縄文:祭りの主宰者は女性だった? |
メイン
2008年04月18日
“縄文気質”を考えてみよう-1
突然ですが、皆さん“縄文気質”って言ったらどんな気質のことを指すのか考えたことありますか?「何となくわかるようで・・・でもそれが本当にそうか分らない・・・」と言った感想を持つ人が殆どではないでしょうか?
“縄文気質”に近しいと思われるものに“日本人気質”って言葉があります。今日はいきなり縄文まで遡るのも大変なので“日本人気質”に焦点を当てたいと思います。
そこでますは日本人はどう見られているのか?=日本人気質とは何か?といった第三者(=外国人)にはどのように写っているのか?を紹介したいと思います。
『ぼやきくっくり』さんが『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』として文献に残っているものを紹介してくれていますのでそこから一部お借りして紹介したいと思います。
※今回当ブログで紹介するのは“日本人気質”に関係しそうな文献を選定していますが、純粋に過去の日本人が世界からどのような評価を得ていたのかを知る上で、非常によく纏ったブログですので、興味のある方は是非『ぼやきくっくり』に訪問して見てください。
クリックお願いします!
■C・P・ツュンベリー=スウェーデン人。医師・植物学者。ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われた。1775年(安永4年)来日。
「江戸参府随行記」より
地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。
(中略)日本人の親切なことと善良なる気質については、私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。国民は大変に寛容でしかも善良である。
(中略)正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。
■ヘンリー・ヒュースケン=オランダ人(アメリカ帰化)。駐日アメリカ総領事館の通訳として1856年(安政3年)に初代総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日。1861年1月14日(万延元年12月4日)、攘夷派の薩摩藩士に襲われ28歳で死去。
「日本日記」より
1857年(安政4年)12月7日付の記述
いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。
■バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌1」より
日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。極東の諸国民は――少なくともこの国民は――ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。同様にまた、異教徒の諸国民は――少なくともこの国民は――キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。
過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。もし少しでも「黄禍」があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。
(引用者注:「黄禍」=19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)
■バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌1」より
1877年(明治十年)薩摩の反乱(西南戦争)を鎮圧したとき、日本軍人は砲火の洗礼をあびた。日本軍人は日清戦争(1894~5)において偉功を立て、外国の専門家たちを驚嘆させた。特に兵站部の組織は徹底的に行き届いたもので、峻烈な気候と貧しい国土にあって、敢然とその任務に当った。
統率もまずく栄養も不良で、生れつき戦争嫌いの中国人は、逃走することが多かった。日本人の胆力を示す機会はほとんどなかった。しかしながら1894年9月15日の平壌の戦闘、続いて満洲に進軍し、同年11月に旅順を占領したのは注目すべき手柄であった。
さらに1900年(明治三十三年)、北京救出のため連合軍とともに進軍した日本派遣軍は、もっとも華々しい活躍を見せた(北清事変)。彼らはもっとも速く進軍し、もっともよく戦った。彼らはもっともよく軍律に従い、被征服者に対してはもっとも人道的に行動した。
日露戦争(1904~5)は同様のことを物語っている。日本は今や、その大きさにおいては世界最強の軍隊の一つを所有していると言っても過言ではない。この事実には――事実と仮定して――さらに驚くべきものがある。それは、日本陸軍が作者不明(という言葉を使わせてもらえば)だからである。世界的に有名な専門家がこのすばらしい機構を作りあげたのではない――フレデリック大王も、ナポレオンもいない。それは、狭い範囲以外にはほとんど知られていない人びとが作りあげたものである。
■バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌2」より
絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋み――の一語に要約できよう。大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどし、見せびらかしと乱費によって美しさを押し通してしまうような俗悪さなどは、日本人の考え方のなかに見出すことはできない。
(中略)金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)社会の隅々まで浸透しているのである。
ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、あの放縦にのみ比すべきものである。
しかし、日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた。渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。
■イザベラ・バード=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より
ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。
群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。
(中略)私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。
私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
■エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日1」より
外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。
こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。
■エミール・ギメ=フランス人。世界有数の東洋美術館として知られるパリのギメ博物館の創設者。1876年(明治9年)訪日。
「1876ボンジュールかながわ」より
日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。
■ローレンス・オリファント=イギリス人。旅行家。1858年(安政5年)、日英修好通商条約を締結するために来日したエルギン卿使節団の一員。来日するまでにセイロン、エジプト、ネパール、ロシア、中国などを歴訪した。1860年(万延元年)、水戸浪士の襲撃を受けたが、一命をとりとめ帰国した。
「エルギン卿遣日使節録」より
上海を出発し、長崎に上陸した後の記述
われわれの最初の日本の印象を伝えようとするには、読者の心に極彩色の絵を示さなければ無理だと思われる。シナとの対照がきわめて著しく(*1)、文明が高度にある証拠が実に予想外だったし、われわれの訪問の情況がまったく新奇と興味に満ちていたので、彼らのひきおこした興奮と感激との前にわれわれはただ呆然としていた。この愉快きわまる国の思い出を曇らせるいやな連想はまったくない。来る日来る日が、われわれがその中にいた国民の、友好的で寛容な性格の鮮やかな証拠を与えてくれた。一日のあらゆる瞬間が何かしら注目に値する新しい事実をもたらした。
(*1 オリファントは日本訪問を終えたのちに書いた母親への手紙で、「私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んででかけます」と記している)
■ディアス・コバルビアス=メキシコ人。天文学者。1874年(明治7年)、金星観測の国際共同事業のために来日。
「日本旅行記」より
日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるということである。天皇と女御の間に最初の女の子が誕生した時に取り行われた祝祭行事や、大久保大使が台湾問題で、日本が中国に要求した賠償金を手にして帰還したさいに開催された祝祭、その他にも多くの機会を通して、横浜、神奈川といった人口六万から七万の都市で、国民が、喧嘩も酔っぱらいも何の混乱もなく、照明と花火と、動物に変装した人々の怪奇な無言劇などを楽しむのを目撃する機会にめぐまれた。どの祭り場でも、通りで酔っぱらいに会ったことがなかった。
■アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「明治日本の女たち」より
平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。
日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られているのは、彼等の功績である。
職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや納得できないものを作ることはけっしてない。日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。
(中略)もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、大切にしている。
■エドウィン・アーノルド=イギリス人。詩人。1889年(明治22年)11月来日。インドのデカン大学の学長を務め、帰英後はデーリーテレグラフ紙の編集者。
「ヤポニカ(Japonica)」(1891年)より(※2)
日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである。
(中略)この国以外世界のどこに、気持よく過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心――この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか。
(中略)生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している。
どうですか?
日本人の特徴⇒“日本人気質”がちょっと鮮明になってきましたね。
次回はもうちょっと時代を新しくして紹介したいと考えております。
ではまた
投稿者 mrran : 2008年04月18日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/04/493.html/trackback
コメント
投稿者 ダイ : 2008年5月29日 21:57
存在しているもの全てに心底感謝している人々の姿が思い浮かびます。
植物も、昆虫も、動物も、人間も、大地も、空も、全てのものは、「信頼できる仲間」であると心底思っていたのではないかと思います。
投稿者 フジ オサム : 2008年5月29日 22:28
なかなか広い視野から見ておられますね!!!ぼつぼつ読ませていただきますしょう。またTBさせていただきます。
投稿者 お絵かき爺 : 2008年5月30日 14:58
>共通点があるとすれば、どれも対象が自分以外に向いてるってことですかね!
>全て意識が「自分の為」という方向に向いてたら出来ないことのように思います・・・どうでしょう??
(ダイさん)
なるほどですね・・・
そうかもしれませんね!
次回の投稿の参考にさせていただきます。
投稿者 mrran : 2008年5月30日 21:57
>存在しているもの全てに心底感謝している人々の姿が思い浮かびます。(フジ オサム)
う~ん。『感謝』ですか。。。
そうかもしれません。
これも次回の投稿の参考にさせてもらいます。
投稿者 mrran : 2008年5月30日 22:17
>存在しているもの全てに心底感謝している人々の姿が思い浮かびます。(フジ オサムさん)
う~ん。『感謝』ですか。。。
そうかもしれません。
これも次回の投稿の参考にさせてもらいます。
投稿者 mrran : 2008年5月30日 22:17
>存在しているもの全てに心底感謝している人々の姿が思い浮かびます。(フジ オサムさん)
感謝。。。
そうかもしれません。
こちらのキーワードも次回の投稿の参考にさせていただきます。
投稿者 匿名 : 2008年5月30日 22:19
>なかなか広い視野から見ておられますね!!!ぼつぼつ読ませていただきますしょう。またTBさせていただきます。(お絵かき爺 さん)
アクセスありがとうございます!
こちらも、お絵かき爺さんのページ、参考にさせていただきます!
投稿者 匿名 : 2008年5月30日 22:22
>また、これらのキーワードには共通点があると思いませんか?さてそれはなんでしょう?
難しい問いかけですね。。。
共通点があるとすれば、どれも対象が自分以外に向いてるってことですかね!
全て意識が「自分の為」という方向に向いてたら出来ないことのように思います・・・どうでしょう??