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2006年12月08日

縄文時代の「よくわからない石器」~争いに触れてしまった縄文人の意識

るいネットの投稿「土偶に見る収束不全」
は、縄文後期の意識状況に近いんじゃないかな?と感じさせるものであると思います。その中で、以下の部分が僕としてはすごーく気になったところです
>弥生に突入する直前、BC1000年頃土偶が急激に増えています。土器もさまざまな複雑な表現が加えられます。その時代朝鮮半島から弥生人が入りだし併せて農業が始まった事と重なります。その後弥生時代を迎える九州地方は突然土器の様式が無紋という形に変化し土偶は完全に姿を消します。
BC1000年頃=約3000年前は、ちょうど縄文時代後期に当りますが、この時期になんのために作ったのか?「よくわからない石器」が増えているのです。
一体この時期に何が起きたのでしょうか
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今日のネタは、「考古学の基礎知識」より。
縄文時代の「よくわからない石器」について
「よくわからない石器」の解説は、上記サイトを読んでみてください。
今日は写真のみ掲載です(この方がわかりやすい)

注目すべきは、石剣・石刀・青竜刀形石器・独鈷石です。
明らかに武器の形状をしている。
しかし、とても武器としては使えないシロモノ… :cry:
縄文後期・晩期の遺跡で発掘されることが多いそうです。この時期は、気候状況も温暖化しつつあり、様々な生活様式(採取・狩猟・漁労)を獲得した後の時代…外敵から身を守る武器なども弓矢や矢じりで充分だったはず。
しかし、この時代は大陸から渡来人がやってくる時期です。大陸の玉突き的な掠奪闘争に敗れた渡来人が、争いを起こし始めた?あるいは単に武器を携帯していた?
掠奪闘争などしらない縄文人は、最初は掠奪集団とはいえ迎えようとしたと思います。
彼らが持っていた武器(?ここは微妙?)を見て、その形を作った。実際に、武器を使うシーンを見たのかもしれない。
いずれにしろ、縄文人が最初に触れてしまった「武器」・「争い」
彼らの意識は大いに混乱したと見ることができると思います。

>しかし土偶をいくら作っても略奪集団との闘争には何の役にも立たなかったのは九州の事例からも明らかです。採取時代の土偶作りも末期には収束不全発の目先収束だったのかもしれません。(るいネット「土偶に見る収束不全」より)
人同士の争いをしらなかった縄文人の意識の混濁が「よくわからない石器」に現れているのではないでしょうか?

投稿者 sawatan : 2006年12月08日 List  

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コメント

このシリーズ毎週楽しみにしています。
大国主命・天照大神・スサノオは誰でも知っていますが、どこから来たのか、実在するのかは意外と知られていませんね。
因みに大国主命は中国人、天照、スナノオは朝鮮人ということですね。天皇は天照ですから朝鮮人。
昨日我が家の大黒主(女房)に聞いたら天皇は朝鮮人なんて知らなかったと驚いていました。みんなそうなんですか?

投稿者 tano : 2006年12月12日 02:21

私も楽しみにしています(^^)
海人族、天孫族、箕子朝鮮の3派に分かれてるんですねー☆
それぞれの特徴も興味深いです。
神話とか昔話から浮かび上がる古代像。
そこにはご先祖さまが私たちに伝えたかったことが隠れている気がしてきました~☆

投稿者 みつこ : 2006年12月12日 14:44

そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。
しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、この地がいかに先進地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。

投稿者 弥生御前 : 2008年6月2日 14:12

弥生御前さん、コメントありがとうございます。
北九州は戦乱の多さからして鉄器の最大需要地。
出雲は鉄の産地に近く、最大の供給地。日本攻略を考えた勢力が鉄の産地を押さえ、技術者を送り込んだのでしょう。
出雲は当時の最強の武器の産地という意味では、その後の歴史に大きな影響を与えたはずですね。出雲大社があることもそれで窺い知れます。

投稿者 くまな : 2008年6月3日 23:15

 吉野裕氏のスサノオ=鉄神論というのがありますが、金屋子神(金屋子神社、総本社島根県安来市広瀬町)も製鉄神です。また、この安来はスサノオが命名した地名だとも言われます。これらに関連性があるのでしょうか?

投稿者 出雲ロマン : 2008年10月12日 05:02

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