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2011年05月04日

緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」第5回.地震・災害大国日本の歴史―3

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濃尾地震 
ここからお借りしました
地震・災害大国日本の歴史―2に引続いて近代(明治時代)を見てみます。 :roll:
以下は緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」第3回.地震・災害大国日本の歴史―1からの引用です
>災害には、台風、地震、噴火、津波、洪水、旱魃、長雨、虫害、飢饉、疫病等があります。これまで日本人は幾多のこれらの災害を乗り越えて来ました。このDNAが今の日本人に刻印されています。しかし、近代市場社会以降の日本人は、先人の教えを忘れてバブルを作り上げ、経済至上主義・利便性第一を追求して来ました。その結果、大切なものを見失ってきたように思います。それが何かを過去の記録に同化する中で見付けたいと思います。
今までの記事はこちらです
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」 プロローグ
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」 第1回 日本人の縄文体質~有事に現れるその共同性と本源性
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」 第2回海外から見た日本人の共同性
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」第3回.地震・災害大国日本の歴史―1
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」第4回.地震・災害大国日本の歴史―2
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憲法発布略図 明治22年 
ここからお借りしました
●近代(明治時代)
>日本災害史(北原糸子編)を参考に記載します
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・立法による救済と災害制御
 明治維新以降の災害救済は、幕府や藩の個別の対応と異なり、近代法治国家として統一的な基準=救済法が適用されるようになる。廃藩置県以降、救済法は、県治条例(明治4年1871年)付則「窮民一時救助規則」が制定され、以降「「恒常」的窮民には中央政府が救助金を支給する恤救規則により、また、一時的な災害窮民に対する緊急の救助は中央政府と地方が一定の割合で負担する備荒儲蓄法で賄われることになった。その後、前者は救護法に、後者は罹災救助基金へ引継がれて、戦前日本の救済制度として活用されていく。
・民間義捐金について
 民間義捐金が特に新聞による義捐金の応募はこの時期に勃興する企業、軍隊、商店、大学、中学、小学校などの新しい社会集団の増大に伴って広がりを見せて、官給の救助額を大幅に上回る募集額に達していた。上記の法や義捐金を災害時にどのように機能したかを見てみます。
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濃尾地震 長良川鉄橋破壊
ここからお借りしました
○濃尾地震 
 濃尾地震は、明治24年(1891)10月28日に発生した。震源地は岐阜県根尾谷には縦6m、よこ2mの断層が地表に現れ、現在の地震学ではマグニチュード8と指定され、内陸性地震で歴史時代に前例がない地震であった。近代化の象徴であったレンガ造りの紡績工場、電信電報局、開通したばかりの東海道線の長良川鉄橋がなど、近代国家として整備されたつつあった施設が無残にも破壊された。帝国大学理科大学だけでなく、国家の関係機関をあげて現地を調査した。救援医療の活動も医科大学、陸軍軍医、日本赤十字社医員、看護婦を長期間派遣した。新聞も義捐金を、募集し記事を書いた。外国人による海外からも多くの義捐金が寄せられた。
・岐阜県の備荒儲蓄金の動きをみてみる→派閥争いと罹災者の要求集会へ
 岐阜県では備荒儲蓄金の配分率を巡り県会で紛糾、県議会の外では県下初めての民衆騒動として西別院事件が起きた。紛糾は、以前からの山岳地帯選出議員と木曽三川の輪中地帯の水場派議員の対立に加えて、この時期に興隆する織物、陶磁器製造を経済基盤として台頭する商工閥が絡み、知事・参事官らの県政の中核は新興の商工閥との連携が深かったという。
 11月20日の臨時県議会が開催され、県当局は提案したが、県会は不足として否決した。これと呼応して、議会の外では、議員を含む震災救済同盟が結成され、岐阜公園、伊奈波神社などで集会が持たれ、県会の提案とする請願運動で5000人余の罹災者が西別院に終結する集会となった。24日の集会に警官が強権をもって解散させ、負傷者が多数出た。結局、罹災者からの突き上げと県会内の抗争によって、県当局は、政府に対して備荒儲蓄金のさらなる追加支出を要請、急遽11月24日岐阜県への中央儲蓄金予算外補助が閣議に提案され決定、11月25日裁可された。
・義捐金について→定着していく
 新聞が社会事業として、災害その他の義捐金募集を紙面で行うことは明治18年(1885年)の淀川洪水からその事例がある。当初は、中央の新聞社が全国へ義捐金募集の呼びかけた。しかし、濃尾地震のころになると中央紙と地方紙は連携をとらず、それぞれ独自に義捐金事業を展開した。これは、新聞読者層が地方社会にも広く厚く存在し始めたことを物語る。ここでの特徴は、岐阜の地元新聞「岐阜日々新聞」は、新聞社自身も震災の被害によって3日間は発行出来なかったことに加え、義捐者はおおむね岐阜県内の被害の少なかった飛騨地方に目立つ傾向にある。それは被災地の社会が互いに支えあう旧来の 堅固な地域結合を示すものである。
 海外からも日本赤十字社を通じて募金が集まった。尚、義捐金は備荒儲蓄金や政府からの救済金とは異なり、支給規定は被害県の自由裁量が許されたから、多様な義捐物資は被災者の生活回復の励みになった。
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長良川堤防復旧工事
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・土木補助費の議会不承認(→議会は、必要か否かではなく、利権獲得の場に)
 近代化の象徴であったレンガ造りの紡績工場、電信電報局、開通したばかりの東海道線の長良川鉄橋がなど、近代国家の象徴となる施設が無残にも破壊されたことで政府中枢の震災復旧への関心はいっきょに高まり、11月11日に勅令で震災救済費と土木補助費で岐阜県に150万支出された。
しかし、第2回帝国議会は、アジアへの進出を図るための軍艦建造費を盛り込みたい政府与党に対抗する野党との政争で11月25日に議会解散し、総選挙に至り不成立となった。
又、濃尾地震の救済費他を勅令で帝国議会の承認もなく政府が支出したことは議会を無視した行為である、その他の法案を通すために、民党が反発したことも解散の原因だった。
しかし、議会の承認が得られなくても勅令の支払いは法律上可能であったから、11月17日に愛知・岐阜県に支払われた。
尚、例をみない急遽多額の工事費補助は一種の震災バブル状況を生み出し、震災疑獄事件に発展した。社会の仕組みが複雑になればなるほど、災害からの回復には多額な費用と時間がかかる。そして、そのお金を廻り、人々の資金獲得の抗争が生まれ、長期化する。
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日本災害史(北原糸子編)からの引用は終わり
・庶民の生活を見てみます
 江戸時代の年貢の支払いは、村の代表:庄屋が、集約して納まめていて、個人の土地とか財産という私有意識はありませんでした。しかし、明治6年の地租改正で、全国バラバラだったコメによる徴税システムが、「地租」に統一されます。これは、現物から貨幣への転換を意味します。
 更に、土地の所(私)有者を確定させて、「地価」を決めて「地券」という権利証を発行し、地価の3%を税金として徴収するように変わります。この私有制が、土地の売買を自由にすると同時に、貧乏人は結局土地を売り払い、わずかな大地主と、搾取される大多数の小作人という関係になって行きます。
私有制の導入で、個人と政府という関係になり、それまでの村落共同体という母体が壊れていくことになります。
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地券
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●明治のまとめ
 明治以降は江戸時代の「お上」と「村落共同体」の緊密な関係とは異なり、法治国家として、法律が決まらなければ動かない。そして、法を決める(議会が承認する)のは、本当に必要としている人のためではなく、軍閥、政治閥、産業利権が絡んだ資金獲得(利権獲得)の長い抗争で決まる。江戸時代までの「お上と庶民との緊密な関係」は、「国・地方行政と都市に住む市民は、利権構造の温床=法律を媒体としたお金をめぐる関係」に変ってゆく時代と言えそうです現代と極似しています。どうもお上の暴走の始まりは、殆ど生活に必要がない法を基本とする「法治国家」という「幻想国家」をつくろうとした明治時代から始まったようですね。。
 農民を見てみます。「地租改正」という法は、庶民が生きてきた村落共同体を壊して行きます。そして、人々は生きるために己の私権の獲得に向わざるを得ない状況に追い込まれます。豊かだった仲間との充足の場が、突如、個人主義社会に放り出されるかんじでしょう。お上の取り入れた「西洋民主主義」=個人主義に庶民が巻き込まれていく時代です。
 義捐金の対象は自分達が住む地域から全国へと拡大し、額はどんどん大きくなって行きます。これは、村落共同体という場が壊れていく一方で、共同体の意識が全国に広がり・定着して行く流れのように感じます。
どうも明治時代は、日本にとって、パラダイム転換の時代だったようですね!
次回は関東大震災から現代に至るまでを見てみます。
お楽しみに!

投稿者 sakashun : 2011年05月04日 List  

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