縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-4 |
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2009年10月26日
新テーマ:「日本人は闘えるのか?」⑤
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=26868「日本人は闘えるのか?」④~「不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰」に続いて、
「日本人は闘えるのか?」シリーズ第5弾です。
これまでのシリーズ①~④で明らかになったのは、日本人が欧米では見られない類稀な親切心と信義を尊ぶ心を持ち、創意工夫の能力に長け、異質なものでもさほど抵抗無く自らのうちに同化させてしまう能力に長ける民族的特質があることです。
前回シリーズ④ではその特質の底流に、「現実を対象化し、受け入れ、期待し応えていく『精霊信仰』があり、縄文社会で培われた万物との同化を試みる精神構造が脈々と日本人には受け継がれている」ことを見てきました。
(縄文家族)
そのような日本人が果たして「闘えるのか?」を占うのに参考となる投稿を紹介します
採取生産時代のまつり統合とその限界① ②」 からです
採取生産時代の「まつり」の位置付けは概ね皆さんが投稿されているとおりだと思います。
しかしそれが、集団統合に果たした役割と同時にその特殊性や限界も見ておく必要があるように思います
皆さんの挙げられている事例や分析しておられる対象は、概ね採取生産中期から後期にかけてのものだと思われます。ここでの特徴は、既に祭りが日常的なものではなくなっていることです。もともとの祭りの原点は原始時代の踊り(=歩行訓練)です。これは極めて日常的なものです。かつ闘争課題と解脱が一体化したものです。そして洞窟から出て以降は、日常的な皆が集まる食事の場そのものが、同時に饗の場であり、方針の合意の場であり、かつ最大の解脱共認の場であった、と思われます。
しかしその後採集生産中期以降の「まつり」は明らかに「非日常的」なものになり、従って大掛かりで手の込んだものつまり「象徴的」なものになっています。ではなぜまつりは「非日常的」「象徴的」なものになったのでしょうか?
結論から言うと、いつも一緒に一体となって生活している集団であれば、非日常的な特別の儀式は必要ありません。つまり、その条件が消えたことが非日常化した原因と推測されます。そして、それにはおそらく二つの要因が考えられます。
(インド先住民族ゴンド族の鹿踊り)
一つは狩猟生産の進展です。概ね狩猟生産については男達の遠征部隊がおり、母集団から離れた場所で獲物を求めてキャンプを張っています。つまり皆がいつも行動を共にしているわけではありません。だからこそ皆が集まる統合の場を「人工的」に設定する必要があったのだと思います。
もう一つが(こちらの方がより本質的と思われますが)集団規模の拡大とそれに伴う集団の分割及び多段階編成です。
これを作り出した原因が同類圧力であることは既に触れました。集団分割は小集団内の共認の高密度化を、多段階化(概ね胞族・氏族・部族の3段階編成)は集団全体としてのヒエラルキー的編成を意図したものです。つまり圧力条件の変化に伴い、集団(闘争)適応を高度化再編したものです。
しかしこのことは同時に集団統合上厄介な問題を孕みます。例えば単位集団に分割されれば、単位集団相互は日常的には行動を共にしません。それぞれの単位集団には自己収束性(閉鎖性)のベクトルが働きます。つまりそれぞれの集団間に遠心力=独立性のベクトルが働きます。
また集団のヒエラルキー編成は上位統合課題(防衛・土木・指導課題等か?)を担う層を作り出し、これまた彼らは日常的には単位集団の人々とは「一緒にいない」状態を作り出します。以上の集団統合上の矛盾に直面し、だからこそ改めて人工的に「祭・祀・政」が一体となった”特別の場”を設ける必要があったのでしょう。
以上「生産時代のまつり統合とその限界① 」よりの引用です。
また「その限界②」では
そして、このことは採取生産時代の祭りの必要性とその限界を示しています。
祭りの原点である踊りは、闘争課題=能力上昇課題と解脱が一体となった日常の営みでした。それに対して、この祭りの場はもちろん祭・祀・政が一体となった物なので、原点の要素をある程度満たしているともいえます。しかし同時に明らかに非日常的な象徴的要素も濃厚です。つまり日常の闘争課題⇒解答を紡ぎだす、とはぴったりフィットしていません。もちろんもともと踊りが持っていた、歩行訓練=成員の能力向上空間=闘争評価空間という要素は殆ど消えています。
と、採取生産時代のまつりの限界を指摘しています。(そのほかの、まつりに関する投稿も参照下さい)
○集団が外圧に抗して闘うためには、闘う為の目的意識と強い意志がその集団に共有(共認)されることが不可欠です。
恐らく黎明期の人類は圧倒的な自然外圧を前にして、踊り=まつりを通して全身全霊を掛けて自分達の日々の安寧を精霊に祈り、かつ感謝をささげたものと思われます。
まつりにより成員の一体感を醸成し、かつ彼等の闘争対象である圧倒的な自然と対立するのでは無く同化することで、ともすれば自分達の理解能力を超えた自然に対峙していたのだと思われます。
その後時代が弓矢の発明以降自然外圧の緩んだ採取生産時代に入ると、まつりは人類誕生期に備わっていた闘争課題の徹底した共有という意味が薄れ、解脱と象徴的要素(儀式化)を強くしていったと思われます。
はるかに時代は下って現在、未曾有の経済危機と解脱一辺倒のマスコミを前にして果たして「日本人は闘えるのかと」考えたとき、闘うための第一の条件である「闘争共認」構築の基盤は、日本人の意識の底流にある「縄文体質」として充分あると言って間違いないと思います。
そしてその戦いに勝つためには、「相手を知り、己を知る」ための徹底した事実追求が必要不可欠です。
とすれば、後は徹底した事実追求の場が構築され広がることで、近代西欧主義によって歪められた観念を、まさに事実認識の共有化(事実共認)でもって、正していくことができるかどうかに勝敗はかかっているといえます。
このシリーズで引用した「るいネット」に期待が集まる所以です。
投稿者 ryujin : 2009年10月26日 TweetList
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コメント
投稿者 2310 : 2009年12月31日 16:18
今年は激動の年でした。日本の国民が、自民党から民主党へ変革の期待をし、後押ししたのは、日本人の心底にある「なんとかしなければ・・・」という意識からだと思っています。
日本の社会システムや法制度、経済や教育、受験制度、官僚の試験制度など全てのものが私権獲得という旧社会の思想に立脚しているので、かなり、私たちも洗脳されている可能性はあると考えられます。
しかし、我々の持っている本源性は、捨てたものではない。より正しい方向へと次の社会を皆で作っていく意識は、薄れていないように思います。
縄文の気質を我々は、心の奥底で気づいているように思います。それを社会に摘要すれば、もっと素晴らしい社会になるのだろうと思います。2010年は楽しみですね。