2007年4月2日

2007年04月02日

アラブ遊牧民の生贄

😀 くまなです。
前回の記事に対するコメント
>殷の殉葬や卑弥呼の事例は、両方ともその時代の支配者=神へ、人を生贄としたのでしょう。(さーねさん)
そこで、生贄について…
生贄は、供犠ともいい神に生きた動物や人間を捧げる行為で、歴史的にも諸民族に見られます。卑弥呼の墓に見られる奴婢の殉葬が生贄だとすると、遊牧系の殷(商)にも見られる習俗であることから遊牧系の宗教観→生贄に対する思想を紐解く必要がありそうです。
彼らの生贄は一般に人間ではなく、ヒツジです。
Zurbaran_-_Agneau.jpg
(写真はLa Tribune del Artより)
元々どうであったかは分かりません。人間の生贄ということでいうなら、マヤ文明やインカ文明(南方系→環太平洋系?)なども紐解く必要がありますが、卑弥呼以前や縄文には見られない習俗なので、北方系(中央・西アジア→モンゴル→朝鮮)伝来の習俗とします。
そこで、その源流であろうアラブの遊牧民の生贄に対する考え方について紹介します。以下は50年ほど前のアラブの遊牧民に関する記述です。

彼らは今日でも旱魃や伝染病などのような公害に際して同様な儀式を行い、人々を悩まし、脅かす悪霊から救うものだと説明している。例えば部族民がコレラの猛威に苦しんでいると、部族長がテントの中央に立ち、つぎのように叫ぶのである、

(さらに…)

投稿者 kumana : 2007年04月02日  



 
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