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死者を再起させない縄文人

枌(へぎ)洞穴遺跡は、大分県下毛郡本耶馬渓町大字今行にあり、通称枌洞穴といわれています。
枌洞穴の調査は、昭和49年から57年(1974~82)の間、8次の調査を本耶馬渓町教育委員会において実施されました。
洞穴内の堆積層は自然状態を保ち、6層の生活遺構の層位(生活層の重なり)をなしていたようです。
以下、死者を再起させない縄文人 [1]より引用させて頂きます。
>枌洞穴の調査で、もっとも重要であったことは、層ごとに時代の変化を追求することができたことであるが、その興味深いことが埋葬の問題であった。
一般的にみて縄文時代の人は死者を「 屈葬(くっそう) 」して穴に埋める。この屈葬という方法は、手や足を強く折りまげて縛り、再起をさせない方法と考えられているが、なぜだろうか。
縄文時代の人は、悪霊にとりつかれて死ぬと考えていたのかも知れない。
とすれば死者の再起防止には「屈葬」が一番よい。
枌洞穴では64体の人骨がみつかり、そのうちの大部分が埋葬遺構をもっていた。
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●1層からみつかった50、51号人骨は、母親が子供を右手で抱きかかえたような状態で埋葬されていた。
この母子合葬の遺体はともに手足を折りまげられ、仰臥(ぎょうが)の姿勢をとっていた。
この遺体には母親の胸部から腹部にかけて大きな石が、重石のようにのせられていた。
一般に抱石葬(ほうせきそう) といわれているが、この重石は更に死者の再起を防止するためのものであったかも知れない。
●3層には縄文前期の埋葬が数多くみられたが、そのうちもっとも注目されたのは35号の埋葬であった。
まず楕円形の土坑(どこう)を掘り、死者の手足を屈りまげて縛り、埋納する。
次に12個の扁平河石をもって遺体を覆うが、不思議にも顔部の部分だけには覆石がない。
覆石は何を意味するかわからないが、顔を除いて覆石することによってその重みで再起は防止されよう。
1層の抱石葬より覆石葬の方が一段と死者からうける恐怖は絶たれることになる。

●5層の縄文早期人は下半身が切断されて埋葬されていた。
まず浅くて小さな土坑を掘り、そこに上半身の手を折りまげて屈葬した遺体をあおむけに安置する。
次に切断した腰の部分(遺跡では 寛骨(かんこつ))を90度廻転して置く。
更に足先の部分(足根骨 中足骨 趾骨)左手の前方にまとめて置いているが、足の骨( 大腿骨(だいたいこつ)など)はどこにもない。
よく調べてみると、腰の部分( 腰椎(ようつい)の第2、3間)を切断して上半身、下半身を分離し、足を放棄してしまって残りを埋葬している。
足を取りすててしまえば死者の再起は全く不可能になるということであろうか。
枌洞穴では、縄文早期(8,400年前)から縄文後期(4,000年前)までの4千年の間死者は屈葬され、更に河石で重石をし、覆石によって絶縁し、そして遺体を切断して埋葬されていた。
古くなるほど、死者の再起を防ぐ方策が層ごとにみられたことは注目すべきことであった。
「屈葬」という再起不能な埋葬観念が、死者の悪霊防止において死者遺体の破壊にまで及ぶという問題を提起することができたことは縄文時代の埋葬を考えるうえで貴重な事例となるであろう。
(引用ここまで)
縄文人に悪霊という観念があったのかどうかは定かではありません。
しかし、集団の一員の死という現実を前に、畏怖の念を持って霊を対象化したのではないでしょうか?
万物の背後の霊とともに生存してきた縄文人の死→埋葬観。
今後も追及してみたいと思います。

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