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2010年04月23日

「縄文体質を切開する」 4~縄文時代の男とは?女とは?

こんばんは。前回は、集団における本源規範についてでしたが、今回は、集団の根幹となる、男らしさと女らしさについてです。
 
 
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ちょぺっと幸せな歯科医師の日記 より
前回のエントリーでは、

最大の活力源である性の肯定視を基底部におく縄文人は、徹頭徹尾、肯定視観に貫かれた存在だったということができるのではないでしょうか?肯定視観に導かれた期待・応合の圧力から溢れ出る「みんな一緒」「みんなの役にたちたい」・「喜んでくれて嬉しい」という想いこそが、縄文人の本質であり、集団全体がこのような本源規範に貫かれていたのだと思います。

と結ばれているように、縄文時代は、性をベースにした男女の期待と肯定視を活力源としていた時代だったと思います。
一方で、現代を見れば、男女同権的な考え方が、じわじわと日本にも導入されていますが、何か違和感を持っている人たちも案外多いように感じます。
この違和感の出所が、過去から脈々と受け継がれてきた、日本人における男女のあり方に照らしあわせているからではないでしょうか。
今回は、この日本人における男らしさ、女らしさの原点を、縄文時代にまで想いを馳せて、もう少し考えて見たいと思います。
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○女らしさと男らしさ 
まずは女らしさについて、見ていきましょう。
身近な女性は母親、嫁などを思い浮かべても、家や身近な空間の掃除や家事や育児を始め、よく動き回る姿を思い浮かべるのですが、それには女性ゆえの理由があるようです。
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バルおばさん、レトロ絵日記
 
  

闘争存在である男性は、闘争課題があるとがんばるものの、闘争圧力がなくなると途端に「怠ける」ということ。外圧依存型の闘争性や勤勉性はもっているものの、何もない時には怠けがちなのがオスという生物なのでしょう。
<中略>
では、なぜ女性が勤勉なのか?
それは、充足・安定存在ゆえであると考えます。
子育て、炊事、掃除、縫い物・・・身近な周りの充足のために日夜勤勉に働くのが女性=お母さんの姿だったりします。どんな家でも女性=お母さんの勤勉さがなければ、日常的な充足・安定は維持できません。
これを逆に見れば、女性は身近な皆の充足・安定のために働いてくれているということです。自分の勤勉さが、皆の充足・安定につながるとわかるうえ、主体的に動いていけば、皆の充足・安定を高める課題(期待)は無数にかつ常に存在します。したがって、永続的に勤勉さが持続するということでしょう。
このように考えると、「勤勉」は女原理なのだと思います。
特に、我々日本人が考える勤勉さは、この女原理発の勤勉さに根ざしているでしょう。
充足・安定を尊ぶ縄文体質とは、すなわち女原理。女原理で動いてきた我々日本人にとって、女性の勤勉さは肯定・感謝の対象であり同化対象です。そこを基点に、男性にとっての労働=闘争も認識して価値を見出していったのが日本人なのだと思います。(労働=闘争を男原理と直結させて理解する欧米人にとって、ここは理解しにくいでしょう)

215029 日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理  より
 
 
まとめると
・男は闘争課題があるとがんばるが、圧力がなくなると途端に怠ける。
・女はたえず勤勉。身の回りの充足のために、日夜勤勉に働いている。
 それは、自身の勤勉さが、皆の充足、安定に繋がっている。充足・安定存在であるから。
・こうした課題は常に無数にたえず存在する。永続的に勤勉性が維持される。
・このようにみんなのために働く女性の勤勉さは肯定、感謝の対象である。

 
こうした男女のあり方は、縄文人においても同様だったのではないでしょうか。次の段落では、縄文時代の男女について、想いを馳せてみます。
 
 
 
○男らしさ、女らしさが深まった時代 ~縄文時代
さきほどは、現代の男女事情についてでしたが、次は、縄文における男らしさ、女らしさについて、参考になる投稿を紹介します。
 
 

縄文時代に突入し、気候の温暖化に伴いぶなやならの温帯の落葉広葉樹の森が拡大しここから森を中心とした定住文化が開始するわけですが、ここでは女性の存在はこれまでの依存的存在から生産の中心存在へと大きく立場を変えるのです。
森の中での食料の獲得(主に木の実の収集、球根や山菜採り、川や湖の魚貝類)は女性の手で充分可能となり、男たちの獲得する動物性たんぱく質である狩猟生産をしのぎ、縄文時代の主食としてその開発から加工まで女性の繊細な自然への感性と器用な技術が脚光を浴びたのでした。
 
 
この時代の男ですが、植物採取社会では、狩猟による動物性蛋白の占める量はわずかなものなのですが、それでも男は原則として植物採集にはタッチしていません。植物採取にウエートがかかればかかるほど、擬似的な狩猟や踊りの練習に熱中しました。さらに、植物食には固形塩が必要となり、海浜部落への物々交換の交易を行なってました。これに対して女はそれ以外の全てを担います。植物採集、昆虫捕獲、育児、土器作り、炉の火の番人等。

 
5512 縄文の男達 より
 
 
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発見!縄文時代のにいがた より
 
 
縄文時代に入り、自然圧力の低下とともに、生産面においても、女性の活躍の場が広がったことが伺えます。この縄文から以降が、上記の「女性が勤勉である」といったベースが整った時代だったいえるでしょう。
 
一方の男性も、定住化、集団規模の拡大、他集団との接触機会の増加等によって、集団を統合していく課題に、よりシフトしていったのではないでしょうか。
 
このように、縄文時代は、男女ともに、それぞれの役割を拡大し、担っていった時代だったといえるのでははないでしょうか。
 
 
○全体まとめ
 
極限時代から採取時代である縄文時代のまでの人類の男女の役割について、実現論にまとめて述べられています。
抜粋して紹介します。
 

人類はつい一万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。従って、人類のメスはサル以上に極度に依存収束を強め、首雄収束⇒応望収束回路を発達させていった。しかも人類のメスは(首雄でも防ぎ切れない)飢えや怯えに晒され、サル以来はじめて自らの不全感を直撃されたメスは専ら解脱収束を強め、強力な解脱収束⇒性機能収束回路(エンドルフィンとドーパミンの快感回路)を形成していった。だから、人類の女は徹頭徹尾、応望存在であり、自らの役割欠損を専ら性機能に収束させてゆく性的存在である。もちろん、それら全ては首雄の期待に応えて役割充足を得る為であり、従って男たちはそんな女たちを、純粋にかつ積極的に肯定視してきた。

 
ト.人類の雌雄分化と人類の弱点 より
 
 極限時代の人類の女は、外圧に立ち向かう男(首雄)の活力源=性的存在としての役割を強化し、一方の男も女の期待を糧に外圧と対峙していたことがわかります。
このような極限状態に置かれた人類が、縄文時代の自然外圧の変化(低下)によって、より男女の役割を拡げていきます。
 

ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。

 
チ.採取時代の婚姻様式 より
 
縄文時代に入り、自然が豊かになり、自然外圧が低下するとともに、主雄以外にも食料獲得等の活躍の場が広がることで、集団(主雄)への収束力が低下していきます。この男達の間に入り、彼らの性期待に応望し媒介となって、集団への収束力を高めていったのが女達だったのだと思います。
 
縄文時代は、主雄と女という関係から集団内の男達と女達へと、男女の性の期待応望を集団内へと拡げていった時代であったと思います。
 
また縄文時代は、自然外圧の低下により、女性でも、採取が可能になり、生産面に対する役割が担うようになります。その背景には、もっと集団のために役にたちたい、集団を充足させたいという想いがあったことでしょう。充足存在としての存在基盤の延長上に、生産面においても集団の充足課題を担っていく「勤勉」な女達の姿が浮かび上がってきます。
 
一方の男も自然外圧の低下により、極限時代に比べ、集団に対する収束力が緩んでくるという局面に直面します。同時に、集団規模の拡大や、集団の増加に伴う他集団との接触による同類圧力の上昇という新たな圧力=課題がでてきます。こうした状況の変化に対して、男達は、集団を維持し統合していくため祭事儀礼を含めた集団の取りまとめや、他集団との交渉等、集団を維持していくためのより広範囲な役割を担っていくようになることが伺えます。
 
 
縄文時代は生産面においても、集団統合の面においても、男女の役割が拡大していった時代です。その役割を拡げていく活力の根本に、男女の期待応望=互いの肯定視があったことを忘れてはならないでしょうし、男女の肯定視をベースにした、お互いの役割に対する感謝の気持ちがしっかりと存在していたと思います。
 
このように縄文時代に培われた本源規範ですが、その後の時代にどのように受け継がれ、引き継がれていったのでしょうか?
 このシリーズの今後のエントリーでは、縄文時代を推察する上でよき実例となりうる現代の未開部族における集団や男女のあり方、さらには日本人に引き継がれていった本源性について追求していきます。お楽しみに!!

投稿者 yuyu : 2010年04月23日 List  

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コメント

イスラム教がかなりスッキリしてきましたね。
ユダヤ教、キリスト教と比較するとさらによくわかります。
イスラムは集団を維持する為の宗教であり、規範であった。
それに対してユダヤ、キリスト教はバラバラの個人を救済する事が目的であった。
>結局三つの一神教をあり方を分けたのは、本源的な集団の残存度。
納得です。
現在インドシリーズで調べているヒンズー教などもイスラム教に近い特徴を持っています。宗教はその対象が個人か集団か大きく2つに分かれてくるようですね。
そう考えると仏教はどちらに入るのでしょう?
・・・・いまだに追求の途中です。

投稿者 tano : 2010年7月15日 13:04

キリスト教を
>被差別者のなかの被差別者がつくった宗教である。
という捉え方、すごく解かりやすいですねぇ。

投稿者 シンジ : 2010年7月15日 21:39

tanoさんこんばんは、
>ヒンズー教などもイスラム教に近い特徴を持っています。宗教はその対象が個人か集団か大きく2つに分かれてくるようですね。
そう考えると仏教はどちらに入るのでしょう?
仏教は、日本とかだと祖霊信仰と結びついて生き残っている感じですが、本来のものは集団も超えてしまっているような気がします。解脱とか宇宙とか?
でも良く調べたこともないので、インド追求楽しみにしてます。

投稿者 Hiroshi : 2010年7月15日 23:35

シンジさんこんばんは、
>>被差別者のなかの被差別者がつくった宗教である。
岸田秀の言葉ですが、このおっちゃんなかな鋭い。
ただキリスト教徒が聞いたら・・・・ちょっと想像するのが怖いですね。

投稿者 Hiroshi : 2010年7月15日 23:40

すばらしく明快な分析です。
事実はシンプルですね。
さらなる追求期待しています。

投稿者 andy : 2010年7月19日 20:42

ひとつだけ質問させて下さい。
今回の記事とは関係ないのですが、インドを調べていてイスラム勢力が再三にわたってインドを侵略しています。8世紀以降には巨大帝国ムガール朝を築くに至っています。
このイスラムの他地域侵略(or拡大)の発想はどこから来るのでしょうか?キリスト教が世界征服の為に他地域に拡大していったのと何か違いがあるのでしょうか?
現在でも中東が毎度戦火の中にあるのもイスラムの戦争体質が何かあるように思えます。この辺は次の記事で書かれるのかもしれませんが、本源性を残すイスラムという点でやや?が付きます。

投稿者 tano : 2010年7月21日 01:44

andyさん、tanoさんコメントありがとうございます。
>インドを調べていてイスラム勢力が再三にわたってインドを侵略しています。8世紀以降には巨大帝国ムガール朝を築くに至っています。
ムガル帝国は15世紀くらいから後からだと思いますが、これはイスラム教でもモンゴル帝国の末裔だったと思います。
また確かに10世紀以降度々、イスラム化したマムルーク(トルコ傭兵)の王朝が北インドや中央アジアを席巻しますが、これも含めて、大きく北方遊牧王朝と考えたほうがいいと思います。イスラム教は多分方便。
>このイスラムの他地域侵略(or拡大)の発想はどこから来るのでしょうか?
原点は、イスラムがアラビア半島を超えて拡大した時点だと思うのですが、それが何故急拡大していったのか?侵略なのかそれとも歓迎されたのか?その辺りがまだスッキリしません。
ただ言えるのは、ビザンツやペルシャなどの旧帝国を取り込んだことによって、域内に私権統合集団を抱えることになり、巨大化したイスラム帝国のあちらこちらから、アッバース朝以後時の経過とともに軍事集団が自立していくことになります。こうなるとカリフの権威も何もなくなっていきます。
恐らく、イスラムも日本同様軍事力を握った支配者集団と民衆は乖離しているのではないでしょうか?そしてイスラムの権威だけは利用しようとする。このあたりは日本の天皇制と近い構造があるように思います。スッキリさせたい部分です。

投稿者 Hiroshi : 2010年7月22日 00:31

tanoさん そういえばもうひとつ
>現在でも中東が毎度戦火の中にあるのもイスラムの戦争体質が何かあるように思えます。
tanoさんもそういうふうに思っているとは、イギリスの情報操作がかなり効果を発揮しているようです(笑)。
中東に戦争が多いのは、この地域が言うまでもなくエネルギー支配の要になっているから、そこに幾つかの楔(イスラエル、パキスタン)が打たれ、さらに分断政策で反政府勢力やテロリストが英米により支援されというところではないでしょうか?
インドでいえば、イスラム勢力のパキスタンをインドから独立させ、対立を煽っているのもイギリスの統治方法からでは?
それにしてもイスラムは、欧米勢の情報操作によって、かなり貶められているという点は注意したいです。

投稿者 Hiroshi : 2010年7月22日 00:47

Hiroshiさんへ
横レス、失礼いたします。
 私も個人的にインド、中東に関心があります。貴方はイスラムの戦争体質をイギリスの情報操作のせいにしておられますが、イスラムはまず武力征服ありきで拡大したのは事実です。インドはムガル以前の中世から盛んにトルコ系ムスリムの侵略を受けており、今でもガズナ朝のマフムードは恐るべき侵略者として記憶されています。それが未だにヒンドゥーとムスリムの対立の元になっている。
イギリスが分割統治としてそれを利用したのは事実ですが、大虐殺や寺院、神像を破壊されたヒンドゥーの恨みもあったのは無視できない。印パ分離独立もイギリスの策謀だけでなく、ネルーやジンナーといった印パ指導者双方もそれを望んでいた。彼らはそれをイギリスや隣国のせいにしていますけど。
 近代イランの知識人にも反アラブ感情を抱く者も少なくない。「アラブの預言者は宗教を略奪に使った」という人もいました。イランも内心ではサーサーン朝を滅ぼしたアラブに複雑な感情を抱いており、イラン・イラク戦争時など、それがあからさまに出ました。
 コーランにも明らかに聖戦を讃えるするくだりはあり、十字軍と同じく本当は略奪が目的だったにせよ、建前は“聖戦”を掲げたりする。本音と建前が違うのはどこの国も同じですが、イスラム世界の理想と現実のかい離もすごいものがあります。
 日本人には欧米に対する反発と恨みから、中東を必要以上に美化してみる人もいますが、それは欧米勢の情報操作と基本的に同じではないでしょうか?美点も欠点も含め、ありのままに見るのこそ、異なる文化圏への理解に繋がるはずです。

投稿者 mugi : 2010年7月25日 10:45

>本音と建前が違うのはどこの国も同じですが、イスラム世界の理想と現実のかい離もすごいものがあります。
>美点も欠点も含め、ありのままに見るのこそ、異なる文化圏への理解に繋がるはずです。
mugiさん。私も最近インドを調べていて思うのですが、宗教が何重にも複層している社会にやはり日本とは異なる凄まじさを感じてしまいます。ヒンズー教で何とか国家としての体を取り繕っているインドにしても、多くの矛盾を孕み、それはもはやしかたないものとして達観している部分がまた逆に凄いところでもあります。
イスラムにしてもインドにしても彼らに侵略の意思があるなしに関わらず地続きの隣国から度々戦火に見舞われており、それが無常観や苦への意味づけを考えるきっかけになりました。
これらの国を理解するには苦しく、やはり我々日本人はあまりにも平和すぎるのかもしれません。ありのままに見るということも決して容易な事ではないようです。
必要な追求姿勢のひとつではありますが、彼らの置かれた状況を把握し、肯定できるもの、学ぶべきものを見つけていくことも”ありのまま”の一つの手法だと思います。

投稿者 tano : 2010年7月27日 22:15

今後の追求テーマ~日本の外交⇒インド・イスラム・東南アジアへの同化⇒その歴史の再構成

これから、「日本の外交をどうする?⇒インド・イスラム・東南アジアへの同化⇒その歴史認識の再構成」というテーマを追求してゆこうと思います。こういうテーマを設…

投稿者 日本を守るのに右も左もない : 2010年10月26日 01:03

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