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アラブ遊牧民の生贄

😀 くまなです。
前回 [1]の記事に対するコメント
>殷の殉葬や卑弥呼の事例は、両方ともその時代の支配者=神へ、人を生贄としたのでしょう。(さーねさん)
そこで、生贄について…
生贄は、供犠ともいい神に生きた動物や人間を捧げる行為で、歴史的にも諸民族に見られます。卑弥呼の墓に見られる奴婢の殉葬が生贄だとすると、遊牧系の殷(商)にも見られる習俗であることから遊牧系の宗教観→生贄に対する思想を紐解く必要がありそうです。
彼らの生贄は一般に人間ではなく、ヒツジです。
Zurbaran_-_Agneau.jpg
(写真はLa Tribune del Art [2]より)
元々どうであったかは分かりません。人間の生贄ということでいうなら、マヤ文明やインカ文明(南方系→環太平洋系?)なども紐解く必要がありますが、卑弥呼以前や縄文には見られない習俗なので、北方系(中央・西アジア→モンゴル→朝鮮)伝来の習俗とします。
そこで、その源流であろうアラブの遊牧民の生贄に対する考え方について紹介します。以下は50年ほど前のアラブの遊牧民に関する記述です。

彼らは今日でも旱魃や伝染病などのような公害に際して同様な儀式を行い、人々を悩まし、脅かす悪霊から救うものだと説明している。例えば部族民がコレラの猛威に苦しんでいると、部族長がテントの中央に立ち、つぎのように叫ぶのである、

自らの罪を償え、おお、部族の民よ、自らの罪を償え
すると各家族はヒツジを一頭連れ出し、これを犠牲にささげ、二つに裂いてその肉片をテントの下か戸口の前の二本の柱にぶら下げる。それから家族全員が犠牲の肉片の間を通り抜ける。歩けないほど幼い子どもたちは両親が連れて通る。
彼らはそのヒツジののしたたる肉片の間を何回も通り抜けることがしばしば見られるが、これは部族民を苦しめる悪霊 😈 つまりジン(jinn)を祓い除く力がその肉片には具わっていると考えられているからである。
牧草が枯れ、雨が降らずに家畜が死んでゆく旱魃の季節にも、同様な救済手段が講ぜられる。この犠牲は人間や動物たちのあがないのしるしとみなされているのである。
アラブ人はこう言う、
これはわれわれの償い、われらとわれらの群れとの償い
どうしてこの儀式が益をもたらすのかと問われると、かれらはその犠牲物が禍いに立ち向かい、それと戦うからだと答える。

>(丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
アラブの遊牧民は、生贄以外にも、単なる神だのみ(上記著作での記述は1808年)、みそぎ、断食を行います。この「願掛け」的なものは、現代の日本人でも行っている馴染みのあるものですね。
さて、神だのみが一向に効果をあげず、旱魃が飢饉を進行させると、彼らはどうするのでしょうか
それは次回にします。お楽しみに!
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