| メイン |

2007年04月11日

死者を再起させない縄文人

枌(へぎ)洞穴遺跡は、大分県下毛郡本耶馬渓町大字今行にあり、通称枌洞穴といわれています。
枌洞穴の調査は、昭和49年から57年(1974~82)の間、8次の調査を本耶馬渓町教育委員会において実施されました。
洞穴内の堆積層は自然状態を保ち、6層の生活遺構の層位(生活層の重なり)をなしていたようです。
以下、死者を再起させない縄文人より引用させて頂きます。
>枌洞穴の調査で、もっとも重要であったことは、層ごとに時代の変化を追求することができたことであるが、その興味深いことが埋葬の問題であった。
一般的にみて縄文時代の人は死者を「 屈葬(くっそう) 」して穴に埋める。この屈葬という方法は、手や足を強く折りまげて縛り、再起をさせない方法と考えられているが、なぜだろうか。
縄文時代の人は、悪霊にとりつかれて死ぬと考えていたのかも知れない。
とすれば死者の再起防止には「屈葬」が一番よい。
枌洞穴では64体の人骨がみつかり、そのうちの大部分が埋葬遺構をもっていた。
続きは、ポチッと押してから :roll:
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


●1層からみつかった50、51号人骨は、母親が子供を右手で抱きかかえたような状態で埋葬されていた。
この母子合葬の遺体はともに手足を折りまげられ、仰臥(ぎょうが)の姿勢をとっていた。
この遺体には母親の胸部から腹部にかけて大きな石が、重石のようにのせられていた。
一般に抱石葬(ほうせきそう) といわれているが、この重石は更に死者の再起を防止するためのものであったかも知れない。
●3層には縄文前期の埋葬が数多くみられたが、そのうちもっとも注目されたのは35号の埋葬であった。
まず楕円形の土坑(どこう)を掘り、死者の手足を屈りまげて縛り、埋納する。
次に12個の扁平河石をもって遺体を覆うが、不思議にも顔部の部分だけには覆石がない。
覆石は何を意味するかわからないが、顔を除いて覆石することによってその重みで再起は防止されよう。
1層の抱石葬より覆石葬の方が一段と死者からうける恐怖は絶たれることになる。

●5層の縄文早期人は下半身が切断されて埋葬されていた。
まず浅くて小さな土坑を掘り、そこに上半身の手を折りまげて屈葬した遺体をあおむけに安置する。
次に切断した腰の部分(遺跡では 寛骨(かんこつ))を90度廻転して置く。
更に足先の部分(足根骨 中足骨 趾骨)左手の前方にまとめて置いているが、足の骨( 大腿骨(だいたいこつ)など)はどこにもない。
よく調べてみると、腰の部分( 腰椎(ようつい)の第2、3間)を切断して上半身、下半身を分離し、足を放棄してしまって残りを埋葬している。
足を取りすててしまえば死者の再起は全く不可能になるということであろうか。
枌洞穴では、縄文早期(8,400年前)から縄文後期(4,000年前)までの4千年の間死者は屈葬され、更に河石で重石をし、覆石によって絶縁し、そして遺体を切断して埋葬されていた。
古くなるほど、死者の再起を防ぐ方策が層ごとにみられたことは注目すべきことであった。
「屈葬」という再起不能な埋葬観念が、死者の悪霊防止において死者遺体の破壊にまで及ぶという問題を提起することができたことは縄文時代の埋葬を考えるうえで貴重な事例となるであろう。
(引用ここまで)
縄文人に悪霊という観念があったのかどうかは定かではありません。
しかし、集団の一員の死という現実を前に、畏怖の念を持って霊を対象化したのではないでしょうか?
万物の背後の霊とともに生存してきた縄文人の死→埋葬観。
今後も追及してみたいと思います。

投稿者 naoto : 2007年04月11日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/04/179.html/trackback

コメント

>こうして東へ旅立っていった軍勢はのちに「十字軍」と呼ばれるが、実態は暴力的な巡礼団であり、援軍を呼び寄せたはずのビザンツ皇帝にとっても理解不能な狂信集団と映ったらしい。
確かに事実はその通りのようです。
では、なぜ学校の教科書はそのように教えないんでしょうか?
”要するに十字軍は、聖地奪還を言い訳にした掠奪集団だった”
もちろん大航海時代も間違えなく国家ぐるみの略奪集団ですね。
ピングーさんの事例紹介は略奪を正当化せざるをえない近代の歴史教育が実はそれそのものが事実を隠蔽せざるをえない構造にある事を浮き彫りにしており、有効な事例発掘だと思います。

投稿者 tano : 2007年4月23日 08:39

tanoさんコメントありがとうございますっ^^
確かに、教科書に書かれてたことが事実は・・・がっかり(ToT)・・・なんてことこのブログやるいネット http://www.rui.jp/ などを読んでるとよくあります。
西洋史観によって、歪められた歴史を教え込まれる。
>近代の歴史教育が実はそれそのものが事実を隠蔽せざるをえない構造にある事を浮き彫りにしており、
tanoさんのコメントで逆に気づきをもらいました。
ありがとうございますっ☆

投稿者 ぴんぐ~ : 2007年4月24日 22:07

こんにちは
第4次十字軍は法王インノケンティウス3世の呼びかけによるものですが、主に戦費や戦艦を出したヴェネチアの意向というものが大きく、侵略という結果になってしまいました。
ヴェネチア以外の国の参加国の中には純粋なキリスト教精神がある人間もいたかも知れませんが、一見純粋な宗教心を持った人間でも軍隊を伴っていれば攻められる側からみれば、狂信者になってしまうのではないかなと思います。
ヴェネチア共和国は元々はビザンチン帝国の従属国ですが、それを背景に商業で栄えた国なので、コンスタンティノープルを占領すればどれだけ利益上がるかよくわかっていたんでしょうね。

投稿者 ロマーヌス : 2007年4月27日 13:40

ロマーヌスさん、初めまして^^
>ヴェネチア共和国は元々はビザンチン帝国の従属国ですが、それを背景に商業で栄えた国なので、コンスタンティノープルを占領すればどれだけ利益上がるかよくわかっていたんでしょうね。
なるほど~。
やっぱり、目的は「聖地奪還」ではなく「略奪」だったんですね。
十字軍の実情は、あまり詳しくない私にとってすごく驚きでした。ロマーヌスさんはこのあたりとっても詳しいんですね。(ブログ拝見させていただきました☆)
コメントいただいて嬉しかったです☆またいろいろ教えてください!

投稿者 ぴんぐ~ : 2007年4月28日 01:40

コメントしてください

*