」で評価が大きく変わる。
常に手本を超えてきた日本ゆえに、この事実は良くも悪くも大きく取り上げられてきたのだと思う。

堺屋太一は『日本とは何か』で、
 日本は常に、外国から技術を導入すれば四十年足らずのうちにその技術を超えた。
これは、戦後の自動車やエレクトロニクスに限ったことでなく、大昔からそうなのである。
 たとえば、銅で巨大な像をつくる溶着技術が日本に入ってきたのは和銅年間、西暦七~八百年頃といわれている。銅は簡単に溶接が出来ないので溶着するしかなかった。
 銅を溶かして最初の鋳型に流し込み、それが冷えるのを待って、次の鋳型を積み上げて
溶けた銅を 流し込んで接合する。そんな仕事を繰り返すのである。
 ところが、この技術が導入されてから約四十年後、七四七年には早くも奈良の大仏が着工され、
たった二年であの巨大な像がほぼ完成している。
 日本はその後の鉄砲から現代に至るあらゆる技術導入に当たって、「まずそっくり物真似して造り、
それを改善して四十年で元の技術を抜き去ってしまってきた」しかも一切「思想を考えないで技術だけ
を学ぶ」という「いいとこ取り」が特徴なのだという。
 四十年かかるのは特にハイテクノロジーであって、簡単な技術になると、瞬時に理解して、ごく短い期間で師の国の技術を抜き去ってしまったであろう。日本人にとってはごく普通のことかもしれないが、これは世界で唯一無二の能力であり資質ということが出来ると言っている。

松本俊樹も『優れた日本の技術』で、
 15世紀中頃ポルトガル船から種子島に伝わったたった2丁の火縄銃。
精密な技術を模倣しさらに改良し鉄砲の大量生産を実現させたのだ。
それまで日本の技術にはなかった「ねじ」の技術をも取り入れ、鉄砲が伝わってから約30年後には
世界中の鉄砲保有量の約半分を占めたと言われている。
 幕末の頃、アメリカ合衆国から黒船が来航し当時日本人がだれも目にしたことのない巨大蒸気船で開国を迫ってきた。当時の日本人は1年後には蒸気機関車を完成させ、2年後には蒸気船を作って見せた。
 さらに明治維新から数年で日本は自国の手で鉄道を造ってしまった。
これも日本の誇るべき「ものづくり」の技術である。
そして自動車、新幹線・・・と日本の「ものづくり」は続いてきた、と言っている。

安田喜憲の『森を守る文化 支配する文化』もまた、
 日本のこうした(いいとこ取り文化)資質を取り上げ、その原点は縄文文化にあるのだと言う。
日本の文化は森の文化で「いいとこどりの文化」でもあったのだ。 (中略)細長いカミソリの替え刃の
ような、大きさ数ミリから二~三センチの細石刃を数個組み合わせて、木や骨に埋め込み、ヤリや
ナイフとして使用し、亜寒帯針葉樹林の動物の狩猟と河川のサケやマスの漁撈活動に優れた技術を
有しており、温暖化にともない日本の東北部に到着した旧石器時代の人々と、もともと日本列島の
西南部に土着し、植物を伐採するに適した細石刃具を持っていた南方系の人たちが、日本列島という
温帯落葉樹の楽園で融合し、その北と南双方の「いいとこどり」をして、森の資源を最大限に利用する
森の文化として生まれた。
 この両文化が出会った場所がちょうど温帯の落葉広葉樹林であったため、北からの狩猟・漁撈の
技術はイノシシやシカ、あるいはサケやマスの捕獲に活かすことが出来たし、南方からの植物利用の
技術は、ドングリやクリ、クルミなどの落葉広葉樹の堅果類の利用に生かすことが出来たのである、と言っている。

 自然と共に生きた縄文人の優れた『同化力』と『工夫思考』に発した芸術家・職人・技術者としての血は連綿と今に持ち継がれており、邱永漢氏・陳舜臣氏が云うように「中国(チャイナ)人は商人で日本人は職人」という表現の通りであるが、ただ日本人は技術者と言えども単なる技術のスペッシャリストでなく、総合的ににものを考えるジェネラリストの性格を多分に有している点にも表れている。
 これは弥生時代に米作で培った『統合力』から生まれたもので、この両者の能力が今に引き継がれていると考えられる。
 日本文化の根底に、縄文に発するモノ作りという技術文化があり、それを補完して改良・改善していく弥生の資質が現在にまで受け継がれているのである。

投稿者 mukai : 2008年05月02日 List  

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