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2008年02月01日

縄文人の労働とはどうだったんだろう?

こんばんわ。tanoです。
年末に三内丸山の特集記事を書いてから1ヶ月放置していましたが、第2弾を再開したいと思います。
>第2弾で三内丸山の大きな経過、発祥、周辺との関係を見てきました。
次回はさらにその社会構造に迫ってみたいと思います。(三内丸山は語る2
社会構造をいきなり書くと大変なので以下の3つの記事を紹介したいと思います
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。

今日は第1回で縄文人の労働観についてです。

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縄文人は働き者だったのでしょうか?
著書「三内丸山は語る」久慈力氏 から抜粋(一部意訳)させていただきました。
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縄文社会に「労働」はあったのだろうか?漁労や狩猟や採取や栽培や手仕事は「労働」なのか。
芸術や遊戯や発明や儀式は「労働」なのか?
それは縄文社会では労働というより「生活」そのものであり、近代的概念における「労働」の範疇に入りにくい。強制されたものではなく、自発的な行為である。(自発的という言葉は適切でないので、集団の中にいて当然誰もがやるべき共認的行為としてあった。と読み替えたほうがいいと思いますー私の意見 )奴隷という階層も制度もない社会、少なくとも縄文社会には強制労働がなかったことだけは確かである。

漁労や狩猟などを広い意味での「労働」とすれば、縄文社会ではどれくらいの時間を「労働」に割いていたのだろう。山尾一郎著「縄文人に学ぶ」によれば、次のように語られている。
「縄文人の労働時間を実際に知る事はできないが、現代の狩猟採取民族の例から類推することはできる。アフリカのカラハリ砂漠に住むサンの場合、1日平均1~2時間の労働で必要カロリーの食料調達を行っている。食事をして満腹になると、おしゃべりをしたりゲームをして遊ぶものもいる。また昼寝をしてのんびりしているものもいる。オーストラリアのアボリジニの中でもフィッシュクリークの人々は、2~3分の川魚漁で集団全体の食料をまかなうことができるほどである。これは極端な例であるが、文化人類学のリー氏の調査によれば、狩猟採取民族は1日平均2~3時間の労働で社会生活を営むことができるいうことである。縄文人の労働時間は世界の狩猟採取民族の労働時間とそれほど大きな差はないと考えられる。したがって1日平均2-4時間の労働で生産が営まれてきたのではないか」

縄文人の営みを労働時間という概念で考える事に多少の躊躇はあるが、三内丸山の場合はどうであっただろうか?森林に囲まれ、海や川が近くにあり、木の実も根菜も豊富で獣も鳥も魚も満ち溢れている。1年を通じで食料がとぎれることなく、食料の保全の方法も有していた。おそらく、他の採取狩猟民と同じく1日2~3時間で食料調達は可能であったろう。あとは土器製作や衣類や装飾品などの製作が行われ、時々共同作業による住居などの建築が行われ、季節にしたがって祭祀や儀礼が行われた。
「労働」は強制ではなく、「労働」の分業は老若男女の自然的分業を除いてほとんどなかったであろう。

すべての成人男子が、狩をし、釣りをし、手仕事をし、すべての成人女子が草を摘み、穀類を育て、調理をしただろう。
やがて三内丸山が成熟期を迎えるとわずかながら、分業は芽生える。大規模な建築物が登場し、指導力が必要になった。ヒスイなどの加工には高度な技術を要した。また、呪術の儀式を執り行うには特殊な能力を必要としたかも知れない。しかし、それでも特定の個人や集団が、他者に「労働」を強いることはなかったろうし、自身がその恩恵にあずかることもしなかったろう。

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さて、縄文時代の労働を著者は強制がなかったとしていますが、そもそも、強制がないことを美徳とするような意識自体が現代的感覚に陥っています。氏の言葉を借りるなら縄文人の営みは労働というより生活そのものであるとするのが正しいと思います。労働と休暇という2分的な現代的労働者の奴隷意識とははるかに異なるものだと思います。
生活と考えれば寝ている時間を除く全ての時間は労働といえば労働であり、集団の為の営為といえばそうだと思います。だから決して時間で計られるものではないし、たとえ2時間や3時間で食料が確保できる環境にあったとしても、彼らはその他の時間を有効に使って集団にとって有益な活動をしたのだと思います。
著者は強制的という言葉に対して自発的と書かれていますが、これまた現代的価値観に塗れているように思います。私は自発的というよりはるかに活力レベルの高い共認的営為と敢えて読み替えました。全ての活動が集団の共認で貫かれており、みんなの必要な事をみんなでやるという意味付けが労働を最も価値の高いものにしたのだと思います。
その意味では土器つくりや、料理、子育てなどの今では労働の範疇から外れる行為も同等に扱われたのだと思います。
最後に分業という観点に目をつけた久慈氏の巻末に掲載されていた言葉を紹介します。

数百年の間、人類は分業のない社会に生きてきた。
社会的な分業が発生したのは、人類史から見ればほんの1瞬の異常事態なのである。さまざまな能力を持っているはずの人間が、身分、階級、職業に閉じ込められて、ほんの一部しか能力を発揮できずに死んでいく。
縄文社会、三内丸山社会において分業はほとんど存在しなかった。
すべての人間のすべての能力が発揮できるように機能していた。すべてが「生産者」であり、すべてが「消費者」であった。社会的、階級的分業はなかった。すべての人々が野良作業をやり、手仕事をやり、狩をやり、遊戯をやった。すべての人々が「教師」であり、「シャーマン」であり、「政治家」であり、「芸術家」であった。
分業の発生が文明をまちがった方向においやったのである。性的な分業、家族的な分業、身分的な分業、階級的な分業、職業上の分業、生産と消費の分業、社会的地位による分業、諸民族の分業、諸国家の分業・・・・。
分業は搾取と支配をもたらす。分業は人間の能力を封殺する。生産力信仰をもっている人達は、生産力を向上させる分業制度を謳歌するが、分業は歴史的必然でも、人類の属性でもない。分業は社会的病理である

もっともな著者の彗眼ですね。私達はこれから分業的奴隷体質を抜け出し、縄文的統業体質へ転換していくことが働くことの意味を忘れてしまった現代人の突破口だと思います。
るいネットの投稿を一つ紹介しておきます。「個人の自由」の哀れな末路

投稿者 tano : 2008年02月01日 List  

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