2007年4月25日

2007年04月25日

縄文人にとってお墓とは何だったのか?

旧石器時代には見ることのなかったお墓。
縄文人にとって、お墓とは何だったのでしょう?
「大湯環状列石」 より
《引用開始》
集団墓としてかなり明瞭な性格を示す環状土離に対し、大湯環状列石はその性格をめぐって論争を引き起こしたことはよく知られているところである。
この配石遺構をめぐる論議の一つは、その機能が共同墓地であるか、或いは“まつり”にかかわる施設であるかという点に集約される。
この調査では約100基の組石の中から任意の14基についてその下部が調査され、その多くから幅1×0.7m、深さ約0.7mほどの比較的小さな小判型をした土坑が検出されたが、それらの土坑からは、人骨や埋葬用の副葬品は発見されなかった。
周辺からの出土した土器から、縄文時代後期につくられた可能性が高くなったが、墓である確証は得られず、それが積極的に墓地説を推進する上でブレーキになったのである。
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投稿者 naoto : 2007年04月25日