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2007年03月28日

縄文言語と日本人の精神性

縄文語ってどんな言葉だったんでしょうか?
司馬遼太郎の随筆の中に母音が中心の言語だったのではないかと書かれています。所謂、あ・い・う・え・お・・・ですね。
母音中心の言語は広く南~東南アジアに共通するようです。
日本語の系譜をわかりやすく書いたものに過去のるいネットの投稿(リンク)があります。
ところで、縄文語はどのような言葉であったのか。
 これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。
~国立民族学博物館 崎山 理教授の研究を紹介するHPの引用

司馬遼太郎氏は縄文言語と日本人の精神性を以下のように表現しています。 🙄
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>その時代の言語は、むろんわかりません。
しかし、いまの私どもが話している日本語の言語発声の生理は、その時代から遺伝を継承しているだろうと私は推測しています。
ご存知のように、日本語は母音の多い言葉であります。そして単語の最後は母音がきます。このことに関するかぎり、私どもの日本語は、ポリネシア人やインドネシア人とおなじように、太平洋民族の言語の生理に似ています。ほとんど母音だけで、一つの言語を、たとえばハワイの人達は話します。たとえば・・・
こういう言語の生理は、遠い縄文時代から相続しているように思われます。
これにたいして、となりの国の朝鮮語は、じつに子音の活動の活発な言葉で・・・朝鮮語では、単語の最後に子音がくることが多いのです。これは日本人にとって、生理的に苦痛です。・・・要するに、日本語という母音の多用という言語生理は、私どもに残されている縄文人の痕跡だと思います。

東北物語伝承館より
中国語や朝鮮語を聴いていて棘棘していると違和感を感じるのも子音中心の言語体系だからでしょう。子音中心は挑戦的、母音中心は友好的と感じるのは私だけでしょうか?言語学は詳しくないですが、母音言語圏と子音言語圏ではその社会構造までもが大きく異なるように思います。(tano)

投稿者 tano : 2007年03月28日 List  

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